放課後…とりわけ部活にも予備校にも通ってない俺は、駅前の本屋でバイクの雑誌を立ち読みし、一通り月刊と週刊の最新号を目にした後でゆっくりと駅の方へ歩き出した。 惰性で定期券を改札口に突っ込み、習性で下り電車のホームへ続く階段の手前まで歩いていくまではいつもと何ら変わらなかった。 「…おっと、こっちじゃねぇ…」 俺は思い出したように慌てて反対側のホームへ向かう。 ホームへ向かう2つの選択肢…俺は通学路と反対の『登り』を選んだ。 その選択に迷っていたわけではない。そうせざる得ないようになってしまっていたのだ。 冬休みが終わる直前のことだった。 「晃、これ」 「何?」 雅弥のアパートの小さなキッチンで勝手にコーヒーを入れていた俺に、機嫌良さそうな顔をしながら何かを手渡す。 「鍵?…ここの?」 「学校始まったら、晃の方が帰るの早いからさ。渡しておこうと思って」 「…いつの間にこんなん作ったんだよ」 「知らないの?今鍵作るの結構早いんだよ。…まぁ、高校生じゃぁそうゆうことわかんないかなぁ…」 「顔がにやけてるぜ。…変な想像してんだろ?」 「あははは、やっぱりそう見える?…いやぁ、『想像』じゃなくて、『思い出し笑い』と言って欲しいな」 「『思い出し』…って、雅弥、あのなぁ…」 「まぁ、まぁ、良く考えてみなよ。いずれにしても君がここへ来るか、僕が君のところに行くかしか方法がないんだよ。さすがに僕はこれでも教師だから、立場的に君を『どこかに連れていく』ことはできないしさ。…あ、別に毎日来いってわけじゃないから。君は僕の職場の生徒なわけで、いくら君の家の家庭事情があるとはいえ、毎晩ここで『生活指導』してるわけにもいかないでしょ。さらにそれが原因で、君の成績を下げることになったとしたらそれは僕としてもまずい」 急に教師の顔をして、自分が俺に散々していたことを見事に棚上げる。 「『生活指導』、ねぇ…」 雅弥の奴、調子に乗りやがって…。 「でも、君が悶々として勉強に集中できないのもまずい。…君達の年頃はそうゆう時期でもあるわけで、もしも『そうなったら』鍵を使う。わかった?」 「…どうゆう指導だよ、まったく…」 …鍵を渡されて2日目。最初はそんなすぐに使うこともないと思っていたのに、2日目にして俺は雅弥の家に向かっていた。あいつの言葉じゃないけど、雅弥が授業に来たり校舎ですれ違うと『休みの間散々二人きりでやってたこと』が頭に過ぎってしまい、どうしようもなくなってきてしまったのだ。 「…くっそー、こんなんじゃぁ益々あいつの思う壺じゃんか…」 ぶつぶつと独り言を言いつつも、とある駅で電車を降りる。俺の定期券は反対方向なのでしっかりと実費で交通費を徴収され、俺は次第にアパートへ急ぎ足になっていた。別に急いだって、雅弥はまだ帰ってきているわけじゃないのに…。 慌ただしく部屋の鍵を開ける…誰もいない部屋。一人暮らしのアパートに2人でいるのは狭いと感じたが、こうして一人になるとなんだか広く感じる。 「早く帰ってこーい、雅弥ぁー!」 俺は彼のベッドに倒れ込んだ。ベッドきしみとシーツの感触…瞼を閉じると、ここで雅弥としていたことがなお一層鮮明に思い出される。 「…っ、ちっ…、くそっ」 疼きが止まない…余計にちらつく雅弥のあの時の姿と表情、卑猥な言葉を躊躇もせずに羅列するあの唇…。 …もう、ダメだ…。 雅弥のベッドに真っ先に倒れ込んだ俺がバカだった。押さえきれない欲情にかられ、他人の部屋で自慰にふける自分が情けなくて仕方ない。 …雅弥が、この俺をどうしようもなく狂わす…。学校での彼…あまりにも無防備に感じる、どこかほっとけない危なっかしさでついつい仏心を出したのは俺なのに、今じゃまるでそれすらも彼の画策の内だったかのように雅弥の手の中で良い様に踊らされている。 俺の方があいつに『無防備』だったんだ。 「…くそっ、雅弥の奴…あの二重人格教師め!」 悪態をつきながら俺は枕に顔を埋めた…。
「ただいまぁ!そこまできたら明かりが付いてるのが見えたから、急いで走って来ちゃった」 ベッドに横たわったまま背を向けている俺を見て、雅弥は息をきらしながら言った。ガサガサと背後でビニール袋の音がする。もともと男の独り暮らしだ、近所のコンビニで晩飯の弁当とか買い物でもしてきたのだろう。 「腹空かない?『鍋焼きうどん』買ってきたけど、食べる?」 「……」 俺はそのまま寝たふりをして黙っていた。雅弥はふと、部屋の隅におもむろに脱ぎ散らかした俺の制服を見付け、ベッドの横のゴミ箱を見る。 「…ぷっ、くくくく…」 我慢して押し殺すような含み笑い…俺がここで今まで何をしてたか、雅弥は瞬時に察して笑っているのだ。俺だって最初からそんなつもりはなかった…この部屋にたどり着くまでは。 「ゴメン、ゴメン。携帯のアドレスも教えておくべきだったね。まさか今日来るとは全然思わなかったからさ」 反応のない俺が本当に眠ってしまっているのではなく、ふてくされているからだということは彼は充分分かっていた。そっと俺の背後から、彼が抱きつく。 「…独りで待たせて悪かったね、謝るよ。…一緒にシャワー浴びよう、ね?」 耳元で囁く…甘ったるいような、普段学校の教壇に立って教鞭を執る声からはとても想像できない淫靡な声色…。 「…明日、二人で学校休んじゃおうっか。時期的に『風邪引いた』とか言えば、2〜3日は休めちゃうかもね。…実を言うとね、今日君を学校で見たら…また思い出しちゃってね」 シーツの中へ入り込んだ雅弥の手が、俺の腿から腰を伝う。 「…っ!」 その手が触れた瞬間、俺はびくりを身を捩る。 「晃の『これ』、…また欲しくなってきちゃって…。…だってさ、『晃』はイッてもすぐ元気になっちゃうから…だから…いい」 「…雅…弥っ…!」 雅弥の手が執拗に俺を愛撫する。数日で完全に俺の弱点を見切った彼に、俺は抵抗する術などない。一気に身体の中に電流が走るような快楽に飲み込まれ、俺は言葉を失った。 ぴったりと身体を寄せて、雅弥は俺の反応を伺っている。 「君はホント素直で可愛いね…晃。でもまだイッちゃダメだからね…続きはシャワー浴びながら…いい子だから我慢するんだよ、いいね?」 おもむろにその手から解放され、俺は大きく息をついてこくりと頷く…中途半端にさせたままの俺を雅弥は心底楽しんでいる。早く放ってしまいたいのに、雅弥はじらしながら悠々と服を脱ぐ。…わざと俺をお預け状態にさせておき、俺の経験が浅い故に自制が利かないその行為が、雅弥は『感じる』ようなのだ。…なので、彼が達する前に俺が終わってしまうのは不服らしく…もう、どっちがやってるんだか…な状態で、冬休みの間はそれはもうヘトヘトになるまでつき合わされたのだった。 「おいで、晃…」 狭いユニットバスで頭からシャワーを浴びながら俺を手招きする。濡れたその肌に導かれて触れると、もう意識は完全に飛びそうだった。 雅弥が微笑む。…俺は…。
「…雅弥の最初の男って、どんな奴?」 「いきなり何?」 小休止にベッドで横たわりながら煙草をふかす俺に雅弥が苦笑する。 「…どうなって、雅弥はこんなんなっちゃったのかなぁ、と」 「ひどいなぁ、その言い方。君にそんなこと言えた筋じゃないと思うけど?」 彼は俺の額をつついて反撃してきた。 「…ふふふっ、さっきの…あんな必死の晃って…やっぱり可愛いな…」 「……」 そうわざと仕向けるのはお前だ、雅弥! 「…うーん、良くは覚えてないけど、高校の時だったかなぁ?…相手が僕に感じてくれてるのが嬉しくて…『それ』を感じるのが嬉しかったんだ。求められて…彼を感じるのがイイ…でもって、今に至る」 「ぶっちゃけ、俺は何人目の男よ?」 「『何人目』ときたか…あはははは。…何、晃ってば、ちょっとは嫉妬してくれるようになったの?僕は少しは君とのカンケイが進展したって、良い様に解釈していいわけ?」 「嫉妬とかじゃねーよ。…ただその…、『上手い』からさ…」 ふっ、と雅弥が笑う。 「…そんなの、過去のことなんてホント数えても覚えてもないよ。だからといって、いくらなんでもその場限りの『行きずり』ではしてないからね」 「…そこまでいくと、さすがに…」 …そこまでいくと、さすがに度の過ぎた好き者としか思えないぞ。 「…『先のことなんか何も考えてない』まま突然出会ってしまっているのに、いつまでもそのままではいられない、ってことなんだよ。…その時はこのままずっと…『永遠』だの『一生』だのって願うのに、そんな簡単に上手くいかないのが現実なんだ。だから僕は、済んでしまった『過去』は見ないことにした。『今』をどうしたいのか…それだけを考えていればいいんだと僕は思うようになった」 その言葉で、俺は彼がかつて『せつない恋をした』ことを知った。そうでなきゃ、そんな言葉はおそらく出てこないだろう。 雅弥はたぶん、その過去を思い出して苦しむのが辛いから…口にしたくない位に誰かを想っていたに違いない。彼のその相手がどんな奴だったのかちょっと気にしつつも、俺の為に作った合い鍵に子供みたいな反応をする彼がなんだか愛おしいような…彼に想われているのかもしれないような…複雑な心境だった。 「俺達は…『偶然の出会い』なのかな?雅弥にとって、俺は『何』なの?」 ふと、俺はそんなことを口にしてしまった。 雅弥は黙っている…あぁ、やっぱりそうだろうな。今まで他の男と何度か寝てても、その関係を『割り切る』ようにしてきたんだから。俺のことも、たまたま見つけた手頃なオモチャなのかもしれない…俺の考え過ぎか。 「…答えは、今すぐ答えなきゃいけないとダメなのかい?」 「え?…そうゆうわけじゃないけど…」 「…僕が答えることは多分、晃自身の答えになってしまうんじゃないかな…だから、今は…まだ言わないことにしておくよ」 そう言うと、雅弥は俺から煙草を取り上げ、重ねる唇から甘い吐息をこぼした。 |
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