トップ > ACT:2/SHOUT! > 第1章:冷たい雨の中で
 雨が降っていた。冷たく、強く、アスファルトに叩き付くように、雨は降り続いていた。
 立ちこめる霧が視界を遮る。
 雨足は弱まる様子は一向になく、冷え込んだ闇夜に雨音だけが響きわたり、さらに深夜ということもあって、人の往来は殆どない。この冷たい雨さえ降ってなければホームレスが路上に屯って騒いだりしているのだが、さすがにこの天候では、彼等もそれぞれに適当な場所で雨宿りをしているようだった。
 「やな雨だぜ、全く。やみそうもねぇし、冷えるし…。酒の一杯や二杯、軽く引っ掛けでもしなきゃあ、凍え死んじまうよ」
 息の白さが、外気の温度の低さを現す。
 馴染みの酒場に行くつもりで、古びたアパートの部屋を出て、廊下から外の様子を伺っていたジークは、ふと暗がりの雨の中に佇む人影に気付いた。その見覚えのある姿に、一瞬、己の目を疑った。
 (まさか…?でも、あれは…)
 街明りに照らされて浮かび立つその姿は、闇色の髪をしていた。良く似た輩はいるかも知れないが、他人の空似では無い確信があった。自分の、良く知っている姿がそこにある。 ジークは思わず声をあげた。
 「…忍?忍じゃあねぇか!どうしてここがわかったんだ?」
 驚きの表情を隠せず、雨の中を駆け出す。自分の名を呼ばれて、忍は声のする方へゆっくりと顔を上げた。
 伏し目がちで虚ろなその瞳に、精気は見られない。ずぶ濡れの身体は己の体重を支えるのが精一杯かのように弱々しく、今にも崩れ倒れそうだ。衣服は血で汚れ、雨に滲んで、したたる滴は紅く染まっていた。
 魂を抜かれたような変わり果てた姿をした忍を見て、ジークはとっさに上着を脱いで忍の肩に掛けて、その冷たく冷えきった身体を抱き締めて支えた。気力だけで支えていた身体が、ジークに支えられて安心したのか、その途端に全身の力は抜け切り、腕の中で忍は脱力したまま気を失った。
 「おい、忍…?おい、しっかりしろよ…!」
 冷えきった忍を抱え、ジークは部屋に戻っていった。





 ヒューイが死んだ。あのサードに無残に殺された。自分がもっと早くヒューイの元に帰っていたら、恐らく状況は変わっていた。彼がサードにあんな目に遭わされることは無かった筈だ…幾ら悔やんでも過ぎた時を戻すことは出来ない。どんなに自分を責め苛んでも、彼が自分の目の前から永遠に消えてしまった事実を消すことは出来ないのだ。
 血塗れになり生き絶えたヒューイの亡骸が、抵抗する術を知らない弱者の辿った道を、ありありと見せ付けていた。
 (俺が殺したも同然だ。俺があいつを、巻き添えにしてしまったんだ)
 あの日あの夜の、リディアが言った言葉を思い出す。
 『サードは貴方を手に入れる為に、貴方を否応なしに自分の元へ来させるお膳立てしてくるわよ』
 (…だから、ヒューイを狙ったのか?)
 あの時はその言葉が持つ『意味』をまだよく理解せずにいたが、これは自分への挑戦状でもあったのだ。
 じわりじわりと、忍が復讐心を燃やす程に解放されてゆく潜在能力を狙って、サードは罠を仕掛けて待ち伏せている。あの氷のような笑みが、脳裏に焼き付いて離れない。
 事情を何も知らないヒューイは、サードの襲撃をどうとらえたのだろう…?あれはただの偶然な災難だったととらえたのだろうか?それとも素性の知れない忍と出会った時から、いつかはこうなると感じていたのだろうか?…忍の心の中で、様々な思いが駆け巡った。
 『なぁ忍、神は不公平だよな…。…スラムは俺達には、不幸ばかり押し付ける。万人を同じように救ってはくれはしない。信じるものすら、奪ってしまう。希望も、夢も、優しさも、愛も、根こそぎ取り上げてしまう…。忍、死を考えたことはあるか?…俺はいつも考える。こんなに苦しい毎日から逃げられる気がするんだ、死ぬことでね。死んじまった方がどんなに楽かと思うよ。…俺ひとりがこの世から消えたとて、世の中何も変わらないし、悲しんでくれる人もいないだろうし、生きたまま地獄を彷徨う死人のようでいるよりも、救われる気がする。…忍は、お前はどう思う?』
 (…死は…神のもとへ行くことなんだろう?そしてお前は死んでしまった。それも、見ず知らずのサードとかいう男に、あんな風に殺された。それなのに、やっと救われたとでも言いたいのかよ、ヒューイ。俺は生死を自分で選択するなんて考えたことも無かったし、そうしろと言われても出来ないから、こうして現世で彷徨い続けてる。…ひとつわかったのは、お前を去かせたことで、俺はまたひとりになっちまったんだ、ってことさ。こんな気持ちは堪え難い。どうしたらいいのかわからない…。俺は…どうしたらいいんだ?お前を失って、俺は生き続けるべきか死ぬべきか、己の歩む道を見失ってしまった)
 『でも、今忍は生きてるじゃないか。それに神はまだ、お前をここに呼ぶ気は無いらしい。死という自由は、その時にならなければ与えてくれない。苦しくても死ねないんだ。それにお前は俺とは違って強いし、生きる術を知っているんだから、わざわざ俺に合わせて同じ道を歩く必要は無かったんだ。今まで無理してたんだろう?…もうそんなことはしなくていいんだ。お前はお前の与えられた道を…茨の道を、辛くても逃げたくても、歩き続けるのが宿命なんだ。いつか、神が死という慈悲を与えてくれる日まで…』
 (ヒューイ、俺はお前が思っていたような、強い人間じゃない。だからこうして、お前の面影を追いかけてばかりいる。現実を受け入れることなど、出来ない…!苦しくて、いっそこのまま死ねたらと思う程だ。…助けてくれ、ヒューイ…!俺をひとりにしないでくれ…)
 ヒューイの面影が遠退いてゆく。どんなに追いかけても決してこの手は届きはしない。『生』と『死』は二人の繋がりを完全に割いてしまった。サードがヒューイの未来を奪ったことで突然訪れた『別離』は、二人が思いもしなかった自分達の関係の結末だった。


 どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。
 暖かい部屋と光、見覚えのない風景。仰向けに横たわっている自分に気付き、見知らぬ場所に運ばれて寝かされていたのがわかった。その部屋の中に何者かの気配があるのを感じて、その方へ身体を向けた。
 「気が付いたかい?」
 くわえ煙草で安いバーボンのグラスを片手に、ソファーで寛ぐジークがそこにいた。
 ベッドのすぐ横にある小さな明かり取りの窓の外は、まだ止まない雨がガラスに滴を残してゆく。そしてその薄暗い世界は、朝方なのか夕方なのか、時間の感覚を失っている忍にはわからなかった。
 記憶が曖昧なままでいるのと、眠りから覚めたばかりなせいで、頭の中は朦朧として混乱している。それでも頭を左右に振りつつ、己の置かれている状況を把握しようと試みる。自分がベットに横たわっているということと、服を着ていないのは誰かが脱がしたからで、ジークが脱がしたらしいこと、そしてそのジークの元に来たのは、偶然ではあったが、自分の意思だったことを順々に頭の中で解析してゆく。
 ずっと長い夢を見続けていた。夢の中でヒューイと語り続けた。だが眠りから覚めて自分を待っていたのは、今の自分を苦しめる『現実』だった。
 「今…何時なんだ?」
 「4時過ぎだよ…朝の。まる一日眠ってたんだぜ、お前。お前にベッドを譲っちまったから、宿主の俺様はソファーで御休息だったんだぞ。お陰で身体中が痛くて仕方ない。こんなことなら、最初から一緒に寝ていた方が良かったぜ…全く、呆れる程紳士だよなぁ、俺って…」
 半日以上の長時間に渡ってずっと眠っていたことなど、ここ数年、記憶にない忍だった。最近では自分の部屋に戻って来るのは仮眠をする為だけで、『部屋』らしいことに使ってはいなかっし、夜が活動時間で生活が逆転していたせいで、殆ど眠らない日が続く毎日だった。
 「医者に運ぼうと思ったんだが、あの血はお前のじゃなさそうだったから、俺の部屋に連れて来たんだ。…連れてったところで、医者にその服の血を見られて何かやったんじゃないかと警察よばれちゃあ、たまんないからな。血塗れにずぶ濡れの服で俺のベットに寝られても困るから勝手に脱がしたんだけど、脱がせてみりゃあ、身体中ひでえ切り傷だらけだし。お前にマゾの趣味があるとは思えんしなぁ。なんなら…お前に協力してやってもいいんだぜ?」
 「『協力』…?」
 (ヒューイは死んでしまったのに…)
 「ヤバイことに首突っ込んだか、なんだかしたんじゃねぇのか?だから行くとこ無くて、俺のとこまで来たんじゃないのかよ?その身体の傷はどう見ても争った跡だしな。お前の喧嘩ぶりの噂は、今じゃスラムの伝説だ。腕を信じてない訳じゃないが、それだけの痛手をお前に与えたってことは、よほどの奴と何かあったんだろう?」
 好奇心を表にしてジークが訳を聞き出したがる。口にしたくはないことだったが、事実として起こったそのことを己に言い聞かせる意味もあって、忍は呟くように言った。
 「…ヒューイが死んだ。殺されたんだ…」
 「え…?」
 ジークが意外な顔をして、動きを止めた。
 「本当なら…俺が殺されてた筈だったのに、あいつが殺されたんだ」
 「マジかよ?…まさか、例の殺しか?」
 「ああ…」
 (そうさ、あのサードって奴に殺されたんだ)
 深い溜め息を洩らし、悲しみに打ち沈んで、立ち直るどころかこのまま発狂しそうな程に思い詰めて苦しむ精神を、思考から切り離そうと、無意識に首を振る。その仕草を、黙ったままジークは見ていた。
 ずっと手にしていた煙草の灰が、ゆっくりと床に落ちた。沈黙を消すかのように、短くなった煙草の火を消す。
 「…そうだよな。そんなことがなけりゃあ、お前はここに現れはしなかっただろうな…。いつもなら、飲み屋かカードの卓上くらいしかお前と会うことなど無かった。俺も仲間が殺された時、突然だったしどうしたらいいのか途方にくれた。平常心でいられるわけがない。ましてヒューイがそんな目に遭ったりすれば、さすがにお前もうろたえるか。…ヒューイのことを愛していたんだな、やっぱり…」
 どこかやるせなさそうなジークの顔と口調に、忍は誰かの面影が重なり、一瞬はっとした。
 せつない、哀しいその目は…いつも自分の背中にいた、今は亡き親友が時折見せた表情と同じだった。
 (ヒューイは…俺を?)
 突然のヒューイの死を目の当たりにして、その悲しみやサードに対する激しい憎悪にかられたまま我を忘れ、ただ街中を彷徨い続けていた。当てなど最初からありはしなかった。やがて降りだした雨の冷たさなど、感じもしない。失って初めて、自分にとってヒューイの存在がどのようなものだったのか考えた。そしてヒューイが自分に何を求め続けて生きてきたのか、過去を思い起こした。
 わかったのは全て、『失った』その後だった。
 ヒューイは決して口にすることは無かったが、心の中では忍に、『今まで以上』の心の繋がりを求めていた。とやかくジークのことを話題にして忍の反応を見ていたのは…自分を求め、独占したいという感情と嫉妬心だったのだ。
 単にジークの方がその感情をストレートにしていただけで、ジーク以上にヒューイの方が『関係』を望んでいた。ヒューイは忍の部屋に出入りするうちに、いつの間にか住みついて一緒に生活していたが、実際はヒューイは目的があってのことだったのだ。無論、気付かなかったのだから当然だが、その望みに答えてやったことは一度も無かった。
 ジークとヒューイは結論で言えば同じ輩だ。立場は違っても忍の身体を求め、欲求を満たしたいと思っていることに変わりはない。二人の大きな違いなど、その願いが叶うことなく、ヒューイはこの世を去ったということだけだ。
 忍の心の中に、ひとつの『迷い』が芽生えた。その答えを出すまでに、迷って考えたのはほんの僅かな間で、衝動にかられてそう決心したようだった。
 「…来いよ、ジーク」
 「…?」
 「今のうちだぜ。気が変わらないうちに、来いよ」
 ジークは一瞬躊躇した。突然忍がシーツを捲り、誘いの言葉を自分に投げ掛けたのだ。
 戸惑いながらも、ゆっくりとジークが忍のもとへ行く。そしてベットに腰を掛け、忍の肩に手を延ばして掴む。
 いつもの忍であれば、同性同志だという嫌悪感に、相手に悪態をつくか手を挙げている筈だが、忍は何も動く様子もなく、じっとしている。
 ジークの手が肩から首へ、襟足から黒髪をかきあげるようにゆっくりと伝う。ジークは忍の反応を伺いながら、次第に忍との距離をせばめていった。視線は忍の身体の輪郭をなぞるように辿り、品定めするようにじっと見つめて、逸らす様子はない。己の裸体を、こうしてまじまじと見られていることに対する羞恥心すら沸かなかったのか、忍は態度を変えることなくされるがままになっている。
 ジークは身体をぴたりと寄せた。うつむいていた忍の顔を、俺の顔を見ろと言わんばかりに向けさせる。
 「…いいんだな?本当に」
 拒む様子のない忍にジークは念を押した。むしろ、ジークの方が動揺を隠せない。今までどうせ忍は拒むだろうと心の奥では諦めていたのに、意外な展開になって、本当に忍がその気になるとは思わなかったのだ。
 忍の口元が微かに笑みを浮かべた。
 「…さっさと抱けよ。ずっと前から俺とやりたくて、仕方なかったんだろう?…今だって俺を目の前にして…。たまんないだろう?」
 虚ろな黒い瞳は何かに取付かれたようなままで、尚かつ、妖しげな色をジークに向けていた。挑発の言葉を口にする忍が、どことなく悪魔の誘惑のようで、危険な雰囲気を感じさせなくもなかったが、それは甘い快楽への誘惑の前で、呆気なくジークは理性を失った。
 「お前の好きにしろよ、ジーク…」
 忍は静かに瞳を閉じた。





 「遅いじゃない、ライアス!二時間待ったわよ、あたし!」
 昼間のカフェで待ちくたびれたリディアは、ライアスにオーダーの伝票を突き付けた。追加注文されたコーヒーの数が、嫌でも目に付く。どうやら彼女はかなり不機嫌になっているようだった。
 やれやれ、という顔をしながら、ライアスは大きな溜め息をつく。
 「…そんなこと言ったって、すぐにそっちには行かれないから、って俺が言った時に、『構わない』と言ったのは君だろう?」
 リディアの剣幕に圧倒されながらも、彼は自分を正当化する為に言い返した。中肉の均整のとれた体格の長身で短いダークブロンドの髪をし、ライト系の色のカジュアルな服装をしたライアスは、どこぞの学院生のような風格の漂う、好青年といった感じの若者だ。
 「それでも早く来るのがフツウなの!女を待たせるようじゃ、彼女なんかいつまでたってもできないわよ」
 「余計なお世話だ!…あーあ、折角いい情報を手にいれてきたのに、俺、帰ろうかな…」
 「ライアス、待ちなさいよ!」
 立ち去ろうとする後ろ姿を、逃さんとばかりに慌てて席を立つ。一度背を向けたライアスがゆっくりと振り返った。
「…但し自分で支払ってよね、それ。リディアが待ち合わせ場所をカフェにしたんだから。俺はそこまで面倒見きれないよ。任務の旅費に大金使ったから、すっかり貧乏になったもんでしてね」
 リディアは弱みを逆手に取られて、悔しさにとびきり不機嫌な表情をライアスに向けた。
 「…その言い方、誰かにそっくりね。いいわよ、その位自分で払います!」
 ライアスはそのふてくされた顔を見て、吹き出すように笑いだし、リディアの隣に座って煙草に火を付けた。リラックスした姿勢とゆっくりと煙をふかす姿は、慌ただしい日々の束の間の休息を満喫している様子が伺えた。
 「相変わらずなんだな、君は。…桐生も大変だろうに」
 「それ、どうゆうことよ?」
 「いや、こっちのこと。久し振り過ぎて、なんだか別人に会ってる気がする。じゃじゃ馬娘も大人になれば、変わるもんだねぇ…4年ぶりかぁ」
 「すぐ、はぐらかす!だいたい、人のこと『じゃじゃ馬』扱いするのは、昔も今もライアスだけなんだから。誰もそう思ってなんかいないの!それに桐生の悪い癖を、真似するのはやめなさいよ。全く、始末におえないわ」
 ライアスはリディアを久々にからかえて、楽しんでいる。
 「スラムに来て2年経つんだって?…桐生の所に居ればいいのに、志願したんだってな。どうしてまた…?」
 その問いかけに、リディアの表情が変わった。
 「…ただひたすらあの人の側にいても、あの人の寿命を延ばすことは出来はしない。運命は変えられない…。だったら、少しでもあの人の手となり足となって、力になりたかったのよ。何も出来ない自分が歯痒くて、話が上がった時に真っ先に名乗り出たの」
 「全く、この『お兄さん』に相談もせずに勝手なことをするんだからな…。何故一言もこの俺に言わなかった?特に最近は、スラムじゃサードが頻繁に現れてるそうじゃないか。一番危険な管轄にひとりで付かせることなど、許した桐生も桐生だ!帰ったら絶対文句言ってやる」
 「桐生を責めないで。あたしはこう見えても、あの桐生の側近者に選ばれた一人よ、実力は認められてるわ。だから桐生は行かせてくれたんだもの。貴方が心配してるのはわかるけど、このことはあたしに任せてちょうだい。…スラムに来て忍を見付けて、彼に事情を話すところまでこぎつけた。後は彼を説得して、一刻も早く仲間に加わってもらうつもりよ…桐生もそれを望んでいる。あともう一息だわ」
 「だが奴はそう簡単に、俺達の事情を理解してくれるだろうか?…俺は、忍のスラムに来る以前の経歴を探ってた。桐生が君に、どのくらい奴のことを教えていたかは知らないけど、奴の過去は壮絶だったぞ。一筋縄じゃいかないぜ?」
 「忍の過去?」
 「ああ、そうさ。俺は今まで4年間ずっと調べまくって、地方を転々としてたんだ。そして断片的だけど、だいたいのことは判った。…忍は桐生が昔いた裏組織の研究所で、生まれてすぐに親元から引き離されて、君と同じ『超能力』名目の、人体実験の実験台にされてたんだ。もちろん本人は年からいってそんなこと覚えてはしないさ。…もっとはっきり言えば、奴と…双子の瑠輝は『実験台』として生まれるように『人の手』で造られた人間だったんだ。二人の遺伝子は人為的に組み替えられ配列されて、『双子』以上に双子なのさ。殆どコピーに等しい…クローンに値する程にね。そうやって『人の手』を加えたことで、その超能力は想像以上に潜在能力から飛躍した能力を得ていた。…そしてサードだ。当時のその『遺伝子操作』の実験に、奴が何等かの形でかなり関わっていたらしいんだよ」
 「『らしい』って、定かじゃないわけ?」
 「…生憎とね。ここまで調べるだけで、まる2年かかったんだぜ?…二人が生まれて間もなく、研究に関わっていた人間が次々と姿を消してるんだ。いわゆる口封じってやつさ。さらにそのデータをもとに誰かが真似ない為に一切のデータを抹消し、研究施設も封鎖した。関わった者は消したのに、一番肝心な『実験台』は始末せず、『実験台』ごと姿を晦ましちまったんだ」
 「つまりそのことを知る誰かが、仲間を消したってことね。忍は組織から脱出したわけ?」
 「いや、当時の忍はまだ歩くことなんか出来なかった筈だから、そいつが故意に『逃がした』んだろう。…多分その実験はまだ続いてるんだ。運良く生き長らえて、当の本人は物心付く頃にはすっかり世間に溶け込んでいたから、今でもそんなこと微塵にも思っても無いだろうが…。ありがちな孤児院で育ち、そのうち飛び出してあちこちを転々として、スラムに来た…って訳さ。ところが瑠輝は、未だに『最後の一人』や、サードとの関わりを持ったままだ。…現にサードのあのテレポートの仕方は瑠輝の能力そのものだ。きっとあいつが瑠輝を操っているに違いない」
 「サードとその『最後の一人』の、同一人物という可能性は?」
 「それはありえないな。利用価値の高いはずの幼い忍を、生き延びれるか死ぬか、能力に目覚めるか否かもわからないのを承知の上で『逃がした』のに、それではまるで趣旨が違う。サードはそうは思ってないだろう?」
 「じゃあ、何を目的に、忍を…」
 「それを知っているのは、今だに消息不明の『最後の一人』だけさ。そいつの正体がわかれば、サードのことを早く決着付けられるんだが…」
 「…だから…あの時忍は、自分の親も弟のことも知らないって言ったんだわ…」
 親や弟の存在を否定した忍が、過去を伏せる為に嘘をついていたようには思わなかった。それは彼の態度でわかる。
 「まぁ、とにかく君がスラムであれを見付けて、接触することに成功したってことは、俺達の収穫だったことに変わりはない。お手柄だよ、リディア」
 「そんな言い方しないで。…彼だって『生命』を持ち、あたし達と同じ『感情』だってあるのよ。それに…」
 忍はよりによって、大切な親友だったヒューイをサードに殺されて、深く傷付いている。その悲しみと憎しみが、忍に変化をもたらし始めている。感情にかられ、まだ『能力』をコントロール出来ない状態のまま解放し、忍は暴走しだすかもしれないのだ。
 ヒューイの存在が結果的にもたらした、忍の潜在能力への覚醒は、唯一の不覚だった。それまで順調だった手筈が、微妙に狂い始めている。
 「ねぇライアス、忍が育った孤児院はどこなの?」
 「場所かい?知ってるけど、行ってどうすんだよ。行ったところで、調べはさっき話したことぐらいしか、わからないぞ」
 「いいの。あたし、行ってみる…!」
 リディアは急いでその場所へ向かうことを決心した。自らがそこへ行き、忍の過去に触れることで、良い方法が思い付くかもしれない…そうすることで、忍の暴走を未然に止められる気がしたのだった。
 ライアスと別れたその足で、郊外にむかうエア・バスに乗る。その表情は何か確信を持った顔をしていた。





 白い煙が流れている。何本吸ったのか判らない程に、テーブルの上の灰皿は吸い殻の山となっていた。
 短くなっては消して、すぐに新しく火を付ける。立ち込める煙はもやとなって部屋中に広がっている。
 静まり返った部屋の外から誰かの足音が近付き、部屋の前で止まってドアを開けた。
 男は部屋の中を見て、唖然としていた。
 「…煙いぞこの部屋。換気しろよ、忍…!」
 「よぉ…ジーク、早かったじゃないか。今日はもう帰って来ないと思ったのに、俺」
 煙たそうな顔をして窓とドアを開け放つジークの、抱えている紙袋から酒の瓶の首が見えた。
 「お前がそうやってこの部屋に居座ってるから、こっちは何も出来ないんじゃないか。お前の使いっぱしりじゃねぇんだぞ、俺は!難民救助のボランティアじゃあるまいし、割り合わねぇよ、これじゃあ!」
 「じゃあ、またベット・インする?迷惑料を身体で払うよ。金よりその方がいいんじゃないのか、俺の場合は」
 煙草をくわえたまま、忍は色目をジークに投げ掛ける。ジークはそれを見て、伏し目がちに溜め息をついた。
 「…よせや、望んでも無いくせに。そこまで俺は鈍感じゃねぇ。…死んだ人間をいつまでも追いかけてたって、戻って来ないんだぜ。…お前も、あれで充分わかったろ?ヒューイがお前にして欲しかったことは、お前には理解できないよ。『野郎にヤラれたい』なんて奴の気持ちってのは、簡単に理解できるもんじゃない」
 ジークが買って来たばかりのバーボンを開け、グラスに注ぎ出した。忍の分も作ってやると、それを勧めた。忍は黙ってそれを飲む。飲みたくて飲んでいる訳ではない。飲まずにいられないのだ。…ジークもそんな忍に付合って、殆どストレートの酒をひたすら飲んでいた。
 「…お前のアパートんとこ、サツが来てた。場所が場所だしな、サツがお前のこと探してるぜ。…事情聴収ってのは、思った以上にツライぞ。まるで、自分がやったのを自白しろと言わんばかりに、しつこく聞きまくる。何があったのか聞きたいのは、こっちだって言うのによ…。事件のほとぼりが冷めるまで、サツに会わない方がいいぞ。お節介かもしれんが、お前の為だ、忠告しとくよ」
 「……」
 「これからどうするんだ?いつまで、ここにいるつもりだ?…お前がずっとここにいるって言うんなら、俺は別に構わないが、そうじゃないんだろう?…何を考えてるんだ、一体」
 忍はジークを見ようとせず、窓の方へ視線を逸らした。
 これから…今までのような生活は、続けることは出来ない。常にサードに命を狙われ続け、その迫り来る殺気に神経を張り詰めて、生き抜く為には死力尽くして戦うしかない。それも武術や剣術で戦うのでは無く、裏の世界のやり方…超能力で戦わなければならない。そこらの喧嘩と訳が違う。
 もう『スラムの人間』として、普通の人々と同じように生きることは出来ないのだ。
 「俺はあることをヒューイに誓った。それを果たすつもりでいる。当分、酒場やカード卓には行かない。このスラムから暫くは離れて生きてゆくつもりだ。どこまでやれるか、生きるか死ぬかもわからないが、やれるところまでやってみようと思う」
 こうしているうちに、サードは次の罠を仕掛ける為に動いているに違いない。自分から動かなければ、サードの方から先手を打たれるのは必至だ。いつまでも後手に回るわけにはいかない。…それが、ヒューイを死に追いやったのだから。
 ジークは暫くの間、黙ったまま忍の後ろ姿を見ていた。
 「…わかった、好きにしろや。…だが無駄死するな。俺はお前の、その一匹狼っぽいところが好きなんだ。お前は誰かに媚びるより突っ張ってる方が似合いだぜ。誰が最初に付けたか知らねぇが、俺は『魔王』っていうお前の愛称、なんだか賭事のことだけで付いたようには思えないんだよな。…どこかお前って、俺達とは違う世界の人間のような気がしてならなかったんだ、ずっと前から。変だと思うかも知れないが、本当さ」
 「…俺もそう思ってたよ、ずっと」
 「…ハッ、あはははは!やっとお前らしくなったじゃないか。…もう大丈夫だな?」
 「…ああ」
 そう言うと、忍はジークに笑みを浮かべて見せた。ジークもほっと胸をなでおろす。
 長い間苦界の中で彷徨い、疲れ果てて動けずにいたが、ようやっと忍は自分の道を歩こうと立ち上がった。その道が茨の道であっても、行くしかない。その遥か先にある、新たな道を見付ける為には、進むしかないのだ…忍はサードと戦うことで、自分の道を切り開こうとする決意をしたのだった。
 忍の瞳に、少しずつ精気を取り戻してゆくのが伺えた。だがそれは以前の彼とは微妙に異なるものだった。

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--SWEET GAME 2001-2006--
WebMaster:MAMORU.A.