深夜…ジークの部屋を出て最初に忍が向かった所は、リディアが働いているバーだった。相変わらず賑わっている店内に入ってウェイトレスの制服姿のリディアを探したが、全然見当たらない。忍は側を通ろうとしたバーテンを呼び止めた。 「ねぇ君、今日はリディアの姿が見当たらないようだけど、知らないか?」 「あぁ、ブロンドの彼女ね。彼女、店休んでるんだ。身体の具合が良くないとかで、暫く休むって連絡があったんだよ、昨日遅く。…確かお客さん、彼女のお気に入りの方だよね?彼女ついてないなぁ。休みの時に限って、お気に入りさんに来てもらっちゃって。来るとわかってたら、病気だろうが何だろうが、すっとんで来るだろうに。…でもサービスさせてもらうよ、お客さん」 「あぁ、結構。またにしてもらうよ」 バーテンが軽く会釈をして、離れていく。 (リディアが休みをとった…?まさか、サードと一戦交じえて、負傷でもしたのか?) 頭の中に、サードのことが思い浮かぶ。リディアにサードのことを聞きたくて、ここまで足を運んだのだが、無駄になってしまった。おまけにこのバー以外、リディアが居そうな所を知らないのだ。 慌てて、立ち去ろうとしたバーテンを忍は引き止めた。 「あぁ、ちょっと君、もう一度聞くけど…リディアの住所知らない?どうしても、至急の用が彼女にあるんだ」 「住所?俺は知らないけど…あぁ、確か店員名簿にあったような…。でもねお客さん、あまりそうゆうことは、教える訳にはいかないんだよねぇ…。どんな理由にしたって、それが店と店員との『契約』になってるからねぇ…」 バーテンが渋り出した時、即っかず離れず、忍はバーテンのポケットに何かを突っ込んだ。それに気付いて、バーテンが自分のポケットに手を延ばしてその中身を見る。中にあったのは金だった。それも通常『チップ』として出す相場の金額の、倍以上の金額だった。 驚いた顔をして忍を見上げる。 「リディアの住所は?」 忍が微笑しながらもう一度念を押すように聞くと、バーテンはいそいそと店の奥に行き、住所を写しとったメモを忍に手渡した。 「…ふうん、あの辺りか…」 耳打ちするように、バーテンが忍に言う。 「…お客さん、俺が教えたってこと、絶対内緒にしておいてくださいね。このことバレれば、もう大変なんだから。頼みますよぉ…」 「勿論約束するよ。今度来る時は、君にも一杯御馳走させてもらうよ。悪いね、無理言って」 メモをポケットに突っ込み、忍はバーを後にした。 なんとかして一刻も早くリディアに会いたい。サードのことを良く知らない今、直ぐに戦ったとしてもこちらの不利は目に見えている。 リディアは一応『味方』だ。サードのように自分の持っている『能力』を欲しているのは同じだが、自分を襲ったり、関係のない人物を殺したりはしない。それを利用すれば、サードと対等に戦えるだろう…忍はそう考えたのだった。 メモに書いてあるアパートが建つ地区へは、バーからそれ程離れていない所だった。その辺り一帯は、スラム全体の中でも『高級住宅地』に値する、比較的収入のある者達が生活している地域である。ここの住民はスラムの人間だけでなく、都市中央部で働く者達も、場所が中心部に比較的近い上、地価が安いということで、住んでいる者が多かった。 その建物が立ち並ぶ路地の一角に、リディアが住むマンションがあった。 忍はエレベーターで上り、メモに書かれた部屋番号を探す。そこに辿りつき、部屋の呼び鈴を押したが反応はなく、どうやらリディアは留守のようだった。 (こんな時間に部屋にいないなんて、どこへ行ったんだ、あいつ…) 入り口でしゃがみ込み、ジークの部屋でくすねた煙草をふかし、暫くリディアが帰って来るのを待った。一時間が過ぎ、二時間が過ぎてもリディアは戻って来ない。いい加減待ちくたびれた忍はその場から立上がり、仕方無しにマンションを出ていった。 行き場所を失って、止むを得ず来た道を辿って戻る。 (『桐生』とか言う、仲間の所にでも行ったのか?) (どこにいるんだ、リディア…!この『念』が届くなら、俺の所へ来てくれ…!) 静かに目を閉じて意識を集中し、テレパシーを飛ばす。リディアは離れていても忍の『念』を感じられると言っていたから、どこかでとらえてくれるに違いない。今はそうする他に手段が無いのだ。 (リディア…!) 自分の『能力』がどの程度なのかは知らない。この『念』がどこまで飛ぶのかも、見当も付かない。只々リディアに通じることをひたすらに祈って、忍は呼び続けた。 すると、それまで誰も自分の周りにいなかった筈が突然何者かの気配を感じて、忍は我に返った。その気配が感じられる方へ意識を集中する。建物の陰から誰かが自分を見ている。 (リディアか…?) 靴音が近付いて来る。しかしその姿はリディアではない。見知らぬ背の高い中肉の若い男だ。 「やあ…。初めましてと言うべきかな、忍…」 男は穏やかな笑みを見せて忍の元へ来た。 「リディアならここにはいないよ。…なにやら君のことを色々知りたがって、スタンダール・タウンにいったんだ」 「なっ…!」 忍は見ず知らずの男から意外な言葉を聞いて驚きの表情を隠せず、警戒心を露にして男を睨みつけた。 「おいおい、そんなに睨むなよ。…リディアから聞いた話より随分短気なんだな、君は。何も、喧嘩を売りに来たんじゃないんだぜ。リディアに会いたいんだろう?だからわざわざ場所を教えに来たんじゃないか。逆に礼のひとつ位は欲しいねぇ」 男は忍の性格を見抜いて、わざと挑発の言葉を吐く。忍はこの男に良いように言われて、すこぶる機嫌を損ねていたが、自分に反論の余地を与えないその読みに、一言も言い返せなかった。 男は忍に対して、殺気もなければ警戒している様子でもなかった。無防備に見えるその態度…というより、余裕を見せるその男は、ポケットから煙草を出して火を付ける。 自分の知らない『自分』を知っているようなその口振りが、忍の心に一人の人物を思い浮かばせた。 「…あんた…、リディアを知ってるってことは、もしかしてあの『桐生』か…?」 「桐生?…ははははっ、えらい勘違いだぜ。生憎俺は奴みたいに、あのじゃじゃ馬を部下にする趣味はないよ。…その、敵意剥きだしにする癖、もう少し押さえられないかな。表面に出し過ぎる。それじゃあ、サードに先読みされるぞ。顔以上に『心』で出すのは、裏の世界じゃ『殺してくれ』って言ってるようなもんだ。自粛しろ」 「余計なお世話だ」 最もなことを言われ、唾を吐き捨てる。男は忍の反応を楽しんでいるかのように微笑していた。忍はそれが腹立たしくて仕方がない。あのサードに似た節が、この男には感じられるからだった。 「リディアを追いかけてスタンダール・タウンに行くも行かぬも君次第だが、これだけは言っておく。…リディアは裏の世界で育った人間だ。君と同じ…だ。だが、あいつと君では、決定的な違いがある。君は『男』で、あいつは『女』なんだ。あいつは君の過去を知ることで、君を理解しようとしている。…どうゆうつもりだか知らんがね。だが君がリディアに深入りすることは、決して試みないでくれ。…あいつを死なせたくないんだよ」 「それって…まるで、俺がリディアをモノにしようとしてるって解釈なわけ?」 ライアスは一瞬、無表情になった。 「…似たようなもんだ。覚えておくといい、俺の名はライアスだ。そのうち俺の助けが必要になるだろう」 「それはどうもご親切に。だが俺はあんたを必要だなんてこれっぽっちも思っちゃいない。…失せな」 「今はそうしておくが、サードが再び動き出した時、自分やリディアの力だけで、何とかなるなんて思っていたら、それは愚かもいいところだぞ。奴はそんなに甘くない。あの桐生ですら、単独行動を避けているんだからな。全く実戦経験のないヒヨッ子が、意地張るもんじゃないぞ。よく肝に命じとけ!」 「御託並べてんじゃねぇよ。俺はあんたに、つべこべ言われる筋合いないぜ。…どいつもこいつも『桐生』、『桐生』って言いやがって…!あんた達がどうゆう事情でこの俺に目を付けたか知らねぇが、そんなにこの俺が必要ってんなら、どう必要なのか、はっきりここで見せやがれってんだ!」 苛立ちを表わにして憤慨する忍に対し、ライアスは己を見失うこと無く、冷静に物事を考えている。ぶつけてくる憤りをライアスは真に受けず、軽く流してしまう。 忍は自分がいつに無く大人気ない態度をとっているのに気付き、ひと呼吸おいて冷静さを取り戻そうとした。 「…俺はリディアを追う。自分のことは自分で決める。誰の干渉も受けない…!」 ひとこと言い放つと、ライアスに背を向け、忍は走り出した。暗闇へと走ってゆく忍の後ろ姿を、ライアスはただじっと見つめているだけだった。それは、サードと死力を尽くして戦わなければならない者達に、陰ながらに手を貸すことしか出来ない己の宿命を負う者の、歯痒さと複雑な思いが胸中を駆け巡っていたせいだったのだろう…引き止めも追うこともせず、その場に独り残る彼だった。 「全く…。本当に世話が焼けるねぇ。…桐生も、忍も、リディアも、似た者同志で困ったもんだ…」 煙草の煙が溜め息と混ざって、ライアスの口元から流れていた。
忍がいない部屋。数時間前までその椅子に座り、グラスを傾けていたのに、今はもう、ここにはいない。 『スラムから離れる…』 あの時の忍の言葉が、幾度も繰り返して思い浮かんでくる。生死を考えずに出て行く決意をし、去って行った忍を、やは り自分が引き止めるべきだったのか?…ジークは目の前にちらつく忍の面影を切ない目で追っていた。 以前は決して手の届かない存在だった忍が、自分の部屋にいた…成り行きであったけれど、忍と夜通し抱き合ったベットで初めて見た忍の『姿』は、まるで開けてはならない箱を開けてしまったパンドラのごとく、どこか腑に落ちないジークだった。 甘い誘惑に戸惑いながらも心の中で理性と争い、呆気なく捩じ伏せた欲情に、己の『性』を感じて苦笑する。 「結局…なんだかんだで、あいつのヴァージン、奪っちまったんだよなぁ…俺は。スラム中のあいつのフアンから恨まれるよなぁ、やっぱし…」 随分前から望んでいたことだったのに、その思いを遂げた今になって、ジークは何故か後味の悪さを感じ始めていたのだった。 忍はヒューイのことが無ければ、その気にはならなかっただろう…あれは偶然の出来ごとだったのだ。忍の本心でなければ欲求でもないということを、ジークは悟っていた。 「俺はあいつの…ヒューイの身代わりじゃねぇ…」 忍の心はいつも何処か遠い所にあった。煙草をふかしている時も、グラスを傾けている時も、そしてあの時も…。その心には自分は存在していない。入る余地も無い。 『ヒューイが死んだのは自分のせいだ』と、いくら忍が自分を責めてみても、死んだ人間は生き返りはしないのだ。あの頃の忍を思い出す度、スラムで『魔王』と呼ばれる外見や風格の内側にある、本当の忍…誰よりも純粋で無垢な魂を持つ真の姿…を見てしまったということに、罪悪感のようなものを感じていた。 それをひとことで片付けるならば『後悔』に他ならないだろう。 「なぁヒューイ…あいつはお前がいなくても、いつか一人で生きていける時が来るんだろうか…?俺は今までヒューイが忍に頼っているんだと思っていた。だがよ、…実際はそれだけじゃなかったんだよなぁ。…忍の方が脆いよ。あいつは『強い』分、誰よりも脆かったんだ」 グラスを傾けながら、ぼんやり外を見ていた頃の忍を思い出して、一人、そう呟いた。ヒューイと二人で街に『魔王』として君臨していたあの頃が、随分と遠い昔のことのように思う。 (街も人間も、何も変わってなんかいないのに…何がこんなふうに俺達を翻弄させるのだろうか…) 少しずつ変化していく自らの運命に、なす術も無いままにいつまでもこうして時間が過ぎてゆくのを待つ日々…。 酔いが回って来たのか、ふらつく体をジークはベットに沈めた。眠気で虚ろになった目を擦り、何気なく天井を見る。 どことなく揺らいでいる…かなり酔っているせいなのだろうか。ジークはしきりに瞬きをして、それを振り払おうとした。だが揺らいだ大気は錯覚ではなく、次第に影を写し出していて、『幻』ではない『現実』になっていった。 影は人の形を造りだしていた。輪郭がはっきりしてきたとたん、それは突然に自分の上に落ちてきた。ショックでベットが大きく揺れる。 落ちて来たのは、全裸の男だった。 裸体の男…身を縮こめていたその男は、ゆっくりと顔上げて、ジークを見た。 面食らって言葉を失ったのはジークの方だった。その見覚えのある顔に、驚かずにはいられない。 「忍…?」 そんな馬鹿な、とジークはまじまじと見る。髪の色、その顔、腕、身体つき…確かに忍に違いない。だがしかし『スラムを出る』と言って部屋を出て行った忍が、どうしてまたここにいるのか。そして、いきなり天井から湧いて出て来たように落ちて来たのか。 「…あいつは、どこだ?」 男は口を開いた。その声色は忍と良く似ていたが、少し感じが違っていた。 (こいつは忍じゃない…?) ジークは眉を潜め、その男を見る。忍本人ではないかと思う位よく似ているが、幾つか忍と違うところに目が付いて、本人であることを否定する。 忍より細い肢体、冷めた視線、長めの髪…。忍の分身のようなその男はその細い腕をジークの首筋に絡ませ、身体を寄せてきた。ジークを挑発し、しきりに誘いをかけてくる。 (…誰だ、こいつは?) 真近でよく見ると、忍とは明らかに違う。細かい仕草や、態度が全然違う。 男は食い入るような目でジークを見る。その瞳は冷たく、野生の獣のような鋭さを放っていた。 「忍はここにいた…どこだ、あいつはどこにいる?」 「…ここにはもういない」 「…お前…、あいつの匂いがする…。忍の…匂いがする」 男はジークに絡み、頬に、首筋に、胸元に、唇を這わせる。 ジークはこの状況が飲み込めず躊躇していたが、その男がジークの弱い部分を的確に攻めていくので、その脆い理性は、次第に危うくなっていった。 「…忍は…、ここには…いないって…言ってるだろ…!」 言葉が詰まったように妙に弾んでおかしく聞こえる。なぜ自分にこんなことをするのか、相手の真意が何なのか全く掴めない。シーツをきつく掴み、ジークはこのまま男の意のままになるまい、と必死に逆らおうとする。しっとりと汗ばんだ手のひらが、男を押し退けようとその肩に触れた。だが力が入らない。 「…あいつは俺のものだ…。貴様などに、渡さない…!」 「…!」 細い指が滑るようにジークの腹部を撫でおりた。それを捕らえると、男はジークに妖しげな笑みを見せて、そこへゆっくりと顔を埋める。 『男の象徴』を執拗にその手や舌でなぶられ、ジークは腰から身体中を駆け抜ける電流のようなその感覚に唇をきつく噛み締める。 荒い息遣いが部屋に響く。ジークが次第に抵抗を止めて溺れていくのを、男はその手の中で楽しんでいた。自分が刺激する度に、彼は顕著に反応を示す。限界に達しようとしてきた時、ジークはどうするのかを問うように頭を軽く押しのけようとしたが、男はそのまま放そうとしなかった。 果てたジークが放ったそれを、男は何の躊躇もなくそのまま口元を汚しながら喉元を動かしていた。 全てを放ち切ったのを確かめてから男は汚れた口元を拭い、俄に笑みを浮かべて言う。 「…まだだよ。終わっちゃあいない。…何度だってイカせてやる。あいつに触れた罰さ…!」 「…『罰』だと…?」 萎えたそれを再び執拗に攻めていく。一度味わってしまったその快楽をまた呼び覚まされて、ついジークが腰を動かしてしまったことで、彼はそれまでの体勢をゆっくりと変える。笑みを浮かべながら男はただの『雄』になり下がったジークの、その欲情を満たすのに自らの身体を惜しむことなく差し出した。 激しく、その細い身体がジークの身体の上で揺れる。ジークは既に、この男の『虜』になっていた。淫らにジークを求め続けて止めようとしない、この男が言う『罰』とは一体何なのだろうか。 「…お前は、忍とは…全然違う。顔や声はそっくりでも…、別人だな…。誰だ、お前は…」 「……」 「奴は…『男』だった…。お前みたいにしゃぶりついたりなんぞ、しなかったぜ…?」 男の動きが急に止まった。ジークの言葉が気に障ったのか、その表情は殺気立っていた。 「…もう貴様に用はない…死ね」 男は宙を切るように手を振った。一瞬、ジークの表情が強張り、次の瞬間…夥しい鮮血が部屋の壁に飛び散った。 返り血を身体に浴びたまま、男はベットの傍らで無表情で佇んでいる。 口元にはね返ったその血を舐め、血に染まった手を拭うことなく、男は動かなくなったジークを尻目に壁に溶け込むように姿を消した。 |