『忍…、忍…会イタイ。会イタイ』 誰かが呼んでる。…ヒューイか?いや、違う。 『忍…、やっと見付けたぞ。もう逃しはしない、どこに逃げようとしても無駄だ。貴様は奴の餌食さ』 (また別の奴か?誰だ、こいつら) 辻褄の合わない状況が延々と続く。…これは『夢』だ。 辺り一面真っ暗な闇の中、忍は立っている。 『忍…貴様の全て、直に手に入れる。その血、その肉体、細胞のひとつひとつ、全てだ』 聞き覚えのある声だった。…あれは確か、ボブに会ってヒューイと別れて、それから…。 地面が呼吸し、躍動する。バランスを崩し、その上に転がる。湿った生暖かい地面に幾つもの触手が現れ、忍の身体を絡めとり、身動きがとれなくなった。 「はな…せ…!」 滑りある触手は忍の身体を這い、しっとりと後を濡らす。それらは生きて脈を打ち、忍の精力を吸い取り続ける。雁字搦めで抵抗することができない忍は次第に弱まり、声も掠れて、されるがままになっていった。 『忍…、ケルベロスが地獄でお前を待っているぞ。』 暗闇の中、チラリと何かが光った。その存在に気付いたのは、暗闇の向こうからそれの唸り声が聞こえた時だった。異様に殺気立ったそれは、囚われの身になっている忍の方へ静かに近付いて来た。 生臭い血の匂いと、獣の匂いが鼻につく。その匂いに噎返り、顔を背けた。暗がりの中、ぼんやりとその姿が浮かび上がってくる。 忍ぐらいは軽く一飲みにしてしまいそうな巨大な獣は、その鋭い牙を剥きだしにして、目の前にある獲物…忍を睨んでいる。空腹に耐えかねて、今にも襲いかかりそうな雰囲気だ。 『奴を食らえ、ケルベロス!』 誰かの声と共に、獣は忍に襲いかかった。 骨が砕け、身体が引き千切られる感触…。その『夢』が『夢』であって『夢』でない感覚、疑似となって、忍を襲った。
「うわぁぁぁぁっ!」 現実に引き戻された忍は飛起きた。目前ある部屋の壁や、自分にかけられていたシーツを見て、それが『夢』だったと自分に言い聞かせ、ひと呼吸して平常心を取り戻す。まだ襲われた時の感覚がはっきり残っている。相当うなされたのか、身体中汗だくになっており、額から流れ落ちる汗を拭った。 「どうした、忍!」 勢いよくドアを開け、血相を変えたヒューイが、部屋に飛びこんできた。 「ヒューイか…、ってことは、ここは俺の部屋なんだな…」 「大丈夫か、忍…。起きられるのか?」 「…大丈夫。それより、お前が俺をここへ?」 「あぁ。もう、びっくりしたよ。道路にぶっ倒れてんだもん。誰かとやりあったのか?」 「いや…」 「無理してたんだよ、忍。…やっぱり、ボブに会いに行くのをよしていれば良かった」 「いや、そんなことはない、そうじゃないんだ。あれは…」 ヒューイに話しても、理解してもらえないだろう…。忍は言いかけたがやめた。 「今何時だ、ヒューイ?」 「夕方の5時過ぎ。良く眠ってたよ」 「そうか…ボブとの約束があるし…。出掛けるか」 「平気なのか?」 「あぁ。充分眠ったし、もうなんともないよ。全然平気」 全然、というのは嘘だ。夕べの後遺症があるのか、全身はだるく軽い頭痛がする。だが、ヒューイにこれ以上心配させたくはない。 「ちょっくら、シャワー浴びてくる。…汗でベトベトだ」 ぬるめの湯を浴びながら、忍は夕べの出来事を思い出していた。 あの声の主は何者なんだろう…かつて会ったことのある奴か、そうでないか。思い起こしても、自分の知る限りで該当する人物はいない。夢の中にまで現れる程の、姿を見せない謎の人物。自分のことを知っている口振りだった…疑問に思いながらも、あえてここでそのことを考えるのはよそう、と、忍は首を振った。 日が暮れて、再びテーブルつく為に二人は出掛けた。 真っ当な生き方を今までしてきた訳ではなかったから、具合が悪いからなんだの、などと言える筋はない。まして、他人と契約がある。約束どうりに働かなければ当然、その責任を問われることになる。そうなるとその代償は、何を言われても何をされても、文句は言えない。最悪、殺されても仕方がないのだ。ギヴ・アンド・テイクで成り立つ仕事ゆえ、忍は出向いたのだった。 バーのドアを開けると、ギャラリーが一斉に振り返った。と、同時に、ざわめきが怒濤のごとく押し寄せた。 幾重にもある人垣の間を掻分けてテーブルの所まで来ると、プレイヤーの何人かが露骨に嫌な顔をした。また、残りの何人かはニヤリと微笑んだ。前者は勝っていた連中で、後者は負けていた連中だ。 カードではスラム一と言われ、無敗敵無し、ツキ落としの魔王などと噂されている忍が現れたのだ…運悪く相席する奴がどこまで突き落とされるか、忍がどれだけの金をさらうか、ギャラリー達は固唾を呑んで見守っている。 「ディーラー、俺にもカードを」 誰もが忍の仕種に注目する。噂の人物を初めて見て興奮している者、勝負の結末の予想をして賭けをしている者と、様々だ。 ふと、テーブルの向かい側に、忍と目が合った者がいた。 ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ、じっと見つめている。ヒューイが気を付けろと言っていた、あのジークの姿がそこにあったのだ。 (ついてねぇのは俺の方だな、全く…) 視線を無視して、そっぽを向く。そのわざとらしさにジークも気付かない訳がなく、忍に突っ掛かってきた。 「おやおや、どうやら『魔王』殿に俺は嫌われているらしいな。…まぁ、いい。噂に名高いあんたのその腕っぷりを間近で見れるって訳だし、お手柔らかに頼むよ」 挑発するような口振りに、周りが野次を飛ばす。興奮の口笛を吹きまくる。 「ジーク、あまり忍に突っ掛かると、ツキを奪われちまうぞ!」 「『奪うなら、ワタシの夜を奪ってハニー』か?あははははっ!」 ヒューイは野次を飛ばしている連中を睨んだが、当の本人である忍は気にせずに堂々とし、お構いなしという感じだ。 ディーラーの手にしている、配られるカードをじっと見つめて、思考を巡らしていた。 (あの男は…、クイーンのツーペアでくる。あいつはブタか。あっちはうまくハートが続けばフラッシュ。ジークは…キングのツーペアに、おっと、もう一つキングが行くぞ。ならば、俺は…) 忍には、裏返しのままのカードが全て読めていた。そしてカードだけでなく、プレーヤーの思惑まで手に取るように解っていた。勝負に勝ちたいからといっていかさまをしなくても、自然にカードも他人の腹の内までも解ってしまう…忍はそのことをヒューイにも言ってなかった。 忍にとってはなんのトリックも使っていない訳だし、見えてしまうものは仕方がない。忍からしてみれば、正当なのだ。 コールが掛かる。皆が注目する。 一斉にオープンした途端、どよめきが起こった。 「そんな、マジかよ?」 ジークの顔が信じられない、という表情をしている。忍の役は、フルハウスだった。 金が掻き集められ、忍の前に置かれる。そして2回戦目、3回戦目と続く。役を作っても、忍はそれ以上のものを作ってくる。 (そろそろ、こんなもんでいいか) ボブが満足するだけの金は充分稼いだし、喧嘩にならないうちに席を外そう…そう思い始めた頃だった。 「『魔王』殿、今度はキャッシュでなく、お互いカラダを賭けませんか?」 ジークだった。奴ならそうゆう話に持ち込みたがる。忍は蔑む目で睨んだ。ここでそれを許したら、たとえ忍が勝ってこの場を逃れても、今後金ではなく、そうした目的で忍に挑戦する輩が後を絶たなくなる。 「…賭けるだけの価値はあるぜ、忍。日系人だろ?女みたいに肌が綺麗だもんな」 「…断る。そんなに黒い瞳とファックしたけりゃ、どこぞの売春宿にでも行くんだな。腰が立たなくなるまでヤラせてもらえる話だぜ」 吐き捨てるように言うと、手早く金をしまって席を立ち、人垣の中へ足早に入っていった。その後をヒューイが慌ただしく追いかけてゆく。騒然としたその後で、ジーク一人が舌打ちしていた。 息をきらして忍に追い付く。忍が腹を立てるのは無理はない、と思いながら、苛立っている彼に声をかけた。 「忍、あまり気にすんなよ。いちいち気にしてたら、スラムじゃ食っていけない」 「解ってるさ。解ってんだよ、そんなことは…」 苛々しているのは、『ファック』を賭けたいと言ったときの、ジークの腹の内を知ってしまったからだった。あまりに露骨で、欲望を剥きだしにしたジークの内面を感じとってしまった時、その嫌悪感に耐えられなくなったのだった。 「…ジークの奴…。あいつの側にいたら、マジに強姦されちまう」 「ジークがいたのは、忍の『不運』だったね、確かに」 しばしの沈黙。忍の歩く早さに合わせて、ヒューイも肩を並べて歩く。ところがさほど早くないのにもかかわらず、次第に遅れがちで、ヒューイは必死になって合わせていた。その足取りがおかしいのに忍は気付き、立ち止まった。 「ヒューイ?」 顔色が悪い。体がもともと弱いのにもかかわらず、夕べ倒れていた自分を助けた上、眠らず看病していたのだろう。 (無茶しやがって) 「ヒューイ、大丈夫か?ゆっくりでいい、肩を貸すから」 「…忍、…済まない」 ヒューイは自分が情けなくてならなかった。忍の足手纏いにはなりたくなくて、自分なりにあれこれと努力していても、結局このように忍に頼らなければならなくなってしまう。 忍は見返りを要求しない。『シゴト』の時はシビアで強かなのだが、ヒューイにだけは無償で接してくれる。出会った時もそうだった。忍だけが心を許せる友人だった。そのだけに、いつ忍が自分に愛想をつかして離れて行くか、不安でならなかった。 「さ、着いたぞ。…夕べのことは礼をいう。だけど、あまり無茶するなよな」 「…御免」 「ちゃんと休んでろよ」 忍は上着を着ると、部屋を出ようとした。 「忍?どこへ…」 「ちょっと、な。すぐ戻って来るから、心配すんな。それよりちゃんと横になってろよ!いつまでも起きてんじゃねえぞ」 忍は部屋を出ていった…独りヒューイを残して。 (忍…、すぐ帰ってくるよね?) (誰か、俺の知らない奴の所へ行ったりしないよね?) (忍は俺だけの忍でいてほしい。俺だけの…) ゆっくりと起き上がる。全身が鉛のように重く感じ、思うように動けない。なんとか立ち上がり、おぼつかない足取りで窓際へ向かう。 丁度、階段を降りて来た忍の姿が見えた。 月明りが差し込む部屋の中、忍が足早に歩いて行くのを、ヒューイはその姿が見えなくなるまで、窓から見守っていた。
人気の少ない通りから、メイン・ストリートへ出る。 深夜は、最も人々が退廃的な時間帯だ。建物の片隅でラリっている者、酔っ払っている者、喧嘩、賭博、売春、レイプ…警察が出てくるのは大抵それらが極度に度が過ぎた時で、殆どが見ても見ていない振りをするのが、暗黙の承認となってしまっている。 そんな連中を後目に、一件のよく通っているバーへ足を運んだ。 独りカウンター席で酒を飲む。 テーブル席の方で喧嘩が始まった。野次を飛ばす者、止めに入る者、ものの壊れる音。嫌でも目に入り耳に聞こえてくる騒ぎ声に、何故か忍は無関心だった。それ以上のことが、忍の意識を捉えていたからだった。 嫌な感じがしていた。ヒューイを送って部屋を後にし、独りバーで酒を飲んでいた頃から、妙に胸騒ぎがしていた。 …あの時、不可解な謎の人物に狙われた時と同じような、何か腑に落ちない気配。それがまた自分に向けられているように感じていた訳ではない。スラムのこの辺り一帯が、それと似て重々しい雰囲気に包まれてしまっているように感じるのだった。 気にするのはよそう…そう思いつつ、頬の傷に軽く触れる。 跡に残る程の深い傷ではなかったが、鋭利な刃物で切ったようなその傷は、まだ痛みを残したままだった。 『誰かとやりあったのか?』 ヒューイの言葉を思い出す。 自分に心当たりが全くないとは言えない。今までカードで忍が勝ち続けた分、負けた人間の一人や二人は、忍のことを恨んでいる輩がいてもおかしくはない。 そして、いつかはそのカードのことをヒューイには話さなければならないだろう。 今だけは何も考えたくなくて、酒の力に頼って忘れようとしているのに、体質もあってか、全然酔えない忍だった。 だが、独り物思いに耽っているのも束の間であった。 「たっ、大変だ!また殺しだぞ!」 ドアを荒々しく開けて、一人の男が店に入って来た。突然の来訪者に注意を引かれ、忍は我に返った。 「この店のすぐ裏、例の殺しだ!」 店内は騒然とした。誰もが驚き、困惑の表情を見せている。 「今なんだよ、たった今!もう、すごいのなんのって!」 野次馬根性剥きだしの連中は、その男に続いて現場を見に行った。 (誰が殺そうと殺されようと、俺には関係ない) 忍は騒々しい中、無関心にグラスを傾けている。あまりにも周りが煩いので場所を変えようと店を出ると、外はサイレンの音が鳴り響き、どこからともなく人が集まっていた。 エア・カーが数台、野次馬を近付けないように壁をつくり、その中で警官達がてきぱきと現場検証を進めている。人々はその僅かな隙間やエア・カーの影から、その様子を伺っていた。 「殺しを見た人は大勢いるのに、犯人を見た人はいないらしい」 「こないだもそうだったんだろ?」 「物騒だよなぁ」 噂話が次から次へと耳に入ってくる。それを聞き流し、人の流れに逆らって忍は歩き続けた。 やっと人込みを抜けて別のバーの看板を見付け、飲み直そうと店に入ると、そこには見覚えのある顔があった。 内心『しまった』と忍は思った。 「よぉ、忍じゃねぇか!奇遇だな。こんな時間に出歩いて、起きてられんのかい、坊っちゃん!」 突っ掛かるような口振りで、忍に気安く話しかけてくる。その声を無視してカウンターに座り、酒をバーテンに注文する。男は素っ気無い忍の態度に、向きになった。 「おいおい、無視しないでくれよ。さっき同じテーブルについた仲だろう、忍。冷たすぎるぜ」 相手が放っておけば諦めてくれる人間なら良かったのだが、この男は逆効果の人間だ。忍は仕方無しに口を開いた。 「その程度で、勝手におトモダチにしないでくれよ、ジーク…!」 (今夜の俺は本当にツイてねぇ…。カードみたいに読めりゃ、こんな目に遭わないものを…) 良い事は続かなくても、悪い事は意外に続くものだ。ぶつぶつと独り言のように愚痴を漏らす。 ジークは忍の隣に座り込み、酒を注文すると、煙草の煙りをゆっくりとふかした。 「連れはどうした?」 「…帰らせたよ。」 「じゃあ、独りか。…おいおい、べつに取って食ったりしねえよ。だからこっち向いて話してくれるぐらい、いいじゃんかよ」 「……」 「ちょっと、ちょっと!彼氏は嫌がってるのよ。いい加減にしたら?」 カウンターの向かいから、ブロンドの長い髪を揺らしてジークを睨む女性がいた。 「なんだ、ねーちゃん。関係ねえだろ、引っ込んでろよ」 「あるわよ!お客さんだもの!…はい、おまたせ。これはあたしの奢りよ、遠慮しないで」 グラスを差し出され、忍はちょっと怪訝そうな顔をした。彼女はにっこり笑ってみせる。忍がグラスに手を伸ばして口にしていると、彼女は珍しそうな目で忍を見つめた。 「彼氏、綺麗ねぇ。ここら辺じゃいないわよね、こうゆうタイプ」 「なんなんだよ、ねーちゃん。忍はあんたにゃ、興味ねえってよ」 「煩いわね。…へぇ、『しのぶ』ってゆうの、彼氏。ねぇねぇ、年は?カノジョいる?」 「ねーちゃんこそ、うるせぇよ。痛い目に遭いたくなけりゃ、あっち行きな」 ジークが凄味をきかせて睨んだせいか、彼女は長い髪を翻して背を向け、他の客の方へ行ってしまった。 「随分威勢のいいアマだなぁ。…なぁ忍、俺は前々からお前と一度、じっくり話がしたいと思ってたんだ。さっきはすぐ帰っちまうし、色々話したいことがあったのによ…」 「話すことなんか何もねぇよ」 ぶっきらぼうに答え、ウェイトレスの奢りの酒を飲む。 「つれないぜ、忍」 その時、店の外で男の悲鳴がした。 「なんだ?…トーマスの声だ」 ジークは煙草をもみ消し、席を立った。 トーマスは店の中に息をきらして飛び込んで来た。 「ジーク!クラウドとリックが…、たった今、裏通りで誰かに殺られた!」 「何だと?」 血相を変えて、ジークはトーマスと店を飛び出した。 嫌な予感は的中した。自分の行く先々で事件が起こり、偶然とはいえその気味悪さに、さすがに忍も席を立って見にいった。外は生々しい殺人の跡があり、通行人達が遠巻きにそれを見ている。 その場にいた者でなければ、その被害者が誰なのか分からない程に散乱し、辺り一面血の海だ。その死体を目の当たりにして、顔を背けられずにはいられない状況だった。 それから直ぐに警察がやって来て、野次馬をそこから追い払い始める。静かだった付近一帯が、事件が起こったことから一転して物々しい雰囲気になった。 「なんてこったい…」 ジークは驚きの余り脱力し、へなへなとしゃがみ込んでしまった。 後からあのウェイトレスも外へ見に出て来たが、忍は彼女を咎めた。 「見ない方がいい、店に戻ろう」 愕然としたままのジークに背を向け、二人は店内に入っていった。そして外の騒ぎを気にしながらも、忍は自分が座っていた席に戻り、彼女はカウンターの中に入り、空になっていた忍のグラスを再び作り直して忍に勧めた。 「忍はどう思う?」 「どうって?」 「最近よくある、例の殺しよ」 カウンターを挟んで、覗き込むように話しかける。 「手口といい、普通の人間がすることじゃないわ。ああいう殺し方をするのは、どうみても凡人じゃあ無理ね。警察だって、その事で頭を悩ませてるらしいし…変だと思わない?」 「どうゆうこと?」 彼女の表情が変わった。 「あたしが思うに、犯人の目的はスラムの人間に関係していると思うわ。そして、ターゲットは無差別に見せかているだけで、実は別にいるのよ。事件が頻繁に続いてるってことは、犯人はまだ、真のターゲットを片付けていないから、誰とも構わず殺り続けてる…多分、犯人はターゲットの顔を知らないとか、ターゲットが変装してて見分けがつかないとかしてるんだわ」 忍は黙って彼女の推測を聞いている。 「殺されたジークの仲間って言う人は、きっと『とばっちり』よ。犯人が執拗に追いかけまわしている人にちょっと似ていたとか、関係してたから殺られたんだわ。犯人はきっとスラムに詳しくない、外部の人間ね。おまけにあの手口でしょ、犯人はまるで…超能力者のような感じよね」 一瞬、忍はドキリとした。彼女の言い方と表情が、先程までとは全く別人で、鋭い洞察力を持つ敏腕刑事のように説得力のあるものであったから…というだけではなかった。見透かすような瞳は、忍が透視能力を持っていることを知っているかのように忍を映しており、それに驚いたのである。 「へぇ、超能力者ねぇ。そりゃあ最もらしい推理だ」 忍は惚けたように答えてみせる。 「あーっ、馬鹿にしてるわね。子供騙しじゃあるまいし、って顔してる!」 「…別にそんな訳じゃない」 実はこの手の女も忍は苦手だった。ジークと比較することもないが、口数が少ない忍は、質問攻めや、やたらことを追及したがる人間が苦手なのだった。 一気にグラスを飲み干して退散しようと席を立つと、案の定、彼女は忍を呼び止めた。 「もう帰る?」 「今日はやめとく。ジークと親しい訳でもないのに、変な事件に巻き込まれると思ってなかったし。自分に災難が降りかからないうちに、撤退するよ」 背を向けてドアに手を掛けた時、彼女はまた呼び止めた。 「忍…!ちょっと待って!」 「…?」 「忍…、気を付けてね。くれぐれも気を付けてちょうだい、お願いよ。忘れないでね」 「あぁ…」 妙に引っ掛かる言葉だった。何度も念を押し、まるで忍に忠告するかのような言い回しであった。 現場を横目に歩き出す。ジークとトーマスが警察に事情を聞かれているのが見える。立ち止まらずにそのまま歩いてゆく。 家路を急ぐ忍は歩きながら、彼女が別れ間際に言った言葉の意味を考えていた。何か、その言葉に裏があるというのだろうか。 その時の彼女の表情は、何か切羽詰まったような、焦りの色を感じるものがあった。 (どうゆうことだ…物騒だから、ってことじゃないのか?) (常連客をつかまえる為の、殺し文句みたいなものじゃないのか、あれは) (考える必要なし。却下…) 東の空が白み始めていた。 すぐ帰ると言ったにもかかわらず、店を梯子して時間を潰してしまい、まずいな、と舌打ちする。またヒューイに愚痴を言われるに違いない。この時間からして、いい加減先に眠っているとは思うが、ヒューイのことだ、案外起きて帰りを待っている可能性がある。 遠くでまだサイレンの音が鳴っているのが聞こえる。人々の眠れぬ夜は連日続いている。 犯人は謎のまま被害者だけが増えてゆき、誰一人それを止めることが出来ないもどかしさ。今までなら、この地域で起こる様々な犯罪は、治安の悪さや地方自治の体制の未熟さからいって、起こっても仕方がないと納得してしまうところがあった。だが、近頃のスラムは何かが変だ。今までとは明らかに何かが違う。 この不吉な予感が事件とは偶然重なっただけで、何もかもが自分の思い過ごしであってほしいと、密かに願う忍であった。 |