最初に出会った「考える人」の前ではそのポーズをとります。 左手はそのまま左ひざに添えられていますが、 右腕は折曲がってあごに手がいき、そのヒジは右でなく左のひざに行っています。 よほど注意しないとこのポーズは取れません。 しっかり見る(観る、診る、看る)ことの大切さを実感したことでしょう。 「考える」という仕草は、このように人間の身体を折り曲げることになるようです。
ブールデルの「弓を引くヘラクレス」の前では誰いうとなくポーズが始まりました。 外国人夫婦が二組、ニコニコ笑いながら盛んにカメラを向けていました。 「地獄の門」の前にはみんなで行きました。 「あ、子どもがいる」「お母さんが子どもを抱いている」「背中にも赤ちゃん」 「あれ天使じゃないの」「骸骨もある」「みんな泣いている、哀しそうだね」 「考える人がいるよ」 「ここにはアダムとエバもいるけど?」 さかんにさがしますが、それは門ではなく作品の両側に立てられています。 「なーーだ、それか」「じゃー こっちがアダムで、そっちがエバだね」
彼らをもっとも引き付けたのは宗教的な作品です。 出かける前に学んだ「ソドムを去るロトとその家族」(ルーベンスの構図に基づく) 「最後の晩餐」(マールテン・フォス) 「十字架のキリスト」(エル・グレコ) 「ゲッセマネの祈り」(ジョルジョ・ヴァザーリ)・・・ ストーリー性があるのと写実的な作品は分かり易いのかもしれません。 「あれがロトで、横が奥さん。後ろが娘だね」「天使がいそがせているみたい」 「この財布もっているのがユダ! イエス様見てないもん」
色彩が淡く綺麗な作品の前では、「これほしい」「これがいい」「これいくらするの?」 「そうだね、10億円か、30億円くらいかな」「え?80円で買えないの」 ミレー、クロード・モネ、ルノワ―ルなどは毎年高人気です。 mくん「この色綺麗だね」 そういえばモネの「睡蓮」「船遊び」の下敷きを買ってきた人も4人。 シャヴァンヌの「貧しき漁夫」の前では、「魚とれないのかな?赤ちゃんと一緒だよ」 マニャスコの「嵐の海の風景」では、「この人たちは網を上げているんだ。ロープ引っ張っているもん」(よほど気をつけないと読み取れないのに) スーチン、ルオーの前をとおると、最後の部屋は現代の絵画です。 ピカソは貸し出し中でしょうかありませんでしたが、エルンスト、レジェ、デュビュッフェには親近感が沸くようです。「ぼくにもあれなら描けるよ」の声も。 中心部に飾られているミロの「絵画」には、息を呑むのが分かります。 案の定、売店では「絵画」を指差す人が数人。
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