「笙一さん、本当に行かなくていいの?」 「いいんだ、本人が良いと言ってるんだから。…笙一ももう高校生なんだ。そこまで親が出しゃばる必要はない」 「でも…」 「いいよ、本当に式に来なくて。…いってきます」 おろおろする母親に、無関心な顔で朝刊を眺める父親…片方はしつこい位までの過保護ぶりに、もう片方は全くの無関心。…まぁ、母親は俺の生みの親ではなくて、俺が小さい時に死んじまった母親の後妻なわけで…複雑な家庭事情ながらも高校進学に至るまで、なんとか俺はすくすく育ってこの日を迎えていた。 ゲージツ家で大学の講師をしていた父が、某大学との契約期間が満了になると共に別の大学の非常勤になったのと、再び個展の作品制作やらなにやらに追われるからとの理由で、今まで住んでた街から引っ越すことになった為、俺は高校進学にあたって全く友人のいない学区への受験となり、一緒に入学式へ行く友人も当然いない。まぁ、我が家は『オヤジ天下』で回ってるから、仕方ないことなのだが。後妻の母親は俺が物心つく頃には親父と再婚してたから、俺にとっては育ててもらった母親の記憶しかないのだが、この人は小さい頃からちゃんと俺に『本当の母親のこと』を説明していた。仏壇があるせいもあるのだが、写真の人が誰かと聞くと、親父はいつもなあなあにしか返事をしなかったが、母親は『生みの母親』と以前交友があったらしく、断片的ではあったが話してくれることがあった。未だに俺に対して『さん』付けなのは、その『本当の親子じゃない』ことを意識してなのだろう。 そんな二人を横目に入学式へ行くために玄関へ向かう。 「あ、笙ちゃん、いってらっしゃい」 住み込みで父の仕事を手伝っている吉原さんが、庭先で道具の手入れをしていた。俺が廊下を通り過ぎようとしていた時、そそくさと俺に駆け寄る。 「帰ってきたら、坂井やみんなでお祝いしてやっからな」 「いいよ、そんなことしなくても」 「よかない!…笙ちゃんは俺等の弟みたいなもんだもん、弟が高校生になったんだ、今日はとことん飲むぞ!」 「…ただ飲むきっかけが欲しいだけだったんじゃないの?」 吉原さんが俺の一言に顔がひきつる。 「坂井さん、『このままだと大学留年しそう』って、こないだヒィヒィ言ってたよ。やめとけば?」 「あー、坂井は…大丈夫でしょ、多分…」 「じゃ、いってきます」 一人っ子な俺は、小さい頃から親父の手伝いやら大学の研究課題で親父のアトリエを借りに住み込みでやってくる人が『お兄さん』だった。別に俺の遊び相手をしたところで、あの頑固親父が単位をくれるわけはないんだが、制作に追われる彼等には俺は気分転換の犬猫扱いというか、おもちゃには丁度良かったのかもしれない。よくキャッチボールをしてくれたり、たまに勉強を教えてもらったり、遊びに連れていってくれたりするこがあった。 バスに揺られて数十分、俺はこれから3年間通う高校についた。入学式から部活勧誘に勤しむ上級生の姿が校門付近からうろついて、新入生に片っ端からチラシを配っている。 停留所を降りて校門へ向かう数メートルの内に、俺は数人の上級生に囲まれた。 「ねぇ、君!サッカー部に入らないか?」 「うちの部はね、インターハイに過去何度も出場している強豪と呼ばれていてね」 「女の子いっぱいいるよぉ〜」 俺は黙ったまま、左右交互にチラシを受け取りながら校門へ向かう。すると校門で妙な人だかりが見えた。 「ねぇ、ねぇ、考え直そうよ。テニスだって君ならできるって」 「いえ、僕は最初からバスケやるつもりでいましたし。すみませんが、掛け持ちでも他の部に入るつもりはないので」 「篠田くぅん、もったいないよー」 「篠田ぁ、ウチなら大学へのスポーツ推薦も可能なんだぜ?」 上級生に囲まれ、すごい熱烈ラブコールだ。どうやら地元中学で名の知れた人物だったらしく、他の勧誘と熱の入れ方が半端じゃない。 「ですから、他の部に入るつもりはないんです。先輩方、すみませんが入部の話はお受けできません。もうすぐ教室に入らなければならない時間なので、今日のところはこれで失礼します」 微笑みながらもきっぱりと言う。 「考え直せよー、まだ時間あるかならなぁ」 別れ際にも諦めきれない上級生が、必死にアピールしている。まぁ、俺みたいに全くの学区外から来た人間は、ここじゃぁ知ってる奴もいないだろうな。 俺は廊下に張り出されたクラス発表の紙を見ながら、自分の名前を探した。 「”き”ー…”き”ー…あ、あった、ここだ、5組だ」 『…ん?』 俺は自分のちょっと後ろに書かれた名前に目がいった。 『”篠田 克博”…あれ?さっきの奴、確か”篠田”って…』 教室に入って、自分の席の近くにさっきの熱烈ラブコールを受けていた篠田の姿を見つけて、俺はあいつと同じクラスになったことが分かった。 教室に入った彼は、直ぐさま何人かで入れ替わり立ち替わり誰かしらに話しかけられていた。俺が席に付いて数分経たずに担任の先生が入って来て、入学式の段取りになったので、その日は特に言葉を交わすこともなく終わった。 「ただいまぁ」 「笙ちゃん、おかえりー」 いきなり玄関先でクラッカーの嵐。頭や肩に、クラッカーの中身の紙吹雪やらテープが絡みつく。 「吉原さーん、もうやめてよぉ」 真新しい制服をはたきながら、靴を脱ぐ。 「早く着替えて、俺の部屋来い。堤も来てるんだぜ?」 「え?堤さん?」 堤さんは丁度一年前大学を卒業していった人だ。吉原さんや坂井さんは大学院へ進んだが、堤さんは就職してうちの離れ…といっても隣にあったアパートを出ていった人だった。 吉原さんは今でもうちの空き部屋に住み込んでいるが、他の人は引っ越しと同時に隣にあったアパートに残ったり、大学卒業で出ていったりしてたが、隣町で電車でも大して変わらない距離に親父が越したので、当時の人の出入りはまだあった。 堤さんは高校時代スポーツをしていたこともあって、当時の『お兄さん』達の中では一番運動神経が良くて、野球やらサッカーやら、いろいろ教えてくれた。そのお陰か、俺の体育の成績は抜群に良かったんだ。 でも…。 俺は堤さんが来ている、ってことで、あることを思い出してしまった。吉原さんのことだ、堤さんをわざわざ呼んでるってことは、当然あの人も…。 もうあれから一年半近くも経っているんだし、俺が気にするまでもないか、と振り切りながら、俺は自分の部屋に戻って鞄を机の上においた。 「どーも…」 着替えて吉原さんの部屋に行くと、坂井さんや堤さん達の姿があった。 「あ、笙ちゃん!」 「よう!久しぶりだな!あれ?ちょっと見ない間に背が伸びたんじゃない?」 小さなテーブルには乗せきれないお菓子やらつまみの山、さらにその下にはビール缶が結構な数が用意されている。 「堤なんて、携帯で何度かやりとりした程度で、俺だってこうして会うのはホント半年ぶりだもんなぁ。笙ちゃん、こっち座れよ。ちゃんとジュースもあるからさ」 テーブルを囲むように、吉原さん、堤さん、坂井さん…そして… 「笙くん、久しぶり。覚えてる?」 久々に見る顔。隣のアパートに住んでいた、遠山さん…彼はまだ、この春3年になったばかりの筈だ。入学と同時に隣のアパートに住んだが、ある事件で彼はアパートを引っ越してしまったのだった。 「うん、覚えてるよ、遠山さん」 ある事件…多分今ここにいる中でそのことを知るのは、俺と、遠山さん本人と…堤さんだけだろう。遠山さんは俺や吉原さん、坂井さんに久々に会うのがちょっと照れくさそうな感じで、すぐにうつむいてしまった。 「そういえばホントは遠山は専攻学部が違うんだっけ?たまたまあのアパートに住んでた、って理由で、教授に手伝わされてたもんなぁ」 「いやいや、きっかけは堤が自分がセンセーにいろいろ頼まれて、忙しいのを手伝わせる為に連れてきたのが最初だよ」 坂井さんが乾杯の音頭を待たずに缶ビールを開ける。 「堤は今仕事、忙しいの?」 「まぁ、そこそこにな」 なんか、やっぱり俺の入学なんてどうでもいいんじゃないか!…な『宴』が、ダラダラと始まっていた。堤さんと吉原さんは煙草をくわえだし、坂井さんは俺に気を遣いながら遠山さんと話をしている。 「あれ、お前いつの間に彼女できたん?」 坂井さんが遠山さんに向かって言う。 「え?」 「なんだよー、隠すなよー。指輪だよ、指輪!これって、やっぱりペアリングじゃぁねーの?…で、どこまでいってる?」 興味津々に坂井さんが遠山さんの左手を掴む。 「あー、いやぁ、その…」 俺もその指輪を見てびっくりした。だって、遠山さんは…。 「俺にもそのうち詳しく紹介してもらおうかな」 堤さんが煙草の煙をゆっくり吐きながら言った。 『ちょっと待て!?…どうゆうこと!?』 俺は堤さんと遠山さんをまじまじと見つめてしまった。だって、二人は…。
中学2年の夏休み前だった。夏休みと言っても、大学生の夏休みは俺に比べてえらく長い。だけれども、親父のところに世話になっている学生達は、自分の課題と親父の研究の手伝いで毎日大変そうだった。親父がたまたま出張で出かけてしまったので、残った学生達は親父のアトリエで制作をしたりしていた。大学では使用時間が限られているから、そういった意味では親父のアトリエは24時間使用可能なので、住み込み学生や隣のアパートに住む学生は大助かりだったようだ。もっとも、住み込みといってもうちは下宿屋ではないので、あの頑固親父の目に適ったごく限られた人間がそれを許されている、と言うべきか。既に院生になっていた吉原さんは親父の手伝いで一緒に同行していて不在だったし、残っていたのは堤さん達だった。 学部の違う遠山さんはたまにしかアトリエには顔を出さないが、以前から堤さんとは親しかったらしく、よく携帯でやりとりしているのは俺も知っていた。 「ねぇ、誰か絵の具貸してぇ」 「あん?絵の具?…油か、アクリルか?」 「違うよ、そんな専門的なもんじゃないって。フツーの水彩。ガキが使う奴でいいんだってば」 「何?宿題?」 「明日、美術の授業で使うんだよ。切らしてた色があったんだけど、うっかり買うの忘れたんだ。今から画材屋行くの面倒なんだもん」 俺は父親のアトリエにいた堤さんに話しかけた。 油絵の具まみれの堤さんが、キョロキョロと棚を見渡す。タタミ2畳分の大きさはあろう大きなキャンバスに向かって、堤さんは油絵を描いていた。 「堤さん、油も描くの?」 「必須科目の課題だよ、課題。単位取らなきゃ卒業できないからね」 堤さんは棚から絵の具を見つけ、中身のチューブに描かれたラベルを見る。 「えーっと、これは…うん、水彩だな。ほれ、持ってけ」 「え?一式いらないよ。緑が欲しいんだって『み・ど・り』!」 「『緑』だけ?…うーん、緑って言われても、緑はいっぱいあるからなぁ。面倒だから持ってけ」 そうこうやりとりをしていると、堤さんの携帯が鳴った。着信相手を画面で確認してから電話に出る。 「何?…え?…わかった。今どこだ?…え?ちょっと待ってろ、すぐ行くから」 慌ただしく堤さんは作業用のエプロンを置いて、携帯をポケットにしまう。 「笙ちゃん、俺ちょっと出てくるわ」 そう言うと、堤さんはアトリエを飛び出してしまった。 俺は誰もいなくなったアトリエに、一人ぽつりと佇んでいた。学生さん達が制作途中の作品が、あちこちに置かれている。部屋の奥は親父専用で、そこは息子の俺でも入室が許されていない。 俺は暫く…悠に1時間はあったかもしれない…みんなの作品を眺めて、ぼーっとしていた。 夕暮れ時になると、光に反射して作品達は別の色彩を放っていた。静かな時間を、どこかの美術館にいるような感じで俺は過ごしていた。 ふと、外が急に騒がしくなった。 「だからと言って、何もそこまで決めなくたっていいだろう?」 堤さんの声だ。帰ってきたみたいだった。 「俊章には分かんないよ…僕の気持ちなんか、分かるわけがない!」 …あれは…遠山さん?…なんか、二人とも荒れてるなぁ。喧嘩? 俺はアトリエの窓から庭の向こうの様子を伺った。 「お前の気持ちだとか、そうゆうんじゃなくて…少し冷静になれよ、和寛!お前は今、混乱してるんだって」 「…混乱?」 トン、と堤さんの胸を突き放す。 「僕が”混乱”?…そうだろうね、確かに今の僕は混乱してるよ。あんな目に遭ったから余計におかしくなってるかもしれないね」 遠山さんは一度突き放した堤さんの腕を掴む。 「じゃぁ、これも僕の”混乱”なんだよね!?」 「……!」 『えっ!?』 俺は面食らった。遠山さんがぐい、っとその腕を引き寄せて、堤さんの首に腕を回して…。 「…僕の気持ちなんか…俊章にわかりっこないよ!」 遠山さんは足早にアパートの階段を駆け上がる。 「…おい、和寛…、ちょっと待て…!」 数秒遅れて、遠山さんの後を堤さんが追っていく。…外は静かになった。 あれから数時間…帰って来ない。もう夕食の時間だというのに、堤さんは遠山さんの部屋に行ったきりで、帰って来ない。1階の堤さんの部屋だって、電気は消えたままだ。 「…遅いわねぇ。笙一さん、あなた何か堤さんから聞いてない?電話とかなかった?…アパートに戻ったのかしら?」 アトリエを数日借りたいとのことで、連日殆ど泊まり込んでいる状態の堤さんの夕飯も作っていた母が時計を見ながら言う。 「何も聞いてないけど…」 「そう?…おかず痛んじゃうといけないから、冷蔵庫にしまっておくわ。笙一さん、勝手に食べちゃだめよ」 「分かってます、ってー…」 俺は自分の部屋から隣のアパートを見た。 遠山さんの部屋は…なんとなく明かりが射しているようにも見えたが、なんか部屋にいるようないないような、そんな感じだった。堤さんの部屋も相変わらず真っ暗だ。 夜中…アトリエの方で音がして目が覚めた。明かりがついている。堤さんが帰ってきたのだろう。 そっと部屋を抜け出して、アトリエを覗くと、そこには何かに取り憑かれたように絵筆を動かす堤さんがいた。俺はとても声をかけられそうもないその様子に、黙って部屋に戻った。遠山さんの部屋は相変わらず、薄暗いままだった。 …翌日、学校から帰ってくると昨日は何もなかったように堤さんはアトリエにいた。 「おかえり、笙ちゃん」 「あ、これありがとうごさいます。返します」 「ああ、絵の具ね。…そうそう、笙ちゃんさぁ、おばさんが画廊に行ってくるからちょっと帰りが遅くなるって言ってたよ」 「え?うん、わかった」 俺は夕べのことが気になりながらもそれを訊けなくて…会話に困った。 「…俺、ちょっと出かけてくるから…」 「ほーい。気ぃ付けてなー。遅くならないうちに帰って来いよ」 「…うん」 俺はコンビニで暫く漫画を読み、プラプラしていた。漫画を読んでいると、何故か頭に昨日の堤さん達のことが過ぎる。 『遠山さんがあの時堤さんにキスした、ってことは…遠山さんって、堤さんのことが…?』 気になって気になって、漫画どころじゃぁなくなっていた。俺は帰りの遅くなる母の夕飯を待つ間に食べようとカゴにお菓子とかカップ麺とかジュースを無造作に突っ込んで、足早にレジに並んだ。 家の前まで戻って来た時、俺は様子が変なのに気づいた。夕暮れ時で室内で作業するには暗くて電気をつけなければ作業しにくいのに、アトリエには明かりが付いてない。 玄関に入ると、靴が2足ある…一つは堤さんのスニーカーだ。でももう一足…。俺は何故かそろそろと音を立てないように、アトリエの方へ向かった。 「あ…」 その声にびくりと俺は跳ね上がる。 「俊…章…っ、…」 妙に甘ったるい声がアトリエの方から聞こえて来た。 「大好きだよ、俊章…」 『この声…遠山さんか!?』 俺はなんだか心臓がドキドキして…中学生の俺がこんなことを見たり聞いちゃいけないようなことは、直感的に感じてたんだけれども…でも、今アトリエの中で何が起こっているのか知りたくて…明かりの付いてない室内は、かえって外の街灯の光が射し込んでいる窓際の方が明るかった。俺はそのまま暗がりの中の廊下を進み、アトリエのドアをほんのちょっとだけそーっと開けてみた。 イーゼルの向こうで腰掛けたままの堤さんの足元に、遠山さんはいた。遠山さんは後姿だったが、薄暗くともはっきりと分かった。…何も…何も着ていなくて…。 「…早く忘れたいよ…。…もっともっと、俊章といっぱいして…早くあんなこと忘れたい…」 遠山さんは堤さんに抱きつく。 「俊章じゃなきゃ、絶対イヤだったんだよ…。…ずっとずっと、入学した時から教室で絵を描いてる俊章だけを見つめてきたんだから…。それなのに、あんな…津川がいきなり僕に…」 「…和寛…」 「酷いよ…、酷すぎるよ…!素描デッサンのモデルをしてくれって話をまともに信じた僕が悪いのかもしれないけど、なんであんな嘘ついてまであんなこと…」 「もう泣くなって…、な?」 堤さんが優しく彼の髪を撫でる。何度も何度も二人はキスを交わす。 「…もう津川のことは考えるな。考えるから、余計に辛くなるんだ」 「でも…忘れたくてもそんな簡単にできないよ!…なんで、なんで俊章じゃぁなかったんだよ…!?俊章だったら…あんな辛い想いしなくて済んだのに…!」 「この痣も…その、津川が…か?」 堤さんが訊き辛そうに遠山さんに問う。 「…そうだよ。夕べ気が付かなかった?…こっちも、ここも…結構僕も抵抗したからね。でも結局、他の連中がみんなグルだったから、どうにもならなかった…津川の奴、最初から僕をヤル目的だったんだ。モデルなんか易々と引き受けるんじゃなかった…!」 「…夕べは全然気が付かなかったんだ…まさかその、そんなことになってたなんて信じられなくて…。俺も…もう、わけわかんなくて、必死で…」 「俊章がつけてくれたものだったなら…それはそれで良かったんだけどさ」 細身の遠山さんの背中が街灯の光に反射して、陶器のような肌が暗がりに浮かびあがっていた。その肌にゆっくりと堤さんの手が触れる。 「…俊章、大好き…、…んっ…!」 堤さんに凭れかかった遠山さんがぴくりとする。身体の隙間を埋めるように、ぴったりと前のめりに堤さんに身を委ねる。 「はぁ…、い…い…。…いいよ、俊章…」 彼が己のものをその手で愛撫してくれている…腕からゆっくりと這うように、堤さんの手に重ねていく。 大きく息をつきながら遠山さんは身を捩る。 「…ねぇ、夕べみたいに、…ここでしてよ、俊章…。俺、とても待てないよ…お願いだから…頼むよ…」 その言葉に返す返事もなく、堤さんはジーンズに手を掛けて…。 衝撃的だった。俺はその場でへたり込んで、それを一部始終見てしまった。まさか男同士で、しかも遠山さんは艶めかしい位に堤さんとの行為に乱れて…。俺は『自分がどうにかなりそう』で、その場を離れようとした。 「…あっ、はあっ…、」 アトリエに響く遠山さんの声と、聞き慣れないその卑猥な音に絶えられなくなり、俺は耳を塞ぎながら部屋に戻った。 バタバタと足音を立ててしまったので二人に覗き見してたのを気付かれたかも、と思ったが、夜遅く帰ってきた母が買ってきた弁当を母と堤さんと食べ始めた時、堤さんは何喰わぬ顔でそれを頬張っていた。母は遠山さんがアトリエに来ていたことは知らなかったらしい。 俺は食事どころじゃなかった。『あれ』が頭に焼き付いて、食欲どころじゃない。 「ご馳走さまでした。…すいません、今夜はレポートを仕上げるんで、アパートに戻ります。今日はもうアトリエは使わないんで、鍵かけちゃって結構ですから」 「え?そう?…わかりました、頑張ってね」 「すいません、勝手なこと言って…」 『…レポートじゃなくて、遠山さんと”する”んでしょ…』 俺はジュースをすすりながら心の中で堤さんに言う。 俺は知っていた。堤さんと遠山さんの関係…。 暫くして、突然遠山さんがアパートを出るという話を吉原さんから聞いた。大学近くでもっと安いアパートが見つかったから、という話だったが、俺は堤さんがたまたま電話をしていたのを聞いてしまって、その真相を知った。 どうやら、あのアパートだと関係者が多いんで、関係がバレルと何かと厄介だ…とのことで、別の部屋を堤さんが探したらしい。堤さんはどっちにしても卒業間近だったし、むしろ残される遠山さんのことを考えてのことだったようだった。
「つーつーみぃ、お前はどうなのよー?会社にかわいい子いたぁ?」 いい具合に酔っぱらってきた吉原さんが絡む。 「いないねぇ。世の中そんなに甘くないのよ」 「なぁんだよ、さみしいじゃーん」 「あれ?知らなかった?…堤さん、どうやら同棲してるらしいっすよー」 遠山さんが口を挟む。 「ええええーっ、初耳ぃいいい!ショーック!…いやぁ、俺は前から思ってたのよ、堤って結構女ウケしそうな顔じゃーん、ぜってぇこいつは彼女作るの早いってさー」 坂井さんが缶ビールを持ったまま頭を抱える。 まさか…。 ニコリと堤さんに遠山さんが微笑む…やっぱり、続いてるんだ、この二人…。少なくとも、それを察したのは俺だけかもしれないが。 「そうそう、笙ちゃんはどうなのよー?今日入学式だったんでしょー?かわいい子いたぁ?」 「…吉原さん、飲み過ぎですよ…」 「そうそう、飲み過ぎだぁ、ヨッシーはぁ!堤も言うたれー!」 坂井さんが堤さんを煽る。 「うーん、俺が何か言えることなんて…」 突然遠山さんが俺の背中をつついた。 「…笙ちゃん、『先手必勝』だよ!うかうかしてたら、”トンビにあぶらげ”、とにかく速攻ゲット!略奪上等!分かった?さっさとやっちゃったモン勝ちだからね」 それを聞いた途端、堤さんがビールを吹き出した。 「あっ、なんだよ堤、きたねーなぁー」 「悪い、悪い…」 堤さんは遠山さんの発言になにやら心当たりがあるのか、動揺して咳き込んでいる。 「…お、俺、終電無くなっちゃうから、そろそろ帰るわ…」 そそくさと堤さんが席を立とうすると、坂井さんが呼び止めた。 「えー、まだ7時だぞー!いっくらなんでも、終電じゃぁねーだろー!?」 「酔ったから、帰る…」 「俺も酔ったぁ〜!坂井さん、今夜泊めてぇえ。アパート帰るの面倒ぉ!」 遠山さんが坂井さんに抱きつく。 「ああぁん!?俺の部屋は課題置いてて狭いからダメーッ!…堤お願い、帰るならこいつ連れて帰ってね!」 「分かりました…。じゃ、お邪魔しました、お先に…。行くぞ、”遠山”」 二人は吉原さんの部屋を出ていく。なんかまぁ、遠山さんの作戦に引っかかった堤さんがなんとも…でも、この二人が俺にかなりの影響を与えた事実は否めなかった。 そして、クラスメイトになった、あの『篠田』がそのきっかけになるとも…。 |
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