トップ > 晃の場合 > 第1章:口実
 「よせ、上代!!」
 後ろから俺を引き止めようとする声がする。だが一瞬早く俺はあいつを殴っていた。
 …謹慎、留年、退学…そして転入。そして『俺達の関係』はここで終わった。この事件が結果的には直接原因、別れるきっかけだったのかもしれないが、こんなことにならなくとも俺達の関係は長くは持たなかったに違いなかった。俺も考えなしにいたわけじゃない。最初からいつかは別れると分かっていたし、それがこうした形で終止符を打たれる結果になったに過ぎなかっただけなのだ。
 「…どうして…、どうして…」
 あいつ…徳倉 雅弥は泣きながら教師達に取り押さえられる俺を見つめていた。俺は殴った相手…いけ好かない古典の教師をただ睨み付けていた。
 こいつのせいで、雅弥はこの学校の教壇に2度と立てなくなったんだ…そう思うと、一回殴った程度じゃぁ俺の怒りは収まらなかった。そいつの雅弥に対する陰湿なまでの嫌がらせは、ついに俺と雅弥の関係を学校内に暴露するまでに至り、雅弥の教師生命までをも奪った。雅弥は数日間の自宅謹慎処分を受けた上、教育委員会だが何だかの会議にかけられていた。おそらく自主退職を促されるに違いないと、自ら校長に退職届を出しに行った日のことである。
 「やめなさい、上代君!!」
 「…雅弥が辞めるなら、俺も辞めるぜ。…どっちにしてもこれで退学決定だろう!?」
 …俺も雅弥も、それ以前にこの関係に少し疲れていたのかもしれない…。


 「あのさぁ、ここ中間試験に出すから、ちゃんと聴いてて欲しいんだけど…」
 MP3を聴きながら授業を受けていた俺の前で、雅弥が苦笑いしながら話しかける。
 「…ちゃんとノート取ってるぜ?」
 俺は新任で教師になったばかりの雅弥にノートを見せる。彼はどう対処したらいいのか、困った顔をしていた。
 大学を卒業して程なく国家試験に合格した秀才教師と、彼のことをベテラン教師が言っていた。それだけに、一部の教師からはひがみっぽい陰口を日頃言われていたようだが、当の本人は脳天気というか、とろいというか、鈍くさいというか…気付いているのかさえも怪しい感じがした。
 いまだ大学生のような風貌と教師一年生の初々しさのせいで、女子は連日雅弥のことを”まーちゃん”と呼んでは噂し、からかってはいたが、まだ教鞭を取ることに必死な彼は自分が『からかわれてる』ことにも気付く余裕がなさそうだった。
 「せんせぇ〜い、ここわかりませぇ〜ん。放課後研究室行っていいですかぁ?」
 「…え?わかんなかった?…しょうがないなぁ、もう時間ないし…いいよ、じゃぁ放課後おいで」
 「は〜い。行きまぁ〜す。ついでに由佳と美希も行きまぁ〜す」
 …事実、放課後はいつも誰かしらが彼の研究室に来ていた。彼自身、職員室は居心地があまり良くないようで、用がない限り自分の研究室にいることが多かった。
 突如、前の席の女が振り向き、教科書を俺のノートの下に隠す。
 「…なんだよ?」
 『”まーちゃんの”、ちょっと隠しといて』
 チャイムの音と共に、雅弥は教壇の上に置いておいた筈の教科書がないのに気付く。
 「あれぇ…?おーい、誰か俺の教科書知らない?」
 「しらないよ〜。徳倉先生、ちゃんと名前書いてある?どっか置かなかった?」
 「う…ん。探してる時間ないなぁ…。誰か見つけたら、後で届けてくれればいいよ。じゃぁね」
 …おいおい…俺は呆れた。
 「ごめぇ〜ん、サンキュー」
 雅弥が教室を出たところで、俺のノートの下から彼女は教科書を取り出す。
 「よその組の子に、どうしても内緒でまーちゃんに渡したいもがあるから、って頼まれてさ〜。口実作りでぇ〜」
 「…くっだらねぇ」
 この時はそんな子供じみた悪戯を『くだらない』と思った俺だが、まさか自分がそんなことをするようになるとはこの時は思いもしなかった。
 年末の期末試験…運悪く質の悪い風邪で高熱を出していた俺は試験勉強もろくにできず、よりによって雅弥が教えている数学の試験は既に意識が朦朧としていて、殆ど解けない状態だった。具合が悪かったのだから、出来なくても仕方がない。日頃不真面目だったわけではなく、それまで学年順位も常に1桁以内だった俺は『ただの不運』としか捉えてなかった。答案が返されて、案の定玉砕状態の点数にも驚きもせず、ただ追試の日取りだけを気にしていた時である。
 「…ちょっと上代君、放課後研究室に来てよ」
 神妙な趣で雅弥は俺に言った。おそらく、今回の点に関して彼も不審に思ったのだろう。
 渋々と研究室に行くと、いつもなら賑わっている筈の研究室は他の生徒は門前払いされていた。
 「…点のことでしょ?先に言っときますけど、俺、日頃ちゃんとやってますよ。丁度風邪で具合悪くて、たまたまこうだっただけですから」
 「…うん。浅井先生に聞いたら、”いつもはこんなじゃない”って言ってたから、ちょっと気になって…。それならそれで俺も安心するんだけど…」
 雅弥は思いっきり、その顔に『良かった、俺の教え方が原因じゃなかったんだ』ということが書いてあるような安堵の表情をする。
 「…あのさぁ、俺が言うのも何だけど、徳倉の教え方は浅井よりずっと分かり易いぜ。もっと自分に自信持てよな」
 「えっ!?…う、うん…。そ、そうだね」
 雅弥は赤面しながら頭を掻いた。なんでこいつに俺が説教しなきゃならないんだ!?
 「…ったくよー」
 ふと雅弥の机にある教科書に目がいく。確かこの教科書は…ページの間から、何やら色封筒の角がチラリと見えた。俺の視線に気付いたのか、雅弥は慌てて教科書を隠そうとする。
 「いや、これは違うんだ。ラブレターとかそんなんじゃなくって、その…」
 逆に墓穴を掘り捲っている彼に、俺は白けた視線を送った。
 「…あぁ、もう、なんで俺って大ボケ野郎なんだぁ…」
 …バカ正直、神経切れてる、鈍くさい、トロイ、間抜け…言葉を挙げたらきりがない。おそらく、そのラブレターも冗談じゃなくて鵜呑みにしている可能性がこいつの場合は多いにあり得た。俺はさすがにこのボケを放置しておくのは忍びなく思い、つい仏心を出してしまった。
 「それ、本気にしない方がいいよ。からかわれてるぜ、絶対。大人なんだから、冷静になりなよ」
 「え?…うん、分かってる、分かってるよ…。いやぁさ、ちょっとびっくりしただけなんだよ。いままでこんなの貰ったことなんて一度もなかったし…。俺、中学、高校とエスカレーターの男子校出身でさ…」
 「…まさか、徳倉って…」
 途端に雅弥は真っ赤な顔をして黙りこんでしまった。咄嗟に左右に大きく首を振るが、その慌てぶり自体が既に後の祭りだ。俺はわざと笑みを浮かべて、彼に意地悪をした。
 「違う、違うよ、そんなことは…」
 彼は必死に弁解しようと俺にすがりついた。


 「…あれはどっちの意味だったんだい?」
 「どっちって?…何が?」
 狭苦しいベットで重なり合ったまま、雅弥は俺に問いかける。
 「俺が『単に女との経験がない』なのか、『単に童貞なのか』のどっちだと捉えたのかということだよ」
 「どっちも…かな。よく覚えてねぇや…」
 「あの時、『しまった、弱みを握られた』ってマジに焦ったんだ。君があの試験以来、成績挽回を口実に休み時間から放課後まで忠実に顔を出すようになった辺りから、『もしかしたら』とは思い始めたんだけどね」
 雅弥は俺の額に手をあて、前髪を弄ぶ。
 冬休みに入って5日目…俺は終業式後にそのまま雅弥のアパートに上がり込んで、普段見せない彼の本当の姿を洗いざらい見せてもらった。教鞭をとる彼はどこかおどおどした感じがして、引っ込み思案で気弱な性格の印象があったのだが、意外にも彼は『その時』は『変貌する』タイプだった。むしろ俺の方が完全に彼にリードされてしまい、己の浅い経験を指摘されてしまう程だった。
 「…きったねぇよなぁ。完全に化けてやんの。すっかり騙されちまったぜ」
 「そりゃぁ『教師』ですから、いろいろ知ってるもん。…まだまだいろいろ教えてあげるよ。他にもどうされたら『気持ちイイ』とかね…」
 子供みたいに無邪気に笑い、果てて疲れている俺にお構いなしで、化学の実験を検証するかのように彼は再び刺激する。
 「…反則ッ!!きたねぇぞ、雅弥!!」
 「『反則』も何もないさ。俺は全然満足してないもの。晃ばっかりイイ思いしてる方がおかしいよ。その公式は”イコール”じゃない。もう一度解き直しだな」
 束の間の『思考回路がまともになる瞬間』に、俺達は互いの境遇やこれまでのいきさつを語り合った。興味本位の関係から始まった『繋がり』という口実が、次第に心を締め付けるような想いという『事実』に変わったのは、春も間近な冬の終わり頃だった。

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--SWEET GAME 2001-2007--
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