徒然なるままに・・・ | admin |




ここは、百年経った物入れ蔵の屋根裏部屋。

草象庵 庵主 K氏からの「風景の便り」をお楽しみ下さい。

 2012/02/04  断捨離の意識があったわけではない

数年前、親の遺品をすべて処分した。断捨離の意識があったわけでは
ないが、家にモノがあふれることが苦になっていた。若いころ買い集
めていた骨董というより膨大なガラクタも全て処分した。リサイクル
センターや大型ごみ処理施設の市の職員と顔なじみになった。

親の遺品のなかに九谷のブランドの須田精華が何十客と未使用であった。
それは残してもよいかと思ったが、使わないので処分した。さすがに
ごみではなく安価に処分した。
須田精華はブランドとして今もある。老舗の店で売られるそれを見て
驚いた。これがあの須田精華かというくらい。最も良い時代の須田精華
の物を処分したかもしれない。

考えてみれば世界に冠たる工芸品の王国だった日本は今では跡形もない。
漆器の産地も総崩れ、西陣も友禅も、伊万里も、そして地域の籠やザル
や建具といった身近なものさえも。
日本にしか存在しない唯一無二の文化が崩壊しているのを気付かずに居る。
気付く必要もないのだろう。
今も人間国宝は多くいて日本伝統工芸展には工芸の最高世界があるという
かもしれないが、それはジャンルで日本全体の文化ではない。
驚くこともなくそういう時代。
あるときあるフリマ行ったら、それは始めてのフリマだったのだけれど
ウブな小道具が多くてびっくりした。ウブというのは民家や倉から出た
ばかりで値の付いていないものの意味である。玉石混交、いろいろな
ものがある。しかしどんなものをとっても、ガラクタの類の徳利にせよ
火鉢にせよ籠、古着、古い椅子、ブリキの漏斗やただの木箱、ガラス瓶
少し前の時代の物だから物としての存在感、つまり持っている情報量が
多いことに驚いた。
今のものは鍋釜、器や家電にしてもすべて中央でプロデュースされ
デザインされ、オートマティックに作られるから百パーセントの商品で
アートの要素が無くなっている。国内で作られるものは機械の量産で
まだ洗練はあるが、海外の生産はそれすら危うい。
しかしそれを嘆くのは老いの繰言なのである。
この世の実態はアナログで出来ており、人間世界もその一環としてあった
が、今は人の世界だけがデジタルに遊離して存在する。そんな時代の
それだけの話なのだ。
ニ三十年前まではただの雑用品だったものが、いま見ればアートにさえ
見えるというのも、せめてこんな時代だからアートとしてプレゼンして
みようと思うのである。
 2012/02/02  受容とコピー(模倣)はまったく違うもの

受容とコピー(模倣)はまったく違うものである。

受容性とは引きの姿勢で、コピーは一歩も引かない姿勢が出るもの
だから。
アピールとプレゼンが下手で外交交渉が下手で敗者の美学、引きっ
ぱなしの日本は受容性で独自の文化と独立を保ってきた。

ユーラシア大陸の東の果ての孤島である。原始太古からいろんな
民族が入っていた。そのすべてを受容し、理解して元の文化の中に
溶解し、国家としての尊厳もプライドもなく、それだからこそ
日本は持続し文化の崩壊もなくここまできた。あらゆるものが
流入し、模倣ではなくて深く受け容れてきた。

仏教が日本に入ったのは教科書的には六世紀だが、それよりずっと
前に入ったと考えるのは自然で、人が移入すればその信仰も必ず
入る。道教の神仙思想なども入っていたし、そのころイスラム教は
この世にまだ存在しなかったが、キリスト教は五六世紀ころには
日本に入っていたという説がある。とくに京都の渡来人秦氏の関連で。

これは百パーセントありうる話で、中国には西域から移った景教徒が
多く居たからそれが日本に入るのは当たり前なのである。景教とは
キリスト教ネストリウス派で、派というと末梢で異端のように響く
がローマカトリックヨーロッパがヨーロッパ化されて広がったのに
対し、ネストリウス派はイスラム化される前の中東に普及していた
むしろキリスト教の本流と言ってよい。聖徳太子の伝記にキリスト教
の影響が見られるという説は不自然ではなく、これはもちろん模倣
ではなく受容で、比叡山に景教(キリスト教)の教典があって空海
も親鸞も読んだ可能性があるというのも当然。日本の仏教が
キリスト教の影響を受けているというわけではなく、学僧がいろいろな
思想を研究するのは当然で日本仏教の受容性なのである。

仏教徒だからの受容性ではない。日本という島に住んでいるから受容性
が深いので、そのことはエコロジ―の一環。

一神論ではなく汎神論ゆえの受容性で、宗教としての汎神論ではなく
、この島国の位置と自然が汎神論的風土を持っていた。
そもそも、この国の受容性は一神論、汎神論を越えている。

西欧とイスラーム、中国、朝鮮韓国の受容性は低かった。西欧も
今ではキリスト教世界から抜けようとしているし、とくにフランス
のような国はもともと汎神論的カトリックの洗練を持っているから
やわらかな受容性はあるけれど、アメリカのプロテスタンティズム
にはなく、対立するイスラームにもなく、国家主義の中国、朝鮮韓国
にもない。そこにあるのはコピー。

子どもの頃、日本も欧米から模倣大国と言われたのを覚えている。
幼いころには「舶来」の、欧米の製品でなければだめだと言われて
いたのに自動車も家電も欧米の技術を盗みとるようにしていつの間にか
日本は最先端の工業化に成功した。明治維新後の欧米化も模倣でコピー
に見える。しかしそうではなく、日本的解釈の受容だったのである。
この国にプライドはなく、プライドが無いから気遣いはあって、当時
の技術先進国と駆け引きをしながら独自のものを築いた。

中国韓国は高いプライドをもつから理解と受容ではなくコピーする。
コピーに駆け引きがなく、一方的で相手に頭を下げる必要もない。

韓国のスーパーに行くと日本のコピー商品が並んでいるが、理解解釈
されたものではなく完全に同一のものだから韓国がコピーしたのではなく
日本人のほうが模倣したのだと言うことにすれば韓国人の心情になんの
問題もない。今では日本人も日本のほうがコピーしたのだと言う人がいる。
特に韓流にはまる人たちには。

日本の若い人は海苔を元々韓国のものだと考えており、海苔巻きでさえ
韓国の食品と考える人が増えている。

逆に技術面では韓国にも中国にも未来はないということなのである。
コピーであって受容ではないから。
ただしデジタル化された今ではすべてをコピーし続け、コピーの持続で
社会を維持することは可能なのかもしれない。
中国は資本主義のコピーの持続で国家の体制をどうにか維持しており
これからは民主化のコピーでそれを維持することも可能なのかもしれない。
嘘でもニセモノでもそれでゆけるならかまわない世紀に入っているのだろう。

その究極は有象無象、なんでもありでなんの対立もない新しいエコロジ―
と言えるのかもしれない。野放図な情報エコに端を発した新しい価値観なの
だろう。

アナログな伝統の深い日本は従来型のエコ風土だったが、これからはどうか。
日本が日本としてあり続けるのか、と思うこと自体、無意味かもしれない。
 2012/01/28  世界遺産などに振りまわされず、日本は独自にプレゼンすべきだ


 
ユネスコの世界遺産は失敗した制度と言われている。ほんらいは
ヨーロッパから提案されたものが、はじめは何と言うことはない
工場や無線局の建物だとか、鉄道や近代の運河だとか石柱だとか、
世界的でもなんでもないものもホイホイ登録していたために登録数
が増えすぎて、その後、審査を厳しくし数を制限したら世界遺産は
ヨーロッパに多くなり地域の偏重が起きて、それはけしからんと
政治力を打ち出し裏工作する日本近隣の国々の登録も認められたりで
めちゃくちゃな制度になってしまった。もう後戻りもできない。

日本は世界遺産になってもよいものだらけの文化遺産と自然遺産の
宝庫だが、政府も民間も世界遺産に情熱が向けられないまま世界の
孤児で諦めている。ありていに言えば白神山地や石見銀山や平泉より
前に世界遺産にふさわしい場所は多くあるが候補申請すらしていない。

そもそも日本の国宝や重文の制度と違い世界文化遺産は欧米人の発想
だからテーマパークのように演出の入ったものでもよく、むしろその
ほうが管理が行き届いていると評価されるらしい。環境を整えれば
レプリカでもよく、日本でも戦後復興された沖縄の首里城も世界遺産に
なっている。大阪城天守のようなコンクリートのものでも早くに申請
していれば世界遺産になっていただろう。それより前に大阪城は
ピラミッド並みの壮大なあの石垣だけで今でも世界遺産の価値が
十分にあるのだが。

そんなわけで世界遺産に見切りをつけた日本政府はイニシアティブを
握ろうとユネスコに無形の文化遺産制度を提案した。形のないもの、
つまり行事や技術を文化財にするという発想は他の国にはなく、とくに
欧米にはなく、民族行事の伝統技術の豊富さでは日本は奇跡の国だから
それで巻き返せると考えたのかもしれない。

ところが制度はできたものの、それも日本はリードできずに乖離があった。
有形の世界遺産の失敗の反省からヨーロッパ中心の本部は無形遺産の
登録数を一国いくつかに制限すると言って驚いたのは日本で、いくら
無形遺産の宝庫といっても登録数が十や二十ではほかの国と横並びで
プレゼンにつながらない。
その交渉がどうなったかは知らないが、日本が提案しながら日本の思惑
通りに行かなくなったのは確か。

そうして世界無形遺産の制度が出来ると俄然張り切ったのはれいによって
中国韓国である。韓国などは民族行事がほとんどないから、たなばたの
行事を世界遺産にしてもらったはよいが、それは中国の行事だと言って
中国から訴えられたりした。韓国は韓流ドラマのようにプロデュースの
入った宮廷料理を世界遺産に登録し、フランスもフランス料理という大き
なくくりで無形遺産になっている。それを真似て日本料理も登録申請しよう
と言う動きもあって、こうなるとなにが遺産なのかわけが分からない。

提案して制度ができたものの日本の思惑とは違うほうに走り始めた「無形」
の定義も枠組みもあいまいで、無形文化遺産もおおかたの日本人は興味を
持てないでいる。日本のもので決定済みは能や歌舞伎、雅楽のような
メジャーな伝統芸能からアイヌの行事まで、あるいはほとんどの高度な
伝統工芸をさておいて石州和紙や結城紬など、これもめちゃくちゃでわけが
わからない。ほんとうに世界に紹介したい独自の民族行事などは見返りも
されない。
広島北広島町の壬生の花田植えはかならず申請登録されるだろうと思って
いたらその通りになった。地元の広島でも見向きもされなかったこの行事は
かつて日本の各地にあった田楽の形をよく残していると言われて学術的には
有名だが、地域おこしの元祖のように昔から演出されたイベントだった。
全国の民族行事と祭りをカメラ抱えて見て回った岡本太郎が、くだらないと
言って怒ったことは忘れられた。
ここに日本の祭り図鑑という本があって、全国二百の祭りが紹介されて
いるが、海外の人が見たらびっくりのフィギュアのような奇怪な変装の
繰り出す祭りばかりですごい。現代の演出の入らないオリジナルなもの
ばかり、しかもほとんどが地域に埋もれたように無名のまま今もある。
もっと多くの奇祭が工業化近代化された日本にはあるのだから、これは
ほんとうに奇跡といってもよい。
世界遺産などに振りまわされず、日本は独自にプレゼンすべきだ。




 2012/01/27  村上隆の朝日新聞のインタビュー記事を読んで


村上隆の意見は百パーセント正しいと思い記事を同封しましたが、
しかし、村上隆の言うように日本がなればそれは日本のアートシーン
が西欧などと同じになる。日本が日本らしくあるなら日本のアートは
滅びるなら滅びても良いのかもしれない。滅びの美も日本らしさでは
あり、アートの本質があります。

市立大芸術の若い優秀なアーティストと話すとあらためて驚く示唆が
あります。彼らはある意味アートに関して楽観しており、アートの存在
を当たり前に思うようですが、このような時代にアートはなくても良い
もので必要としない人々、民族も多いということを知るべきでしょう。

そしてアートは普遍でグローバルなものと考えているようですが
(村上隆もそうです)マツリがほんらいローカルで「地」に根ざした
ものであるようにアートも「地」なしでは存在し得ない。一種のマツリで
信仰ですから。

そういった意識は若いアーティストにはなく、あくまで個人の製作という
考えですね(若いからかも)。

ヒバゴンをテーマにア―トした展示を吉島でやっていましたが、アーティスト
個人の勝手なイメージがあるだけでヒバゴンの背景、たとえば東城の町や
地域などについては一分の知識もない。
これは例えて言えば宮島の銘菓をプロデュースするのに宮島の知識のまったく
ないデザイナーやプロデューサーを東京から呼んで開発するようなもので、
ビジネスならそれでもかまわないが(ほんとうにそれでよいのか)、アートは
無意味。なぜならアートはビジネスではないから。そういえば村上隆はアーテ
ィストではなくビジネスマンとして書いていたようにも。

ぐうぜん廿日市桜ピアで市立大芸術の作品展を見ましたが、そのとき感じた
のは作品の情報量の少なさで、情報量の中身は色形や技法や作家自身の哲学
やいろんな意味がありますが、伝統と「地」の情報ということは大きい。
音楽にたとえれば電気の要素の多いポップよりクラシックのほうが情報量が
多いので、車のラジオを付けるとどうしてもクラシックを聞いてしまうと
いうようなことです。

そしてアートをグローバルなものとして考える若い人たちは、西欧の文化と
衝突する要素があるとすれば、西欧vsアジアと考えて、アジアのほうに
中国韓国日本があると考えていることも驚きです。韓流があふれる時代の
若い人は日本と韓国が一体という錯覚があるのかもしれない。

日本という国はほんとうに特異で、「西欧と中国韓国vs日本」なのに
そのことも知らない、もしくはふたをしようとする。村上風に言えば、
それゆえ日本は中国韓国にコンテンツを利用されて終わる。
西欧、中韓と日本の違いを一言で言えば前者はエコではなく日本はエコで
あるということです。

たとえば日本では男は男、女は女、子供は子供、鹿は鹿、森は森、と
それぞれの立場と身分を認める文化でしたが、西欧中韓国は人間中心ーーー
と言うより男中心で、女の立場も子供の立場も犬や鹿の立場もない男社会
でしたから今では男女平等で女の男化が進んでいる。つまり男女の関係も
「関係」(エコ)ではなく個人と個人の力関係でゆける社会ではそれでも
いいのです。女が男化しようと男の下位であろうと関係は交渉と力関係です
から行動で恋愛も成立する。西欧中韓国の女の人は何歳になっても夫や恋人に
対して女を強調する服装その他に努力しますが、それは男化社会のアクション
です。

しかし日本は男は男で、女は女で、両者のあいだに存在する「絡み」として
恋愛なども成立していましたから、そのエコ関係がなくなり絡めなくなると
恋愛も成立しなくなる、といった現象が今の日本で起きているかもしれません。
宮島の観光客が鹿と絡めなくなり、鹿の害を言うようなもので。

同様にアートが成立出来なくなっているかもしれない。

ひろしま現代美術館にシャルロットぺリアン展を見に行きましたが、わたしは
ぺリアンを知りませんでした。コルビジェの弟子で前川國男などと親交があり
日本が戦争を始めていた時に日本政府の招聘で日本に来て民藝の面々などとも
交流しいろんなイベントをやっていた、ということをこの展で初めて知った、
というのも不思議です。
ホールで講演をしていて終わりのほうをほんのすこし聞いただけですが興味
深かった。コルビジェがノマド(移動人)で垂直指向のデザイナーで、厚い壁
を作ったりその壁の中に装置を取り込んだりするのに対し(西欧中韓国の発想)、
ぺリアンはドメスティック(定住)で、水平指向で装置は置いたり引っかけたり
する人。講演者はこれを男と女の違いで言っていたように思いますが、ぺリアン
はもともと日本的な志向をもっており、エコな人ではないかと感じた。
 2012/01/25

五十年前に堀江健一氏がヨットで単独太平洋を横断したころは月世界
にでもたどり着いたように騒がれたものだ。しかし今では時間と多少の
お金があれば、ヨットでアメリカに行くのは車の運転より易しいと経験者
はいう。ありとあらゆる機器がそろっているから。

洋上で位置を決めGPS、自動操舵、障害物や他の船が近づけば警告して
くれるレーダー、浅瀬や暗礁を警告してくれる魚探、衛星電話、あらゆる
ソフトの詰まったパソコン、その画像には天気図やありとあらゆる情報が
刻々と流れ・・・

いわんや十万トンのクルーズ船が好天の日に座礁沈没などありえない。その
事故をニュースで見て仰天したが、世界中の船に詳しい人はみな首をかしげた
ことだろう。
事故後の船長とクルーの信じがたい不手際はイタリアならありうるだろう。
昨年の夏に久しぶりにイタリアに行き、なにが何でも仕事をしたがらない
イタリア人のふてぶてしい態度にあきれたことがある。

黄色い煙突が高く古風にそびえるコスタクルーズの船はヨーロッパではおなじみ
だ、ベネチアのホテルの食堂から目の前の運河を十万トンのコスタクルーズ船が
花魁の行列のように堂々としずしずと進んで行くのを見た。
それにしてもどうしてあんな巨船が、航路を外れ陸地に近付いていとも簡単に
暗礁に乗り上げ、少々では沈まないはずの構造にあっけなく大穴を開けて半沈
してしまったのか。不思議でならなかったがその後の報道でなるほどと思った
ことがある。

西欧には船とボートの文化がある。ベネチアでも北イタリアの湖上でも、南
フランスの港でも北フランスの港でもたくさんのボートとヨットと船が、
美しく走り美しく泊まるのを見た。そしてそれを眺望する文化がある。

先日ぼくは宮島の海がパノラマの美しい一室に泊まったが、目の前に海上には
島に渡るフェリーだけがぽつんと見えて、船とボートの舞う姿のない海を
寂しく思った。せっかくの晴れ舞台なのだ。

ぼくがヨットに乗っていたころ、宮島の大鳥居の近くまでヨットを寄せる
楽しみを持っていたが、一度など船底かた突き出すキ―ル(羽根)を遠浅の
砂地に突きさせ困ったこともあった。
イタリア人は仕事をしたがらないが、サービス精神は旺盛なのである。
巨大船を超法規的にコ―スから逸脱させ、風景の良い陸地のきわまで寄せて
客を喜ばすパフォーマンスが常態化していたらしい。もちろん万にひとつ
のリスクを伴うから日本人の船長なら絶対やらないが、融通の利かない
ヨーロッパ人もエンターテイメントの演出には熱情を持っており、いわんや
船やボートのそれなら。

事故が起きたジリオ島は景色も良く島自体が観光地で、自動操舵やあらゆる
機器を手動にし陸地に寄せることが船客にとっても島の観光客にとっても
劇場型の楽しいイベントになっていたらしい。島に近寄り挨拶の汽笛を送って
くれるコスタクルーズの船に島の長は感謝状を贈っていたくらいだという。
それで思い出すのはイタリアのフェリーニの映画、「アマルコルド」。二十
世紀初頭、良い時代の豪華客船が、リミニの町(フェリーニの故郷)の沖を
夜間に通過するとき、巨船は速度を落とし全灯火を輝かせて汽笛を鳴らし、
リミニの市民に挨拶するシーンがあった。市民群衆は海岸に押し寄せ、あるいは
ボートを海に漕ぎだし、手を振り、帽子を振って船の挨拶に答える。
コスタクルーズの船長も同じように夜間、いつものようにその映画的シーン
を見せようとしたのだろう。ジリオ島に寄り、いつものように岩礁すれすれ
に通過できると考えたのである。

それがなんのはずみか岩礁に当たってしまった。それでも船長はあわてなかった。
当たったくらいで沈むはずがない。フル全速で前後に揺らし、トリムの調整で
左右に揺らせば岩礁から逃れられると思った。ぼくもヨットの経験があるから
心情はよく分かる。
船長は「海図に載らない暗礁があった」と幼稚でばかばかしい言いわけを漏ら
したらしいが、その真意は「船に食らいついて離れない想定外の暗礁にパニック
になった」ということだろう。
座礁し船が傾き始めるまでの一時間、「故障」の船内放送だけで船客を避難させ
なかった不手際と罪が問われているが、船長は離礁できると考えて一時間を
かけてその作業をやっていたのだ。

ほんとうはじっと動かずに救援を待てばよかった。さらに言えば全乗客を避難
させておくべきだった。トラブルを回避できると考え余計な動きをしたから
文字通り墓穴を掘り最悪のケースになった。
以上、一部はぼくの空想だが、決して不可解な事件ではない大事故だった。

日本ではありえない。そもそも船の劇場型エンタメもドラマもありえない。
まったくないわけではない。宮島口と宮島を結ぶフェリーの航路は宮島に向
って左から、@松大フェリー宮島口行き、A同宮島行き、BJRフェリー
宮島口行き、C同宮島行きの四航路が並行している。西側に寄ると厳島神社
がよく見えるが、東側三航路は西側に出ると他の航路を侵すから逸脱できない。
いちばん西側のJR宮島行き航路だけが本来の航路をはずれ、大鳥居の沖まで
寄せて宮島港に入ることができるのである。JRはそれを売りにし、乗客にも
喜ばれている。

違法ではないからそうしているのだろうが、定期フェリーが常態的に航路を
はずすことがほんとうに合法なのか、のんきな広島だからの解釈なのかは
分からない。せいぜい西側に寄りすぎて牡蠣のイカダに乗り上げないように
と思う。今では二本でゆいいつの「鉄道連絡船」のJR宮島フェリーだが。
 2012/01/19

ここに欧米で活躍されている指揮者で作曲家の森本恭正氏の書かれた
「西洋音楽論ークラシックに狂気を聞け」という親書がある。はじめから
終わりまで目からウロコだらけの一冊で、とくに西洋の音楽と日本のそれ
がいかに違うものであるかは読み終えてはっきりする。

運動会などでやる行進が明治以前の日本にはなく大名行列もただだらだら
歩いていただけで、明治になって日本の軍隊が西洋のそれを真似て行進と
いうものを導入したくらいはぼくも知っていた。どうして西欧やトルコや
イスラームに行進があったかといえば、兵士にしても奴隷にしても太鼓に
合わせて行進しなければ気持ちをひとつにすることができなかったから。
日本人は戦いに向かう雑兵もだらだら歩いて何の問題もなかった。
森本氏によれば欧米人は行進を始めるとき左足から前に出すそうである。
日本人は右足から始めるから同じ行進も日本と欧米では今でも違うらしい。
一般は右足が利き足で、日本人はいきなり利き足から始めることができるが
欧米人はそれができないので左足でワンクッション置いてからのスタートに
なるのだという。ベート―ベンの交響曲「運命」のダダダダーンの前に休符
がついているのは有名。これ以上触れないが、西欧の音楽と日本の音楽の
違いということに通じる。

「君が代」で戦争はできない、という話もおもしろい。国歌は国威高揚の
ために有る。ありていに言えば戦争のためにある。ところが世界中の国歌が
西欧の音階で出来ている中、ゆいいつ日本独自の音階で作られている「君が代」
で戦争はできないという話。なぜかといえば西欧の音楽が左脳の音楽で
あるのに対し、日本の音楽は右脳でできているから。左脳は「わたしは」と
いう自己意識の脳だから、他者、さらに言えば敵を意識し自己中心的に
作ったものが国歌。スポーツの世界大会で国歌が必ず奏されるのは模儀戦争
だから。他者も敵も意識しない日本人の耳の作った「君が代」では環境融和で
戦争はできないという。

そもそも左脳の「理」でなく、右脳の「感」でできている日本の音楽は西欧的
には音楽とはいえない。自然のノイズを人の声や楽器で模写しているだけで
あり、言い換えれば自然との共生で、これも日本独自のエコの音の芸術である。

自然と対立し、他者を意識するのが西欧の音楽とすれば西欧の音楽をやっている
妻も娘も自己中心で他者を敵としているのか。ある意味そうかもしれない。
エコロジ―ではない。だからこその西欧クラシックのこれからの展望をこの本は
書いている。

うすうす感じてはいた。アフタービートで、つまりスイングさせて演奏する
ロマン派以来のクラシック音楽が西欧で退潮気味で、古楽アンサンブルのような
演奏がはやり出していることや、西欧以外のエスニックな音への願望など(スイ
ングを黒人のものと考える人がいるが、あれは西欧白人のもので、黒人が白人の
音楽を演奏しているだけ。今のラップミュージックは黒人の音楽)。

ひところ日本の古典音楽など欧米人には音楽とは言えず嫌悪以外のなにものでも
なかったらしい。西欧音楽の仕組みとはまったく違うから、その意味では繰り返
すが邦楽を音楽とは言えない。欧米人には不快だったはずのその音に、昨今は
注目が集まっているともいう。
ぼくは無自覚なエコロジストだと思うが、音楽は西欧のクラシックを好んで聞く
(聴く量は少ない)。そしてアフタ―ビ―トの効かない、すぱりとした(竹で割
ったような)今風の演奏のほうを好んでいるように思う。日本人はそうした演奏
が特異なように思うが、森本氏も今後のクラシック音楽へのアジア人の可能性を
説く。しかし音楽性はまた別の問題で、最後は個性にゆだねられる。
個性という自己主張プラス共生の融和のエコ心情が必要だろう。
 2011/07/30  国際情勢に理はなく力関係

中国が日本とドイツの技術で導入した新幹線をアメリカに特許申請
したことに日本人は驚愕し、あきれ果てたかもしれないが、国際関係は
正義ではなく力学だから欧米中韓の感覚なら当然で、欧米のような洗練
された社会ならそこまで露骨にはしないが、一党独裁の中国はそれくらい
はする。尖閣諸島や南沙諸島を一方的に自国領土だといい、勝手に基地
を作り既成事実にしてしまうのと同様である。新幹線の特許申請をされた
アメリカも日本に気を配りながらも新幹線を導入するのに安いに越した
ことはないから中国の特許申請を受理する可能性がある。繰り返すが
国際情勢に理はなく力関係だから。

防ぐ手段はある。肝心な部分をブラックボックスにすればよかったのだ。
欧米の技術供与はそれをするから、中国の特許申請を日本がくやしがった
ところで日本企業が甘かっただけで文句を言えない。日本とドイツの技術
と言うがドイツは新幹線にあまり関与していないだろう。ドイツなら
それなりの対応をたてているはずだから。

新幹線を輸出しても維持管理、運用を日本からの派遣でなければできない
システムにすればよかったのである。日本人技術者をヘッドハンティング
されれば終わりと言うかもしれないが、その為の主要ソフトのブラック
ボックス化だ。

広島電鉄は市内線用低床電車をドイツジーメンスから数編成輸入した。
しかし維持管理はドイツ人技術者でなければ出来ない仕組みにされて、
それも面倒だが電車自体日本の実情に合わないいくつかの欠点を持って
いた。たとえば運転手のミスで電停を過ぎて止まるのを防ぐために
時速五キロ以下の速度で自動停止するシステムになっているが、運転手
の職人的能力で運行したい広電には合わない。自動停止は停止のショック
が残り、繊細な日本人の感覚ではなく融通も利かない。いくつかの欠点
をおぎなうために今は国産化し改良した低床車を使っている。真似を
されたジーメンスは文句を言えない。低床車のコンセプトとアイディア
に模倣はあるが、改良のための技術もデザインも日本独自でジーメンス
とは無関係だからである。

中国が中国独自の技術で日本の新幹線を進化させたというならそれも
ありだろうが、それだけの技術を持っているとは思われない。
デザインも日本の新幹線そのままである。

大連は日本領だったころの伝統で今も路面電車が走っており、ジーメンス
の低床車「コンビ―ノ」のコピーが町を走り、それに乗ったことがあるが
(初めはジーメンス製かと思った)、デザインはコピーしても中身は
中国製ののろのろギクシャクの電車だった思い出がある。

第二次世界大戦中、日本とアメリカの戦闘機は両者ともにドイツ製飛行機
エンジンのコピーを載せて戦っていた。しかし言うまでもなく日本と
アメリカの戦闘機は全くの別物で、ドイツの戦闘機とも違った。
エンジンを改良発展させて馬力で飛ばすアメリカとは対照的に日本の
戦闘機はハル(機体)が優れていた。軽金属の質と設計技術である。

戦後、日本の自動車産業は飛躍したが、ダイムラーベンツなど当時の
高性能車を輸入し、ビス一本に至るまでバラバラにして模倣すること
から出発した。模倣以前に初めは工作機械そのものを欧米から輸入
しており、使い方も分からず欧米の技術者をヘッドハンティングして
盗むように学んだ。今の中国と同じようにである。

しかし初めは模倣でも日本人の味付けと改良があり、日本の車は良くも
悪くもどこの国でもない日本車である(あまりにも日本独自の進化なので
携帯電話とおなじようなガラパゴス化だと揶揄される)。しかし中国や
韓国の自動車はメカもデザインもほぼ他の国のコピーそのもの。
第二次世界大戦を自国製武器で戦ったことのある国とない国の差はじつは
根本で大きい。

日中戦争で中国は米英製飛行機と戦車を使っていた。
現在の先進国は途上国への武器輸出が経済の一端を担っているが、先進国
では日本だけがカヤの外に居る。日本の潜水艦や戦車を欲しい国はあるが
輸出できず、むしろ日本はアメリカから買わされている側。

武器輸出こそ当然ながら肝心な部分はブラックボックス化されている。
つまり軍艦や戦闘機を輸入した国と戦争ができない。むかしでいえば
植民地と宗主国の関係にある。国際情勢はその枠組みと関係で見る必要
がある。

海上自衛隊は現在の邦貨に換算して戦艦大和、武蔵の二艦分の膨大な
建造費でイージス艦六杯を建造し運用しているが、肝心のイージスシステム
はアメリカのコントロール下にある。つまり日本は宗主国アメリカに
メンテしてもらっているのだ。ボーイング製の警戒機なども同様である。

鉄道という戦略的なものを中国に輸出するならそれくらいの覚悟で
すべきだったのだろうが、中国との今の力関係では無理。新幹線は
初めから輸出などしなければ良かっただけの話なのである。

イージスシステムをアメリカから買わされている日本の海上自衛隊は
悔し紛れか艦そのものの形状は日本の独自色が強烈で、「あたご」
クラスは現代の軍艦では世界一古風で美しいと世界の軍艦マニアに
言われている。

先進国といえない中国も今では米英露仏につぐ世界第五位の武器輸出国
である。中国の武器を積極的に欲しいと思う国はないからアフリカと
アジアの最貧国にバーゲン価格でばらまく。金額では五位でも総量は
膨大だろう。
ほかの先進国に気を配り武器輸出のできない日本はベトナムに原発を
輸出する契約を結んで、数兆円という金額以上の意味に狂喜した。
中国を嫌い韓国との関係が深いベトナムが極端に言えば日本の配下に
入ると言うくらいのミッションだからである。それがこのたびの震災の
影響でご破算になっている。あまりニュースにもなっていないが、東
アジアの情勢と力関係を考える上では恐ろしく大きな事実だ。




 2011/07/26  厳島神社と鹿苑寺からみえるもの

宮島に大元公園という幻想的な地があり、静かな谷で海が前なのに
大木の林が有る。宮島水族館の近くで国民宿舎「杜の宿」のそばだが
人はあまり行かない。
大元神社という小さいがただならぬ品格を漂わせる社があり、伝承で
は厳島神社はもともとここにあったという。とすれば厳島神社を今の
場所に移したのは平清盛である。

厳島神社が海中の干潟にあるのは島そのものが御神体で、それを
穢さぬよう海上に建てたのだとよく説明されるがそれは違う。
厳島の浦々陸上に多くの神社があり、それは太古から有ったはず
だから海に建つ厳島神社が例外。

平清盛が厳島神社を海に建てたのはそれが浄土庭園の御殿だから
である。厳島神社は平安の寝殿造りをさらに大がかりにしている
が、寝殿造りは海に見立てた池に張り出し水上にあるように設計
される。浄土を表現した宇治の平等院鳳凰堂も平泉毛越寺の阿弥
陀堂も水上楼閣に見えるように建てられていた。
そして海というが厳島神社があるのは干潟であり、むかしは干潟
は陸上の延長でもあった。今は周囲を石垣の護岸に囲まれている
から海と陸の境が分かるが、中世までは陸から砂州(ビーチ)を
経てなだらかに干潟に移行していた。
最大四メートルの干満により、干潟は海になったり陸になったり
あいまいな世界であり、浄土世界には理想の場所である。

そして古代の干潟は生活の場でもあり港でもあった。今の我々には
港に水深が必要と考えるが、古代に船は満潮時に侵入し、干潮時に
は船の座る干潟が主要な港でそこには必ず神社があった。

平清盛にとって宮島は情報センター、流通センターで、厳島神社
はこの世の浄土だったのである。
清盛は記録で十一回厳島に通っているが、じっさいにはもっと
多かっただろう。清盛の弟の頼盛は記録で二十回である。
高倉院も後鳥羽上皇も平安鎌倉の貴族たちも厳島参詣をしたが
金閣寺を建てた将軍足利義満が厳島に行ったことを最近まで
知らなかった。詳しい記録も残っているのに有名な話ではない。
日本史上どんなに重要な島だったかを宮島はもっとアピール
してもよい。
義満はそうそうたる守護大名を従えて京都から船で行ったのである。
厳島参詣のあとは山口の三田尻(防府)で大内義弘と会い下関まで
行ったが、権威の誇示と地方巡察の意味もあったのだろう。

古今東西ベストの庭は総合点で六苑寺(金閣寺)の池泉回遊庭園
と考えているが、そこに行くたびに南太平洋、南海の楽園を
イメージしてしまう。確実に瀬戸内海の風景だとは思う。金閣の
舎利殿は水上に建って見えるように設計されており、海(池)から
そびえる「潮音洞」に祭られているのは観音。義満も見たに違い
ない福山鞆の浦の阿伏兎の観音と同じ形である。

義満の宮島参詣が、金閣寺を建てる七八年前だと知り、義満自身
の瀬戸内海に対するイメージが鹿苑寺にはあるかもしれないと
思う。宮島には今よりたくさんの鹿がいたはずだから「鹿苑寺」
という寺名のイメージを宮島につなげるのは乱暴でも、古代中世
の人の浄土観に鹿という動物にとくべつな思いのあったのは確か
だろう。
 2011/07/03  フシ 

八畳と六畳、二間続きの座敷のどの部分にもむろん合板や新建材は
使われていません。日本の建築なので当たり前ですが、変容する
板目の美しい赤杉の天井板も、それを支える継ぎのない断面が繊細
な六角形の桟も柱もかまちも全てフシがありません。建具のどの
部分にもフシはなく、幅一間くらいで二間座敷に面した広縁は肥松
を張っていますが、これもフシはまったくない。

木というものは枝のあるのがあたりまえで、枝があれば製材すると
フシが出ます。にもかかわらずこれだけ木を使ってひとつもフシが
ないという日本人の繊細な審美のすごさをあらためて思います。

アメリカあたり由来のログハウスというものがあって、たまに
その中に入ると壁と床と天井の六方から木のフシの群れににらまれ
卒倒しそうな気分になります。それを「自然」というならそのとおり
なのでしょうが。

日本人はいつも自然に囲まれ自然を取り入れる生活をしていました。
しかしそのまま取り入れるような粗野なことはしなかったのです。
竹垣だって徹底的に素材化し吟味して手工芸の製品として作り
上げた。

太古から木造で建築をしてきた日本人はフシを嫌いました。
木を選び、あるいは木を育て、フシを作らないためには木がまっすぐ
伸びるよう森に手入れをし、枝打ちをし、工夫と努力を惜しまな
かった。

目障りなものを日本人は比喩でフシと言う。漆を塗るときにほこりが
つくと目立つのでそれをフシと言い、塗が乾かないうちに丹念に
拾い上げる「フシ取り」をするのですが、中国朝鮮などほかの国の
漆芸ではしません。そもそも中国朝鮮などの塗は螺鈿など加飾が
入ることが多いので最後は研いで仕上げることが多くフシ取りの
必要がない。日本人がフシ取りするのは塗そのものの柔かな美しさ
、つまり漆そのものの風合いを大事にするからです。

同じように、木で家を建てながら木には何の仕上げもせず木そのもの
の美しさを表現しようとするからフシを嫌うのです。木にはフシが
あるのが本来なのに、木の良さを強調するためにフシをさける工夫
をする。一見矛盾しているようですが、それが日本人の自然に対する
態度です。

欧米人は果物を加工して食べることが多いのに、日本人はそのまま
生食するので果物自体の甘さや味、見た目の美しさに固執し手間
ひまかけて育てる。同じようなことです。

日本でも漆がよく取れた地方では柱や建具に漆を塗る習慣のある
ところもあるのですが、西日本ではそういうことをしませんでした。

今では日本の家も新建材と壁紙と塗装の時代ですから、日本人の
自然観がこれからどう変わるかとおもいますが、自然との共生、
エコロジーからはますます遠のくのだろうと思います。
 2011/07/02

世界で最初に資本主義が成立したのは日本だと
どこかで読んだ。
広い意味の資本主義ならそうだろう。近代の資本主義が
成立したのはヨーロッパで産業革命が始まってからだが、
それより前、江戸時代の日本では豪商が方々に投資し
工場制手工業も盛んだった。
資本家と労働者の関係がグレーであいまいで規模が小さく
植民地もなく、日本国内にとどまった現象だから本格的
な資本主義と言えないだけである。

そもそも当時としては江戸時代の日本ほどサラリーマンの
多かった国はない。支配階級であるはずのサムライも
ほとんどがサラリーマンで、身分上はずっと下位の商人の
金融資本と無縁では生きられなかった。

どこの社会も封建時代に商人は下位に置かれた。社会の外に
位置づけられてさえいた。ヨーロッパで都市の内側に住む
ことのできる貴族以外の有力市民をブルジョワと呼んだが、
ブルジョワの生まれるより前、封建時代に商人は都市の中
に住むことを許されない時代が続いていたから、商人たちは
自治都市を築いて宗教はカトリックから決別しプロテスタント
の同盟を持った。あるいはユダヤ商人ははじめからユダヤ教徒
で分離独立した(差別された)「身分」だった。

そっくりな状況が日本にもあり、室町時代に勢力になった
とくに西日本の商人たちは、日蓮宗や一向宗(浄土真宗)の
同盟で連帯し、浄土真宗門徒は各地の交通の要地に自治都市
を建設した。寺を中心にする町で「寺内町」と言う。

その商人の力を積極的に利用しようと考えた封建勢力は信長
である。信長は寺内町の寺を城に代えて商人を集めた「城下町」
を考え、最初の城下町の安土を建設した。城下町は寺内町が
モデルなのである。戦国大名は新興勢力の一向門徒を警戒した
が、信長は寺内町を懐柔して門徒商人を利用した。

戦国時代、浄土真宗の中心は大阪の石山本願寺で、最大の
寺内町だった。それが商都大阪の起源である。
石山本願寺の跡に大阪城を築いたのが信長を継いだ秀吉で、
その秀吉の城を破壊して埋めた上に新しい城を築いたのが
家康である。城下の町人の重要性は一貫して変わらない。

秀吉が大阪城を築く前、信長は石山本願寺を攻めて和睦懐柔
するまでじつに十年かかった。信長も本願寺にはかなわなか
ったのである。

石山本願寺の背後に広島の毛利の支援があった。
信長は商人の勢力を利用しようとした最初の大名だが、瀬戸
内海に覇権を持っていた毛利はずっと前から流通で得た莫大
な経済力と軍事力を得ていたから、商人を武家とは無縁の
新興勢力という意識がなかっただろう。一向門徒に対する
アレルギーもなかった。

そういうわけで今も(!)広島は浄土真宗の牙城である。

広島の浄土真宗の合理性は経済人の合理性といってもよい。
城下町は安土が最初で、戦国時代にたちまち全国に造られたが
そのとき城下に呼ばれた商人を「町人」という。あとから
城下に入り商売人になったものは大きな商売をしても身分は
町人ではなく「百姓」。城下町以外の商人も「百姓」。
尾道の廻船問屋も「百姓」で、中国山地で多くの刀鍛冶を
配下に置く親方も「百姓」で、千石船のオーナーも「百姓」。
みんな資本家だが、身分は「百姓」。

町人は「町人」という身分で職種ではない。

町人は戦国時代から商業にかかわっていたので、江戸時代に
入ると情報と諜報に関係した者も多いらしい。全国にネット
ワークを持っていたからである。

石山本願寺の跡に大阪城を築いた秀吉は寺内をそのまま商業
の町にし、本願寺は京都に移転させられた。
今の西本願寺である。
家康は秀吉の本願寺対策を引き継ぎ、さらに本願寺の勢力を
二分させるために東本願寺を分離独立させた。巧妙である。

広島の門徒は本願寺派(西本願寺)だから家康に敵愾心があり、
防長(山口)に封じ込まれた毛利に同情を持っていた。
明治維新のとき、毛利長州のために裏で動いていた
というのはあまり語られない話である。

江戸時代の日本は海外との貿易がほとんどなかったが、それで
かえって閉じた国内だけの経済システムに濃密に洗練された
資本主義的な仕組みが出来上がって行った。維新でいきなり
世界に門戸を開いてうろたえる必要がなかった。

大名貸しの金融システム、米中心の投機による壮大な市場管理、
飛脚の迅速濃密な情報伝達、大阪江戸間の膨大かつ驚異的な
スピードの物流(日本の千石船は凄い性能をもっていた)、
各地に発達したタタラや工芸品などの工業制手工業、一般市民
が自由に出入りできる値札の付いた商品の並ぶ大店、など
すべて洗練された資本主義の姿である。

江戸時代のサムライは給与を現金と米で受給され、現金も
米相場と連動したから、米価が上がれば喜び、下がれば困惑
した。逆にお金でお米を買う庶民は米価が高騰すると困った
のである。その米価をコントロールしていたのはサムライでも
庶民でもなく商人だった。

今の世界は各国とも原油価格に一喜一憂するが、相場をコント
ロールするのは神でも仏でも偶然の流れでもなくアングロサクソン
(プロテスタント)とユダヤ資本が中心の投機家たちの思惑。

ヨーロッパの資本主義が資本家が労働者を搾取する階級社会の
枠組みにあったのに対し、日本は身分制で分業制というところが
すこし違った。


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