トップ > ACT:1/BLOODY STORM > 第2章:灰色の世界
「しーのーぶ!忍!いつまで寝てんだよ、いい加減起きろよ!」
 ドアを蹴飛ばし、真っ暗な部屋にずかずかと入り込み、ブラインドを開けると、午後のやわらかい陽射しが部屋一杯に入り込んだ。
 「うるせーな、もう…。ヒューイ、頼むから寝かせといてくれよ。俺、深夜労働だったんだぜ?」
 「俺だって同じだった!…おい忍、夕べのサイレン、やっぱりそうだったぞ。例の『ミンチ殺し』だったってさ。それも今度はなんと、ジークと島争いしている輩だったんだと。驚きだぜ」
 ヒューイがそう言った途端、忍は飛び起きた。
 「本当か?」
 「本当も何も、朝からそのニュースで持切りだぜ?ストリートの方じゃ、大騒ぎだ。まぁ、奴等は俺達とは全然関係ないしな。対岸の火事ってやつさ、奴等がどうなろうと知ったこっちゃないけどね、最近よく起こってるらしいし、物騒になったもんだよな」
 忍は気怠そうに辺りを見回し、自分の脱ぎ散らかした服を片付けてくれているヒューイの姿をチラリと見ると、まだ半分眠りの中にいる自分の身体を、再びベッドに倒した。
 「おい、おい、いい加減にしろよ!今晩は『シゴトの日』なんだから、ちゃんと起きてくれてないと、無一文だよ!」
 「うん、うん、わかった、わかった」
 「忍!」
 堪忍袋の尾が切れたヒューイは、シーツにくるまった忍を、そのまま床に引き摺り落とした。ドサリという鈍い音と同時に、忍が声をあげた。
 「いってぇ!何すんだよぉ!」
 「早くシャワー浴びて着替えな!シゴト行く前に、腹拵えするんだから。急げよ!」
 荒々しくドアを閉め、ヒューイの足音は遠ざかっていった。
 (機嫌わるいでやんの、あいつ)
 のろのろと起き上がり、面倒臭そうに何やらブツブツと独り言を呟きながら、シャワールームへ向かう。心地良いシャワーを全身に浴びると、段々と意識が冴え始める。ふと、先程のヒューイの話が頭を過ぎった。
 (ジークと島争いしている輩が、殺されたって)
 (例の『ミンチ殺人』、夕べまた起こったって)
 (狙いが全く読めないんだってさ。無差別に殺されてる)
 (たまたま、昨日はジークと争ってる奴等だったって話)
 (俺達には、関係ない話さ。テキトーに生きてる俺達には)
 スラムの一角にある古びたアパートの一室で、その日暮らしをしている自分が生きてゆくのに、そんな世間の事など気にする事もない。政治がどうだの、経済がどうだの、そんな事はスラムに住み着いた者には縁も無ければ興味も沸かない。只々、一日の時間の流れを長く緩やかに感じ、気の向くままに時を過ごす。誰も咎めはしない。咎めるのは、自分達と生き方も生活も違った、お偉いさん位だ。それも、結局は治安がどうのこうのといった、御都合によるものに過ぎない。
 (俺達には、関係ないね…)
 滴の落ちる濡れた髪にタオルを引っ掛け、バスローブ姿で小さなキッチンヘ行くと、待ち兼ねたようにヒューイが立っていた。
 「ボブが今夜、忍と話がしたいって言ってた。時間はこっちの都合に合わせるって。どうする?」
 「ふうん」
 冷蔵庫を開け、冷えたビールを口にしながら髪をタオルで拭いている忍を、ヒューイはじっと見つめている。
 「俺が察するところでは、ビジネスの事だと思うけど。忍が乗る気じゃないなら、断って来るぜ、俺」
 「報酬は?」
 「儲け金の半分だと。そのうち三分の一は俺の仲介料。悪くないだろ?おまけに忍のお得意のカードだ。勝算ありだろ?」
 「ボブの奴か…けっ、本人はベッドで楽しいコトして、金だけ受けとって、方や俺たちゃガラ悪い奴等を相手に命掛けかよ。割合わねぇよな、全く」
 「忍…!」
 「…あぁ、悪かった、気にしないでくれよ。いいんだ、別に。それがあって、俺たちゃゴロツキに目のカタキにされること無く、大手を振ってストリートを歩けるんだしな。弱い者が生きていくには、仕方ないさ」
 「忍…」
 「着替えて来る。待ってろ」
 背を向けていたものの、忍にはこの時のヒューイの表情がどんなだったか察していた。
 …申し訳なさそうな、表情…。
 本来、賭博嫌いの忍が、日々『代理プレーヤー』としてスラムのあちこちにあるテーブルにつくようになったのは、自分のせいだ…ヒューイはそう感じていたのだった。


 3年前、小雪がちらつく季節だった。都市中心部の明るく暖かい光に比べ、スラムの明りは乏しく寂しい。
 スラムでは、力のある者が生き延びられる。ケンカ強い訳でもなく、むしろ身体の弱いヒューイは、スラムに来て初めての冬に不安を覚えていた。
 かつて住んでいた、都会から離れた故郷から出て来た時に持っていた所持金は底をつき、泊まる所も、食べ物さえも手に入らない。だからと言って物乞いをしたところで、このスラムでは他人に恵める程の裕福な者はいない。
 あてもなく、街中を彷徨う…。…生きる為に、何ができるか。小さなドラッグストアに強盗にでも入るか…そんな勇気も、力も自分にはない。
 華奢で色白く弱々しい自分が、何故こんな所へ来てしまったのか、何を求めて故郷をとびだしたのか。遠い都会の世界に憧れ、ただひたすらに夢見てた自分の浅はかさ。理想通りの華やかな世界の、その裏の背中合わせにある現実を身を持って知り、幻滅の悲哀を、今こうしてこのスラムの路上で感じなければならない、己の惨めさ。
 ふと、メイン・ストリートの向こう側の、狭い路地にいる少年…自分より2つ、3つ位は年下であろう…に、目が付いた。
 彼は、こちらの通りの方をじっと見ている。何人かが、彼の前を通り過ぎていった。暫くすると、彼より頭2つ分は背の高い男が、彼の前で足を止めた。
 …何か、話している。
 (売春だ…)
 スラムでは、決して珍しいことではなかった。都市の繁華街の遊戯場や風俗の店に、スラム暮らしの者が行ける訳はなかったし、逆にそこで働くにしても、『それだけのもの』を持ってなければ無理だ。スラムの非力な者達は、生きる為に微々たる金を稼ごうと街角に立つ。
 交渉が成立したのか、二人は建物の影に消えた。
 こんな所で餓死するよりは、確かにマシかもしれない…。その時間さえ我慢していればいいのだ。この年齢になってその行為を知らないわけでもなかったし、好んで男を抱きたがる輩の存在も知っていたし、強盗だのケンカだの、危険な事をしなくても金を手に入れることが出来るのだから、後は自分次第なのだ。
 ヒューイは、通り過ぎる人々の中に『それらしき人物』が通るのを待った。『それらしき人物』が自分に近付いてくると、視線で合図する。
 男はすぐにかかった。こんなに呆気なく掛かるものなのか、とヒューイは驚いたが、ここからが難しい。『いくらで売るか』だ。交渉次第では失敗する。高額では買う訳がない。客の所持金を察して、金額を言わなければならない。
 自分より背は高く、体格も筋肉質のこの男は、ヒューイを気に入った。そして、ヒューイが最初に言った金額より、さらに男は上乗せした金額をヒューイに払うと言った。肩を抱えられ、ゆっくりと歩き出す…。導かれるまま、二人は建物の中へ入っていった…。
 それは…ヒューイにはとても堪え難いことだった。だが、生か死かの二つしか選択の余地が無かった彼には、ただ耐えるしかなかった。僅かな金を稼ぎ、食い繋ぐためにはやむを得なかった。
 こうした日々が続き、やがて一年の歳月が過ぎていった。すっかり売り込みが板に付き、一年前よりも稼ぎははるかに良くなっていた。
 ただ、四六時中誰かに抱かれていても、心は一年前と変わらず独りぼっちのままだった。心の隙間を埋めることはできなかった。
 男達は優しかった。だが、それはあくまでもヒューイの身体が目当てだったからだ。分かってはいても、誰かの、一時だけの優しさにすがりついていたい…ヒューイは街角に立ち続けた。
 夜、いつものごとく通りに立っていると、やけに辺りを見回しながら、いかにも『道に迷っている』感じの黒髪の若い男が歩いて来る。どうやらその様子からして、スラムの新顔のようだ。
 すらりとした細身の長身で、端正な顔立ちをしている。少し冷めたような冷ややかな視線は、ヒューイを釘付けにした。髪と同じ色の、身体のラインの出る服を着こなし、かなり素材の良いレザージャケットをはおっている。…金持ちに違いない。
 やや長めの髪が風にふかれ、柔らかそうにゆれた。闇の色をした、妖しげな男…。
 この男が自分を抱くか否かはともかく、ヒューイはこの男に興味を持った。
 (話しかけてみたい!)
 男はヒューイの熱い視線に気が付き、足を止めた。
 「あんた…、スラムに来たのは最近だろ?泊まるとこ、提供してやってもいいぜ。こんな時間じゃ、探したって宿は見付かりゃあしない。野宿は惨めだ。ベッドでぐっすり眠りたいだろう?」
 男は、黙ったままヒューイを見下ろしていた。そのポーカーフェイスは、ヒューイには全く興味がない、という感じが表れている。その黒い瞳は蔑むようにヒューイを見つめ、威嚇しているようでもあった。
 「…べ、別に俺の部屋を…ってわけじゃないけど。顔利きの宿なら空き部屋があるし…」
 「……」
 「あんたの望む方でいいから。…宿代だったら、俺が半分出してもいいよ、…いや、あんたは一割でもいい」
 この時ヒューイは、何故か向きになっている自分に気付いた。
 不思議な感覚だった。迂闊に触れようものなら火傷しそうな、ピリピリとした殺気のような気配すら漂っているこの男に、『そうなっても構わない』と、食い下がる自分に動揺を感じた。何かが違う。スラムのゴロツキ達の感じとは、明らかに存在自体が違って見える。
 「…金、無いのか?この位あれば、二日、三日は不自由しないだろう。遠慮せず受けとれよ」
 男は静かに言うと、ポケットからかなりの大金をヒューイにつきつけた。ヒューイは目を見張った。二日、三日どころではない。今の自分がひと月ほどは身体を売らずとも、生活出来る程の大金だった。
 (なんだよ、これ…)
 呆気にとられているヒューイに男は金を持たせると、それまでのポーカーフェイスを崩し、優しげな表情をして立ち去ろうとした。
 「あっ、おい待てよ!こんな金…!」
 男は振り向かない。背を向けたまま手を振り、どんどん歩いていってしまった。…忍との、出会いであった。
 自分を抱く訳でもなく宿を借りる訳でもなく、この日別れた二人だったが、ヒューイには忍の姿が忘れられずにいた。
 (…スラムのどこかで、また会えるに違いない!)
 そして、その待つはずの再会は、意外にも翌日の真っ昼間のストリートだった。
 ドラッグストアの帰りがけ、ふいに道を立ち塞がれて足を止めると、そこには自分の常連客の男が立っていた。
 「よぉ、ヒューイ。今夜は俺に一晩中付き合え。金もそれなりに出す。いいだろ?」
 男は公衆の面前でも気にせずに、ヒューイの腰をなでまわす。
 「ちょっ…、ちょっとハリー、止めろよ…!」
 「なっ、今夜俺行くからさぁ」
 ハリーはやたら執着心が強く嫉妬深くて、前々からヒューイの悩みの種だった。ヒューイからしてみれば、ハリーはただの客に過ぎないのだが、ハリーの方が本気になってしまっていたようだ。執拗に迫られて困り果てていた時、天の助けが現れた。
 「俺の連れに何してんだ。失せな」
 「何ィ?」
 聞き覚えのある声に、ヒューイは胸の高鳴りを感じた。
 「失せろと言ったんだ。この場で昼寝したくないならな」
 冷ややかな視線と、棘のある口調、堂々とした態度。啖呵の切りかたが、背筋をゾクゾクさせる。
 「何だ、てめえ!」
 ハリーの威嚇になど、ぴくりともしない。蔑んだような瞳が、ハリーを憤怒させた。
 「野郎ぉ!」
 ハリーが殴りかかる…勝負は一瞬で決まった。忍はハリーに強烈な左ストレートを見舞わせ、ハリーの身体は一瞬宙を浮き、路上に沈んだ。その瞬間、まわりの野次馬連中から、溜め息にも似たどよめきが湧いた。
 「行くぞ。いつまでもここにいるもんじゃない。事を大きくしたがる、お節介が出てくるぞ」
 「…えっ、う…うん、そうだな」
 人込みを掻き分けるように、大通りから裏道へ入って行く。ヒューイはずっと、その背中を追って歩いている。
 風貌から言えば、ハリーを一撃でKOしてしまうようなハードパンチャーには見えないのだが、自分が察した通りの振る舞いに、ヒューイはすっかり忍の虜になっていた。
 「おい」
 「えっ?」
 いきなり話しかけられ、露骨にうろたえる。
 「昨日の金、どうした?」
 「…あるよ。手ェ付けてないから、全然」
 「その金、倍にしてやるよ。…その代わりだ、もう例のシゴト止めろ。こうゆう所じゃ、きっかけを自分で作れない奴は、泥沼にはまったままあの世行きだって事位、お前も分ってんだろ?」
 胸に痛い言葉だった。好き好んで、こんな生き方をしてきた訳ではなかったが、この世界から抜け出す出路を見付け出すことは、自分にはとてもできそうになかった。
 「俺は…あんたに、昨日今日出会ったばかりのあんたに、手をさしのべてもらったところで、あんたに恩返しなんか出来ない」
 「俺はお前に、金と引き替えにどうのこうのと言うつもりはないぜ?金が出来れば、そんなことを続ける必要がなくなるんだ。俺はその手助けを、ちょっとだけするだけさ。…今夜カードをする場所、知ってるか?」
 「ああ、…だけど…」
 「俺はただカードを楽しみたいだけさ。金はお前のものだ。賭けてみないか、俺に…!」
 何もかも見通してしまうような澄んだ瞳と、小悪魔じみた笑みが強烈な印象をヒューイに与えていた。
 すっかり夜の帳が降りて人影もまばらになった頃、忍達は『パルテノン』というバーのに向かった。このバーのある付近一帯を島として縄張りを張っているハウエルがこの日大儲けしていて、勝利に酔いしれていた時のことだった。
 「随分と景気がいいようだね。お相手して頂けるかい?」
 忍の声に、ギャラリー達が一斉に振り返った。
 「おやぁ、見慣れないツラだなぁ。お兄さん、新入りだな?」
 「まあね。お手柔らかに頼むよ。今夜の宿代かかってんだ」
 周囲がどっと、笑い出す。
 「お兄さん、生憎だけど、今夜の俺は負け知らずだ。ちょっと前までその席座ってた奴もな、宿代稼ぎに来てたそうだが、宿代どころか、えらい借金して帰っていったよ」
 「よほどそいつが、運が無かったんだろうよ。同情するね」
 忍は余裕そうな顔をして、嘯いて答える。
 「持ち金全額の一回きりだ。俺とあんたのどちらが強運か、賭けようぜ」
 「ああ、いいとも。俺も全額賭けよう。だが、あんたが前に何処にいたかは知らんが、ここはスラムだ。スラムのやり方でやるのがルールだ。いいか?」
 「構わないよ。ルールは?」
 「勝敗がどうであれ、後追いは無しだ。フェアな勝負の結果に、因縁は付けるもんじゃねえ。…まぁ、賭け事の常識ってヤツさ」
 「それだけ?」
 「ああ、それだけさ」
 「じゃあ、始めようぜ」
 ディーラーがカードを切り、配る。ハウエルはこの日、本当にツキまくっていた。既に役を組めている状態でカードがまわり、勝算が見えてきていた。一方忍はまずまずのカードが来ていた。だが後のカード次第では、最低の役どころか全く役を作れない、まさに『運』次第のものであった。ヒューイはカードのことをよく知らなかったのこともあったが、『自分に賭けてみないか』という忍の言葉を信じ、勝負の行く末をじっと見つめていた。
 コールがかかった。ハウエルの顔に笑みが浮かぶ。ハウエルが開いたカードはスリーカードだった。一斉にギャラリーがどよめく。忍の勝算はそれ以上の役でなければならない。
 忍ははらりと落とすように、カードをテーブルに広げた。
 カードは見事なクラブの黒一色、フラッシュだ。
 「なんだと…!馬鹿な!」
 「どうやらあんたの幸運の女神をナンパしちゃったみたいだな。悪いね、べつの女神を見付けてくれよ」
 「くっ…!」
 ハウエルは唇を噛み締め、くやしさにテーブルを叩いた。喚声に似たどよめきが響きわたっている。忍はヒューイに約束した通りの金額、いや、その倍を一瞬にして手に入れてしまったのである。
 「すごい!すごいよ、あんたって人は!俺はとんでもない奴に声かけたんだな。こんなの、初めて見たよ」
 「約束だったからな。…お前も、守れよ。例のシゴトは廃業だ。いいな?」
 「おい、待ちやがれ」
 ギャラリー達の羨望を浴び、忍達が店を去ろうとしたその時、先程までくやしさに言葉も出なかったハウエルが、忍を呼び止めた。 一瞬、皆が注目し、静まり返った。
 「…脱帽もんだ。あんた、名は?」
 「『し・の・ぶ』。漢字で一文字で書くんだ。先祖がニホン人なんでね。…書けなかったら、言えればいいよ。とりあえず通じるから、俺の耳に運よく聞こえたら振り向いてやるさ」
 「はっ、はっ、は!気にいった!おい、一杯奢らせろよ色男!俺はこれでも、この辺を仕切ってる者だ。奢る金位はちゃんと残ってるよ。今夜はナンパ野郎のその強運に肖らせてもらいたいね、是非」
 「いいのかい?…だけどこいつの分が無いなら、今夜は遠慮させてもらうよ」
 「構わねえよ。連れの兄ちゃんの分も、俺の奢りでどうだ?」
 「…じゃあ、お言葉に甘えて」
 二人はハウエルの振舞いに、久々に酒を浴びまくった。話題は専ら、お互いが今までついたテーブルの事だったが、ハウエルは思い出せる限りのことを話したが、忍の方は曖昧にしか言おうとせず、ただ黙々とグラスを飲み干すだけだった。己の過去のことには、触れたくない様子だった。ヒューイはどこか翳りのある忍に、益々興味を持つようになった。
 話題も尽きてきた頃、ハウエルが『代理プレーヤー』の話を持掛けた。忍は退屈しのぎには丁度良いし、ヒューイの半ば保護者的な存在に自らなってしまったこともあって、あっさり引き受けた。
 それをきっかけに『代理』の噂が広まり、代わりを頼む者が後を絶たず、以後、テーブルにつけば百戦百勝の負け無しで、忍はついにスラム中で一、二を争うまでの屈指のギャンブラーに君臨した。
 始めのうちは好んでテーブルにつきに行っていたが、次第に忍は、時折愚痴を言ってはカードを嫌うようになった。
 「最初から分かりきったカードを引いて、何に『勝った』というんだ?」
 珍しく酒に酔い、たまたま吐き捨てるように言ったその台詞を聞いて、ヒューイは強く勧めることをしなくなった。だが忍自身は本心とは裏腹に、『仕事』を辞めたヒューイの生活費を得る為、何も言わずにテーブルへつくのだった。
 ヒューイはそんな忍が、自分のために無理をしているのではないか、と懸念していた。


 2年近い歳月は、二人を親密な仲にしていた。どちらが言い出したわけでもなく同じ部屋に住み、行動を共にしていた。最も、ヒューイの生活費は忍がカードで稼いだ金だったし、忍はスラムに来たばかりで土地鑑が無かったことから、案内役も兼ねて一緒に出歩くようになったのが、きっかけだったのだが…。
 ヒューイは最初から忍のことをとても気にいっていたし、常に一緒にいることで、次第に特別な感情を忍に対し抱くようになっていた。
 自分でそれを『自覚』してしまったのは、ジークという男が忍を気にいっているということを耳にした時だった。ジークは何人かの子分を連れた、グループのボスだ。喧嘩好きで、よく他のグループと争っている。そのジークがどうも男色家らしいということを聞いたまではさほど気にしなかったが、たまたまジーク本人の口から忍の名前が出た時、ヒューイに独占欲が芽生えはじめた。
 (忍は俺一人のものだ…!誰にも渡さない。絶対に…!)
 忍との付き合いは決して長い訳ではないが、四六時中二人でいた分、スラムの中では一番自分が忍のことをよく知っている。忍が自分のことをどう思っているかは別として、そんな輩に忍を取られることなど我慢がならない。
 忍の方は、そうゆう方には興味がなさそうだった。もしその気があるなら、この2年という月日の時間の中に一度ぐらい関係があってもいい筈だが、そぶりすらなかった。複雑ではあったが、忍から誰かのもとへ行くことはなさそうなので、ヒューイは安心していた
しかし近頃、ジークが強行手段に出そうな気配があった。
 「なぁ忍、知ってるか?」
 それまで互いに何も話さず黙々と歩いていた二人だったが、先に沈黙を破ったのはヒューイだった。
 「何が?」
 「近頃のスラムの、もう一つの噂。どうやらジークの奴、お前にゾッコンらしい。今まで知らなかったかも知れないけど、確かに忍はモロ、あいつの好みのタイプしてんだよ。髪の色も、瞳の色も、プロポーションも」
 「よしてくれよ、俺は野郎は趣味じゃないぜ。まっぴらだね」
 「あいつが忍を見る瞳は、いつも下心そのものって感じだよ。わかるもん、俺。…昔俺にもいたしね。そうゆうことは、忍のカード引きより当たってる自信ある。あいつは執念深いから、気を付けた方がいいぞ」
 「あぁ、そうだな。掘られるのはゴメンだ」
 この時、いや、今まで忍は、ジーク以上に自分に熱い視線を送り続けている者の存在に気付いていないようだった。身近にいる、ブラウンの髪の彼のことを…。存在があまりに近すぎることと、ヒューイの気持ちの半分が『尊敬』であった為かもしれない。
 (いいんだ、それで。俺だけの忍でいてほしい、この先ずっと側にいてほしいよ、忍…)
 この想いが通じる日は来ないと分っていても、ヒューイはひたすらに忍に尽くし、『子分』として行く先々について行くのだった。忍なしでは生きて行けない、彼はのスラムで見付けた唯一の、信頼できる人間なのだ。
 この日も当たり前のように忍は荒稼ぎをし、早々に席を外して、ボブの仲間にコンタクトをとって待ち合わせることにした。
 なにしろ、あちこちにひっぱりだこで、なかなかアポイントが取れない忍とやっと商談が出来るのだ…ボブは約束の時間よりもかなり早く、待ち合わせのバーへやって来た。
 「やあ忍、久しぶりだな。悪いな、わざわざ出向いてもらって」
 ボブは店の中に忍の姿を見付けると、乱暴に向かいの椅子に座り、煙草をふかした。
 「ここ数日、お前が来そうなテーブルに探しに行ってたんだが、全然姿がねえ。たまたま昨日ヒューイに出会えて、ラッキーだったよ。なにせ二週間程前に大枚はたいてやったら、見事に負けちまったもんでよ、首が回らなくなっちまったってワケさ。それで、藁をも掴む思いでヒューイに頼んだんだ。金はヒューイが言ったとうりでいい。頼まれてもらえないかな」
 忍は話を聞いているのかそうでないのか、ボブとは全然方向の違う方に顔を向けたままでいる。ボブはじっと、忍の言葉を待った。
 「…いいよ。」
 「本当か?よし、決まった。助かったぜ忍!…これはほんの、契約金のつもりだ。とっといてくれ」
 ボブは小さな袋をポケットから出した。金特有の金属音が、テーブルに置く時に聞こえた。最近忍に依頼する連中は、報酬とは別に、こうした契約金や、酒を振舞うなど接待をする。少しでも自分に多くの利益をもたらしてくれるように、という意味を込めた『賄賂』なのだが、自分の専属でいてほしいという意味もあってのことだ。
 「よろしくな、忍。金が出来たら連絡してくれ。俺はいつもの店にいるからさ」
 ボブは上機嫌で店を出ていった。ボブの姿が見えなくなったのを遠巻きに見ていたヒューイが、忍の横にやって来て座った。
 「結局、引き受けたんだな。嫌なら、我慢しなくてもよかったのに。さっき稼いだ金があるんだし、予定外の仕事だったんだから」
 忍は黙ったまま、金を適当に袋から出すと自分のポケットにしまい、残りをヒューイに渡した。
 「…あの…さ忍、悪いけど俺、これからちょっと野暮用あるから、先に帰っててくれよ」
 「…用事?これからか?…わかったよ。あんまりフラフラするんじゃねぇぞ。お前は危なっかしいんだからな」
 「大丈夫だって。じゃあな!」
 足早に店を出て行くヒューイを忍は見送ると、自分も店を出た。
 月の綺麗な夜だ。独りこのスラムの街の中を歩いていると、自分が初めてここにきた日を思い出す。
 (あの日は、こんな月夜だったか?)
 月日の流れの早さに、溜め息がこぼれた。
 毎日が同じように、なんの変化もなく時間だけが過ぎて行く。繰り返し繰り返し似たような毎日が続き、記憶すら、あやふやになりかけている。…ここは、スラムなのだ。
 大通りから横道に入り、部屋の近くまで来た時だった。先程から、忍は誰かにつけられているような気配を感じていた。気になったので振り返ってみたが、それらしき影はない。だが神経を逆撫でするような悪意を潜めた視線は、常に忍の背中を刺して止まない。
 自分以外の足音は無く、動く気配もないのに、それは執拗にまとわりついてくる。何が自分を苛立たせるのか、はっきりさせたいと思った忍は、人影の無いその路地の真ん中に立ち止まった。
 (何なんだ、これは…!)
 本能的に己に降り懸かろうとする災難を感じ取っているのだろう、自分の意思とは裏腹に、鼓動が高鳴ってきている。体中の血が、熱く流れているのがわかる。
 一瞬…。
 何が起こったのか、よくわからなかった。頬に焼けるような痛烈な痛みが走り、思わず手で押さえた。
 「痛っ!」
 そっと手のひらを見てみると、鮮血で汚れていた。
 (なんだよ、これ…!)
 とっさに我に返り辺りを見回したが、やはり誰もいない。頬は刃物で切り付けられた時のような痛みが続き、血が頬を伝って流れ出ているのがわかる。動揺していると、今度は鈍器で殴られたような劇痛が、頭に走った。
 『クッ、クッ、クッ…。これはほんの挨拶だよ、忍…』
 頭の中で、誰かの声がした。激しい痛みに顔を歪め、忍は姿無きものの攻撃にもがいた。血液が逆流し、頭へと集中しているような頭痛は、苦しさに叫ぶことも出来ない位である。
 (このままじゃ、殺される…!)
 (死にたくない、冗談じゃない…!)
 (やめろ、やめろったら!)
 『ヤメロ…!』
 身体のどこかで、ピシリと弾ける感じがした。突然、それまで自分を苦しめていた苦痛が無くなった。『何か』に解放されたとたん、忍は全身の力が抜け切り、その場に倒れ込んだ。意識は朦朧とし、起きあがることも、目を開けることもできない。冷えた路面が熱い身体を冷やし、ゆるやかな風が頬を撫でていることぐらいしか感じられない。
 (俺は…死ぬのか…?)
 そして、意識は深い闇の中へ落ちていった。

ACT:1/BLOODY STORM | 第1章:発端 | 第2章:灰色の世界 | 第3章:予感 | 第4章:現実化する悪夢 | 第5章:鼓動 | 
ACT:2/SHOUT! | 第1章:冷たい雨の中で | 第2章:歪んだ鏡 | 第3章:亀裂 | 第4章:消された記録 | 第5章:招く手 | 

--SWEET GAME 2001-2006--
WebMaster:MAMORU.A.