今日で4日目…連日雨が続いていた。 この時期の湿気はイヤだが、雨自体は嫌いじゃない。 埃を洗い流した独特な空気と、普段なら遠くの車の走る音とか人々が生活する雑音が聞こえるのに、耳を澄ますと雨音しか聞こえない、やけに静かに感じる時間…それがどこか心地良い。 人の噂も75日…とかなんとか言うけど、その半分はおろか、4分の1も消化してない今、みんな表立って口にはしないが、おそらく会話のどこかにあいつの名前が挙がっているのは確実っぽい感じだった。 電撃的とも言える、あの『篠田 克博』の生徒会長引退とバスケ部部長引退宣言…まぁ急すぎて暫くは引継ぎ期間というか、当面次期会長や部長補佐に付くらしいけど、第一線を卒業まで貫き通すであろうと周囲は察してたし、本人もちょっと前まではそのつもりだったろうから、やっぱり周囲への衝撃は大きかった。 一度壊したものを元に直すことはできない。そのきっかけは言うまでもなく、あの篠田の後輩の一年生なのは間違いない…勿論それは篠田本人から俺はたまたま聴いていたからだけど、ダメージを食らって弱ったあいつを完全に潰したのはこの俺だった。 篠田のクラスメイトが言ってた話では、ここ数日、あいつは人が変わったみたいに口を開かなければ周囲との関わりを避けるように独りでいることが多いらしい。話しかけてもそっけない返答しかなく、以前のような愛想がないという。 …いや、それは多分『本来の彼』なんだろうよ。 今まで大塚 祐司の為にありとあらゆる方法で自分を飾り立ててきたのに、『それ』が必要無くなっちゃっただけなんだよ。 昼休みになり自販機のジュースを買おうと教室を出ると、本を片手に教室を出てきた篠田に出くわした。 「…篠田…?ありゃ…、メガネ?」 「え?…あぁ、まぁね…」 「ふぅん…なんか眼鏡かけてると、やたら秀才臭い顔に見えるなぁ…あぁ、フレームのせいかな?なんかイメチェンのつもりだったら逆効果ってカンジ?」 「…今まで部活があったからコンタクトしてたんだけど、実は結構目が悪くて…コンタクトとの相性がホントはあまり良くないらしくて、医者の薦めで暫く眼鏡にすることにしたんだ。…別に家では今までも普通に眼鏡だったんだけど…」 篠田は頭を掻いている。 そのまま視線を逸らさずにじっと見つめると、彼は避けるように視線を落とした。 …気にしていない訳がない。『無かったこと』になんてできるわけがない。俺の視線があの時、何もかもさらけ出されたその全身に注がれていたことを…いくら冷静さを保とうとしていても、目の前に俺がいるとなればその動揺は隠せない。 「…なぁ、克博…」 肩に触れようとそっと手を延ばすと、ビクリと彼は身を引いた。 どうみても『条件反射』。そりゃそうだろうな…。でも、もっと拒絶的であれば、俺に話しかけられたり、俺の姿を見るのもイヤな筈だ。 「…俺のこと、…嫌い?」 「え?」 その言葉に戸惑い気味に顔を上げる。 「別にさぁ、俺は今まで良い子ちゃんぶってたお前がメチャクチャムカツクとか、ライバル視して嫌ってるとかって訳じゃないし。だからお前を陥れようとか、お前が俺ン家であんなんなって影でコッソリ喜んでるわけでもないし。かといって、あの大塚に実は興味があったとかいう衝撃的なエピソードがあった訳でもないし。…まぁ、俺としてはお前が俺を嫌ってようと、恨んでいようと、知ったこっちゃない訳なんだけど」 …何を言ってるんだ俺は。さっぱりわけわかんねーぞ。 「…嫌いになれたら…楽になれるのにな…」 「……」 その言葉は、俺に対することと、あの大塚に対する言葉の両方への意味を持っていたのは俺にも分かった。 俺はともかく、大塚へ未練を持ったとこでどうなる?お前の気持ちなど、あいつには絶対に届かない。届くことなんかないと分かっているんだろう? 篠田は本を持ち替えると、そのまま屋上へ向かう階段の方へ歩いていった。俺はその姿を追うことをせず、自販機のある1階へ向かった。
「笙一さん、そろそろ進路の方決めなきゃならないんでしょ?お父さんにも一度、きちんと話した方がいいと思うけど」 夕食時に母がそう言った。その横で居候の吉原さんが聴いていないふりをしている。 親父は例のごとく出張中で…そうでもなきゃ、母はそんなことを口にしなかったろう。 「…別に、後でもいいんじゃない?推薦枠の範囲なんて、たかが知れてるんだし。どれがいいかな?…なんて、訊ける程選ぶ選択肢があるわけじゃないんだよ?」 「でも…学費とか…もしかしたら、独り暮らししなきゃならないことだってあるわけでしょ?」 「学費はともかく、家から通えない所は行かないよ…ご馳走様」 俺は早々に席を立った。 親父が美大の教授だから、俺もその筋に行く…なんてつもりはハナからなかった。全く興味がないというわけではなかったが、俺としてはそっちの道よりも他の方がずっと興味があったし、自分に合うと思っていた。学校の成績はトップクラスじゃなかったけど、まあまあ上位を維持していたこともあり、なんとか学校の指定推薦枠に残れそうだった。だからさっさと『受験』の2文字から解放されて、何もかも今まで通り、残り数ヶ月の高校生活を過ごしたかった。 自分の部屋に逃げてTVを付け、ゴロリとベッドに寝転ぶ。余裕があるわけじゃないけど、日頃真面目に部活をやっていたり、そこそこ勉強していたことが功を成しただけのことだ。この位で成績が極端に悪化することはない。 机の上の携帯が鳴り出す…広田さんだ。 「はい、もしもし?」 『あぁ、笙くん?今大丈夫?』 「うん。…何、どうしたの?」 『ゴメンな、いきなりかけて…。いやぁ、ちょっと…あれから気になってて、さ…』 言い出し難そうなその口調で、俺は広田さんが何を気にしていたのか、俺は直ぐに察した。 「別に何も。ご心配なく、お陰様でヨロシクやってます」 …そんな訳全然ないんだけれども。 『え?…あぁ、そうなんだ。…あ、そう…』 何?…俺が『あの一件』で何かモンダイでも?…尤も、あれでモンダイになったのはあの篠田の方だけどな。 「広田さんこそ…気にしてたの?」 『……』 「別に、気にすること何もないって。…広田さんがいなきゃ、俺には独りじゃどうしようもなかったんだ。むしろ感謝してる位だよ」 …あの時広田さんがいなきゃ、あの篠田を『壊せなかった』。他に手段が思いつかなかった。そうでもしなきゃ、気持ちが収拾つかなかった。 篠田と大塚が『そんな関係』だったことを聞かされてのショックじゃない。篠田にとっては、彼が知る『俺』にそのことを話すことは、俺にとてつもないショックを与えることだと思っていたようだが、当の俺にとってはそんなことは今に始まったことではない。この広田さんも…そして、それ以前に遠山さん達のこともあって…俺にとっては『やっぱりね』程度にしか捉えなかった。 でもその半面、腹の中で煮え切らないような、何かひどく消化不良のようなものがあった。だから確かめたかった。 でも…『そうまで』しても、実のところ答えは未だ出ていない。 「……!!!」 あぁ、そうだ。きっとそうだ。こんなんで答えなんか見つかる訳がない。 この思いはきっと、『あいつ』と同じ感覚なんだ。俺は今…あの大塚と同じ『心境』でいるんだ。…だから大塚は、篠田との関係を『終わりにした』んだ。 『…?笙くん?もしもし?』 「え?…あぁ、何でもない、なんでもない」 その感覚は昔から確かにあったのに、ただ『例え』が見つからなかっただけで…今まで見えずにいた鎖の先へ辿り着けそうな、そんな予感…でも俺は『大塚』じゃない。俺は『俺』なんだ。だから…。
「…へぇ、ヨリ戻したんだ」 「まぁな」 車線変更のウィンカーを出しながら、広田さんは苦笑いをした。 「…とは言っても、紘くんの方はまだ切れてないらしいけどな。別に俺は、紘くんにはそうゆうことはあまり深く追求する気ないし、紘くん任せだよ。…俺とは年も離れてるしさ、まさにジェネレーション・ギャップってやつ?だからさ、本音言うと実のところ、未だあの子が何考えてるのかサッパリわからん状態でね」 「あはははは、なんだよそれ。だってそいつ高1だろ?…俺と大差ないじゃんか」 「笙くんは別。妙にしっかりしてるというか、どっちかと言うと年相応じゃなくて、若干老成してるっつーか、何つーか。…まぁ、あの吉原さん達に囲まれてたせいなんだろうけどさ」 週末の昼下がり、俺は広田さんの車にいた。学校から帰ってきたら母が出かけていて不在の為に食事の世話をしてくれる人がいなかったので、広田さんが外に食べに行くことを提案したのだ。 「でもさ、そうなるとちょっと厄介じゃない?…二股バレたら、向こうはどうみてもヤバイでしょ?」 「どうなのかな?…あの子にとっては、『自分に関心があればそれでいい』、ってな感じがあるんだよな。甘えたい時だけ目一杯甘えて、好きなだけ可愛がってもらってさ。そんでもって気が向かなきゃ”プイッ!”ってそっぽ向くし」 「なんか猫みたい」 「そうそう、まるで猫だな」 そしてあの『遠山さん』みたいな人なんでしょ?…それは言葉にしなかったけれど、広田さんが『ヨリ』を戻す気になったのは、遠山さんのことが忘れられないからで…遠山さんといい、篠田といい、この広田さんといい、なんだがみんなが皆、過去という鎖に縛られているんだなとつくづく思う。 ファミレスに入って1時間弱、食後のコーヒーが2杯目に突入するか否かの頃、広田さんの携帯が数回、ブルっているのに俺は気が付いた。広田さんは最初の一回目はちらっと携帯を見たが、それ以降、気付いているのに携帯を確認しようとしない。 「いいの?ほっといて」 「ん?…ああ。どうせ大した用じゃないし」 『大した用じゃない』って、1回ちょっと見ただけでその後全く確認もしないで、ホントにそうと言い切れるのかぁ?…そうじゃなかったら、そんなに間髪入れずに鳴らさないと思うけどねぇ…。 …そういえばさっき、パッと見が遠山さんチックな雰囲気のヤツが、ドリンクバーにいたような。…いやでもまさか、幾らなんでも俺の見間違いだよなぁ…何げに周囲に目をやると、視界ギリギリの席で携帯にかじり付くようにしているヤツがいる。 …うっわぁ、なんかすっげぇワッカリ易いヤツだなぁ…。しかし、広田さんも広田さんだ。そんなヤツなら適当に返事出しとけば、とりあえず大人しくなるものを。 この調子だと、向こうは完全に俺を自分以外の『他の男』だと勘違いしてるな…。さしずめ浮気現場の証拠を押さえた!…って感じか?…アホか。俺はそんなことにいちいち付きあってられんわ。 俺はトイレに行くふりをして、そいつの行動を制した。俺が声をかけるとびっくりした顔で見上げて…あぁ、ホント、感じが似てるや。 …あの大塚が、広田さんを見るこいつみたいに篠田を見ていたなら、篠田はあんなことにはならなかったのかな?…いや、そうだったとしても、いずれこうなるのは目に見えていたのかもしれない。 篠田はあまりにも、真面目で純粋すぎる…。 あの日…俺に無理矢理ヤラれたって、あいつはそれを『自分なりに理解しようと』考えている。大塚と自分を重ねて、『俺』の真意を探ろうとしている。 あぁ、なんで…なんで俺はこうも篠田のことばかり考える? 気が付けばいつもいつも、あいつを気にして、あいつの姿を探して…。
冷えたジュースを手にして屋上に行くと、誰もいない隅っこの方に篠田はぽつんと座って本を読んでいた。 「篠田、ほれっ」 俺は冷たい缶を顔にぺたりとつけて差し出す。彼は差し出されたジュースと、もう一方の俺の手にあるジュースに交互に目をやる。 「俺のオゴリ。遠慮なくドーゾ」 「…ありがとう」 読みかけの文庫本にしおりを挟んで閉じ、俺が買ってきたジュースを開ける。肩が触れ合いそうな位の距離で側に座っても、篠田は拒否しない。…俺とあんなことがあっても、それ以上に、大塚の件の方が今の篠田の頭の中を占めているってことか。 「…なぁ、篠田」 「ん?」 「…今、…キスしても…いい?」 「……」 返事のない篠田の顔をゆっくりと覗き込む。 「…嫌か?…嫌なら止めるぜ」 「……」 今は考えるにも値しない存在でもいい。俺だって正直、よくわからない。なんでそう思ったのか、なんでそうしたかったのか、考えられなかったんだ。 「…ゴメンな…。あんなこと、するんじゃなかったよな…」 その瞳は逸らさない。…何も焦ることもなかったんだ。時間をかけていけばいい。今までだって、俺はずっと見守ってきたじゃないか。何もかも承知で、俺は見守ってきた。俺が側にいてやるよ。これからも…この先どんなことがあっても。 あいつの柔らかい唇の感触に、沸き上がるこの感情が篠田に対する『愛おしさ』だということを、俺は初めて認識した。 「…っ!」 突然篠田が顔を顰める。…顔を背けた彼が驚きと戸惑いの表情を見せていた。じんわりと唇に滲む自分の赤い血に、彼は動揺している。 「…『証拠』さ。俺が付けたんだ、っていう証拠。他の奴等に傷を見られて不審がられるのも大いに結構。今更俺は隠すつもりないし、誤魔化すつもりもない」 チャイムの音に篠田がはっとする。教室へ戻ろうと慌てて立ち上がる。 「…克博!…俺、待ってるから。お前が自分で来る気になったら、いつでも来いよ」 彼は俄に微笑み返して屋上を後にした。 |
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