トップ > 克博の場合 > 第4章:解けないパズル
 それは何気ない言葉に聞こえた。
 彼はいつも、どこからともなくひょっこり現れては、まるで俺を四六時中監視していたかのように俺に意味深な言葉を投げかけていく…その言葉の真意を探ろうとか、何で俺に肩入れするのかとか、今まで何も考えもしなかったから、この時も何の疑いもなく聞き入れてしまった。
 もう、どうでもよかった。
 今までの自分を支えていたものが、今までの自分そのものが、足元から音を立てて崩れていく…それを止めることなどできないのなら、そのまま跡形もなくバラバラにしてしまえ。何もせず、崩れてゆくのをただ傍観していればいい。
 身体中を触れる『誰かの手』が、理性ごと俺を壊していく…もうプライドも何もない、彼等の前に晒されていたのは、取り繕うことも隠し様もない俺自身そのものだった。抵抗できないように縛られた腕も、奪われた視界も…陵辱的な行為全てが、打ちのめされた自分の苦痛を唯一麻痺させて忘れさせてくれる強いドラッグのようにすら感じられ、俺はされるがままになっていた。
 俺を終始好き勝手にしていたのが『どっちだったのか』などは分かる由もない。ただはっきりしていたのは…俺の中に放って果てたそいつが、あの木原だったということだけだった。
 縛られた腕と目隠しを解かれ、再び視界が戻った時、部屋の中は薄暗くて…明かりのない部屋の中、そこにいたのはどうやら彼だけだった。
 彼の父親が研究や作品制作のために使っているという、そのアトリエ…窓から差す夕暮れの陽が、白い筈の床を赤く染めていた。その反射光が、目の前にいる木原の姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。
 手首に残る痛み…おそらく、ベルトの端が当たって擦れたせいで、擦り傷ができたせいだろう、俺は無意識に手首の傷を確かめようと触れる。少しささくれたように赤い線を付けて残るその傷…まるで未だ解かれていない、見えない鎖に繋がれているようなその跡…それを見た彼は何を思ったのか、俺の手を取り、確かめるようにその傷口を舐めた。
 ピリピリと痛みが走る…深くはないが、少し血が出る程度には傷ついていたようだった。
俄に痛みで強ばった俺に気付いて、彼は反応を確かめているかのように繰り返す…痛みが強かったのは最初だけで、それは次第に殆ど感じなくなっていた。
 「…『止めろ』と言わないの?」
 彼が俺の手を握り締めたまま言った。
 ひとつひとつの動作、投げかける言葉に、俺がどう反応するか…まるで何かの実験をしているかのように、微かな変化も見逃さないという感じで、彼の目はじっと俺を見つめている。
 「…そうだよね…言える訳、ないよね?…だってさ、『お前のこと』なんかさ、今までだぁれも知らなかったんだから。…篠田さぁ、お前のあんな恥ずかしいトコ、他の奴に一部始終見られちゃって、これからどうするよ?」
 「……」
 木原がゆっくりと顔を近付ける…その『予感』に、俺は拒む理由を考えるその余裕も何もなかった。ただ受け入れて唇を重ねていく。
 「…っつ!!」
 いきなり唇を噛まれ、痛みと共にじわりと血が滲み出す…木原はそれを見てクスッと笑う。
 「…ホント、ここまで呆気なく墜ちるとはね…。このままじゃお前、墜ちるとこまで墜ちて再起不能な位にボロボロになっちゃうかもなぁ…まぁ、それも良いかもしれないな。…誰も近付くことも触れることもできない高嶺の花だった『篠田 克博』を、もう立てなくなる位に何度も滅茶苦茶に犯しまくる生活…ってのも一興かも。…お前が大塚に『してたこと』と、何の違いがある…?何の違いもない、相手が大塚じゃないだけで…最後にお前の中にもぶちまけられるだけで…他は何も違いなんてないのさ」
 まるで俺に強い暗示にかけていくようにゆっくりと…傷から滲んだ血を舐め取り、口を割って木原が舌を絡めてくる。微かに鉄っぽい味が口の中に残り…自分の血の味がするそのキスが、あの祐司に対する今までのことの報いにも思えて、俺は木原を責めることができなかった。


 「篠田…おい、篠田、どうした?」
 「え…?」
 授業中に突然先生に声を掛けられる…ボーッと窓の外を眺めていた俺がその声に慌てて振り向くと、クラスのみんなが俺の方を見ている。
 「…あ、すみません、聞いてませんでした…」
 一瞬、クラス中がざわついた気がした…いや、気のせいではなかった。だが別に、今に始まったことではない。あの日以降、学校にいる間はもうこんなことは四六時中だったし、それ以前にも俺は『人に見られる立場』にいたわけで、その見解が以前と今で若干違っているに過ぎない。 
 「仕方ないな、もういい。…じゃぁ、次、桑原」
 先生が背中を向ける瞬間、落胆の溜息をつくのが見えた。
 …長い年月が過ぎた訳じゃない。ほんの数日、たった数日だけなのに、俺には長い月日があれから経ってしまったように感じていた。
 あんなに…身も心も『彼』のことばかりで、自分の所為の全ては彼が原動力だったというか、彼なしでは為し得なかったことばかりだったからかもしれないが、それを一瞬のうちに失って、俺は自分を見失って、『自分は一体何だったのか』を自問するまでになって…その中で俺は、木原の伸ばされた手に掴まってしまった。その手に掴まることで、バラバラになった身を委ねることで、俺は祐司という苦しみから一瞬でも逃れられるかもしれないと思った。
 木原が言うとおり、俺は『俺』を演じてたのだろうか?…周囲の困惑した表情が、動揺を隠せない言葉が、今の俺に投げかけられている…それが『俺』でなければ、ごくありふれた光景で、ごくありふれた言葉の数々だというのに、何故こんなにも意味合いが違っているのだろう…。  
 休み時間になると、決まって俺はみんなを避けるように一人で屋上や校舎の裏庭の方へ行った。他の人の視線というよりも、ここ最近の俺の変化に気付いたみんなに何かと干渉されるのが『目障り』に思えてきてしまったからだ。
 ただ、そんな中でも例外なのが一人いた。
 「人の噂もナントカって言うじゃない?なんだかんだと周りが騒いでいるのなんて、今だけでしょ」
 「…俺は別に、そんなことは気にしてなんかない」
 「ふぅん。…そのわりには、授業以外は殆ど教室にいなかったりしてるんだよねぇ…前は全く気にしてなかった感じだったのになぁ。多分、ホントに『どうでもよかった』からじゃない?教室でも部活でも、誰にどう見られていようと、気にならなかった…というより、お前自身が周りを見ようとしなかった方がウエイト大きいんだろうけど」 
 「…部活ももう引退するつもりだ…これ以上居ても意味がないからな」
 「そうなの?じゃぁ俺も、もう引退しようかな…お前が辞めるんじゃぁ、意味ないし」
 木原だけが、変わらずそこにいる。
 「次期生徒会会長の選任はもうすぐなんでしょ?それで部活も引退しちゃったら、晴れて自由じゃん」
 「俺は別に、拘束されているつもりは無かったんだがな…」
 「それは、『以前のお前』ならね。今更、一度バラバラにしたものをまた元に戻そうなんて、それこそ無茶でしょ?…まぁでも、言わずもがな今のお前にはできっこないけどね」
 ふいに手が伸び、腰に回る…反射的にその手から逃げるように身を逸らす。
 「バーカ、いくらなんでもこんなとこでするわけないだろ?何ビビッてんの?」
 木原はニヤニヤにながら俺の背中を叩く。
 「…それとも何?今ここで『思い出す』と、マズイ?…だったら、ここじゃなきゃいいんじゃない、単純なことでしょ?」
 まるで解けないパズルを目の前にしているような感じ…その思惑も言動も、俺にとって全く不可解としか言い様がない。それなのに俺はそれを意地で解こうとしているのか、向き合ったままでいる。
 「どこまで我慢できるのかな、克博は。…俺は別に構いはしないんだぜ?1時間後でも、2時間後でも…お前が堪えられる時間なんて、そんなに長くないだろうしね」
 彼はそう言って、教室に戻っていった。
 昼休みに届いたメールの文面に、俺はドキリとして…そのメールに返信をするつもりはさらさらなかった。それは送り主が彼だったからこそ尚更で…内容が俺に対する挑発そのもので、何故そんなメールを俺に送りつけたのかを直接問いただしたかったこともあったが、そのメールが一種の暗示のように俺を駆り立てていったのは確かだった。
 放課後、俺はメールの文面のままに誰もいない生徒会室へ向かう。
 暫く一人で待っていると、そこへ彼が現れた。
 「…ほーら、やっぱりいた。…全く、『ぶっ壊れても』その律儀さは健在なんだねぇ」
 「あれは、どうゆうつもりだ?」
 「どうゆうつもり?…別に、何も裏なんかないよ、メールの内容そのまんまだぜ?…大塚とセックスしてた『ここ』は、おそらく克博が無性にしたくなる場所だろうから、放課後先に行ってろ、って打ってあったでしょ?」
 メールを送った張本人である彼…あの木原は窓際にいる俺にゆっくりと近づいてくる。
 「だから、何が言いたい?」
 「何が?…って、他に何か言うことなんてあるのか?」
 腕を掴まれ、身体を引き寄せられる。
 「…何を今更しらばっくれてるのさ。分かっててここへ来たんでしょ?そんなにこの俺から『言葉』が聞きたい?…言葉なんてすぐに意味を無くしてしまうのに?」
 強引なキス…執拗な位に舌を絡めながら、その手が俺の制服のシャツをたくし上げ、手を滑り込ませる。身を捩ると逃げ場を無くすように詰め寄り、両腕でシャツの中から身体を押さえつけていた。
 「は…あっ、…」
 一瞬解放されたかと思えば、再び俺の口を塞ぐ…まさぐる手が、『あの時』と同一の感覚を呼び起こす。
 …こんなことの為に俺は…。
 「やめ…ろよ…っ!」
 顔を背け、木原の腕を引き離そうとする。
 「…なんで?…途中で止めたら、辛いのは克博でしょ?…この場所で、どんなふうにあの大塚と過ごしてきた?…でも、いくらあの大塚だって、さすがにこれは知らなかっただろうなぁ?…俺を誤魔化そうとしても無駄だぜ…俺はお前を『知っている』んだから」
 逆に力でねじ伏せるように、壁際に押しつけられる。
 「…お前があの時『実は感じてた』こと、俺は知ってるんだからさ…」
耳元で囁く声…その手が俺のベルトを外し、ズボンの中に滑り込む。そのままずるずると引き吊り下ろされ、露わになった俺を捉えた。
 「…どうして…俺なんだよ…」
 首筋から胸元へ這うその舌がふいに離れる。
 「『どうして』?…そんなの、お前が今まで気が付かなかっただけだろ?…だから分からせてやるんだよ」
 「…くっ…、」
 彼の手の内にある俺は、俺の理性を無視してその行為に応じている。背中から腰まで麻痺していくように、どうにもならないものが身体を支配し始めていた。
 「身体は…こんなに正直なのに…」
 木原が自分のベルトに手をかける…それに気付いて、俺は目を逸らした。彼は強引に俺の手を手繰り寄せ、自分に触れさせる。
 「どうする、克博?…俺さ、もうこんなんなってるんだよ…早くしないと、余計痛くなっちゃうぜ?…それとも、痛い方がいい?」
 「…あ…ぁ…」
 言葉になんかならなかった。木原が支配している以上、俺にはもう何もできなかった。されるがままに、求められるがままに、そうすることしかできなかった。
 …あの祐司が感じていたのは、苦痛だけ…?
 俺の脳裏を過ぎる、過ぎた日々…今まさに目の前の木原が俺に向けている欲望と同じなのか?…違う…いや、やはり同じ…?
 「後ろ、向けよ。…やりづらい」
 強引に押し込まれていく異物がもたらす痛み、それを麻痺させるような手からの強い刺激に、腰から足まで震えが走る。何かに掴まらなくては支えることができない位に、力が入らない。もう何も考えられない、何も…。


 「…やっと分かったよ」
 机に腰掛けて外を眺めていた木原がぽつりと言う。
 「…何が?」
 「俺さ、ずっと考えてたんだ。…お前もなんで俺がちょっかい出すのか、気になってただろ?…俺も答えを出すのに、2年もかかっちまった。解けそうで解けなくて、分かりそうで分からなくて…。でもこれではっきりした。ずっとお前を見てたのは、…俺はお前が好きなんだ、ってね。ずっと振り向いて欲しかったんだ、些細なきっかけが欲しかったんだ、チャンスが欲しかったんだ。…それを2年も…。お前が大塚のこと想ってたのと、同じだ…そんなとこは我ながら呆れちゃうよ。…でも、俺はお前と違う。俺はお前を変えてやる…変えてみせる。俺のことを真っ直ぐ見るようにな」
 木原はそう言って、俺の制服の上着を手渡した。

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--SWEET GAME 2001-2007--
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