| 逝くまでは生きよ! | - 2008/10/07
- 先日ポール・ニューマン(83)の訃報が入ったが、今日早朝に日本の名優・緒方拳(71)の訃報が流れた。
ニューマンは遅咲きの花で、デビュー後なかなか作品に恵まれず、かえって晩年になってからの仕事の方が高く評価されていた。 70歳を過ぎてもレースに出場したり、趣味と実益を生かしたニューマンブランドの食品ビジネスでは大成功。 昨年俳優業は引退したが、死の数ヶ月前までレース場に姿を現していた。 オーガニックという呼び名がまだ珍しかった数十年前、ポール・ニューマンの顔がプリントしてあるラベルのサラダドレッシングやスパゲッティソースが輸入食品の棚に並ぶ度に我が家の食卓でも活躍していた味である。 彼はその売り上げの中から常時寄付を行っていたそうで、総額約210億円にも上るという。 ハリウッドの生活を好まず東海岸で生活をしていたが、こうして彼の人生の足跡を眺めると、地に足がついた、なんともスマートでスケールの大きい人生でなかなか真似できない生き方だ。 そして急逝した、と内情を知らない私たち一般人が驚いた緒方拳の死だが、彼もまた最後の最後まで自分の選んだ仕事を通して人生を燃焼した。 今週から秋の新番組が始まるが、彼もレギュラーで出演している。 まさに、この俳優の最後の姿が何事もなかったように画面を通して全国に静かに流れるのだ。
こうしたことに目をとめてここに書くのも実は私の身近に、癌であるとわかったとたん、自らの人生から隠遁してしまった人がいたからだ。 「癌という病が過酷なのは、最後まで意識があり痛みがあるという部分だ」と目にしたことがあった。 まだ検査での確定が出ていない時期、その人は私の口からそれを聞いて、自分には痛みなんかない、と豪語していた。 自分は特別、とでも思いたかったのだろうか。 何故自分が癌になったのか、と不思議がっていたが、75%の成功確率の手術も受けず、最終的には痛み止めのモルヒネのお世話になり、世間にも家族にも興味を持つこともなく、延命的な治療を一切拒否し、病院で肉体的生命力が失せるのを待つだけの最後だった。途中、医者の話によると予想以上に急激に進行したという。 本人の希望なら、それを叶えることをよしとするのが家族の愛情、、、みたいな変なイメージに心身ともに加担しなかったのは私ひとりだ。 精神的自殺のような行為に賛同することできない。 それがたとえ最後であっても。 残された時間を豊かにすることはいくらでも可能ではなかったか。静かな時間を送れるホスピスに紹介によって移動することも可能だったようだが、その手間隙をかけなかった周囲にも私は憤りを持っていた ホスピスに入ったら本人に最後通達を感じさせるからとかなんとか理屈をつけていたが、結局はそれぞれが死に直面するのを避けた、ということだ。 最後の瞬間には側には誰もいなかった。 発言権などまったくなかった私は加担はしないが、協力も一切しなかった。ごくごく普通に日々を過ごしていた。 正月を祝わないはずの新年に、何もしないのは寂しいからおせち料理を頼もうか、とその人の妻が言ったのには驚いた。
そんなネガティブな経験も加わって、人生の最後の最後まで生ききる努力をした人々には常に深い尊敬を抱く私なのだ。 このHPを開いた当時、きっかけのひとつとなった若い友人も、最後を受け入れているようで、実はどこかでは未来を諦めていた。 もう来年はいないと思うから余分なものは何も買わない。そんな風な感じ。 当時自分の人生において精神的にも瀕死の状態だった私は、短い時間だったが精神的に誰よりも彼女と濃厚な関わりを持つことになる。 ある日、彼女は翌年のカレンダーを買った、とHPの日記に記した。 それはひとつの明るさで、未来の自分へのひとつの方向でもあっただろう。 あれからもう8年。 今ならもっともっといろいろできたかもしない。 あれから身を持って肉体、精神、感情の関わりを学び続けた。そこから更に実践できる部分があるかもしれない。 ただし、現在の私はそれを実践するのは最後の時ではなく、生き生きとした肉体と精神が残っているうちに、という方向性を選んだ。 それはまた私自身の生き方への選択のひとつでもある。 死と向き合えないのは結局、今、この瞬間をしっかり生きてないからではないか、と想うこの頃なのです。
がんばって生きます。
写真:月山にて。 変容するのはこの生物の特徴。 成虫は時に魂のシンボルとされます。 変化ではなく変容というのがポイント♪
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