俺にとってそれは『悪夢』としか言い様がなかった。 目が覚めたら何もかも元通りで、何事も無かったようにいつもの生活がある…そう思いたかった。 残酷な現実、決して醒めない夢…なんでこんなことになってしまったのか、自分自身に問いただしてみても全く思い当たる節がない。 「…なんかあったの、篠田?」 クラスメイトが恐る恐る声をかけてくる。それは今の俺が『いつもらしくない、ただならない様子』に彼等の目に映っているからで…思わず我に返る。 「…あ、いや…」 「なんか疲れた顔してるぜ?…具合悪いんか?」 「え?篠田君、具合悪いの?保健室行った方がいいんじゃないの?」 あっという間に数人に囲まれた。 「大丈夫だって、なんともないって…」 「…でもよ…。鏡見れば分かるけど、マジお前顔色悪いぜ?…試験前だし、先生に言って早退した方がいいんじゃねぇの?」 「そうだよ、その方がいいよ」 「だから、なんともないったら!」 その声に一斉にクラスメイト達の動きが止まる。俺が突然声を荒げたのに他の人も驚いて、こっちを見ていた。 俺はそれを取り繕うことなど今は考えられくて…足早に教室を出て誰もいない屋上に逃げた。 …どうして、どうして、どうして…何度も繰り返し思う。 『それは先輩の気持ちでしょ?…先輩は今まで、俺のことを本当に分かろうとしてくれたことが一度でもありました?』 いつも考えていたよ、いつも分かろうとしていたよ…それなのに!? 『正直言うと俺、先輩と一緒にいるのは辛かったんです…』 辛いだなんて…そんなこと今まで一度も口にしたこと、無かったじゃないか! 『別に無理矢理やられた訳じゃないよ、ちゃんと”合意の上”だよ…俺、あいつに初めてあんな風に抱かれて、すごく嬉しかった…』 だから、どうして…!!!! 「お、いたいた。一体どうしちゃったのさー、教室じゃぁ大騒ぎになってるじゃん」 聞き覚えのあるその声に顔を上げる。 「…木原…」 「あの篠田が荒れてる!…とかで、もううちのクラスまで伝わってきてるぞ」 「……」 「…まさか、このまま授業フケちゃうってつもりじゃぁ…」 「…頼むから、一人にしておいてくれないか、木原…」 それが精一杯だった。…俺は昨日のあの件で、あいつの告白に何がなんだか分からなくなっていて…我を忘れてあいつを殴ってしまい、少し冷静になってからやっぱり気になって部室に戻ってみたものの、既にそこにはもう姿はなく…残されていたのは俺のロッカーに置かれた『退部届』だった。 「…まぁ、ほっといてあげたいのは、その酷い姿を見れば山々なんだけど…俺ってかなりお節介焼きだから、やっぱこのままほっとくワケ、いかないのね?」 木原は俺の隣に座り込む。 「…ふられましたね?」 「……!!」 図星を指されて、思わず木原を睨み付ける。 「あら、当たっちゃった!?…マジっすか。…畏れ多くもこの篠原をふった、度胸のあるヤツがおったとは…」 「……」 木原が『あのこと』を知ってる訳がない…ボロを出して余計な詮索をされるのはまっぴらだ。彼の好奇心をこれ以上掻き立てない様に、俺は視線を逸らした。 「…だから言ったのに。人の心まで思い通りになんか、ならないって」 呟くように木原は言った。 「……!」 まるで何もかも知っているかのような、彼の言葉。 「驚いた?…そりゃぁそうだろうね。お前はなーんも気付いてない感じだったもん、この2年間」 「2年…?」 「そう、2年。…実際、ここまで『完璧』を貫くとは俺も思わなかった。いつか絶対、自分から音を上げると思ってたんだ…その『演技』にね」 「……」 「実際、確かにお前は『良い子ちゃん』だよ…でもさ、その性格が災いしてか、それをさらに『上塗り』しようとしてるのに、お前自身全く気付いてないんだよ。…それを延々2年も。全く馬鹿げてる…いや、ホントはもっと長い間だったのかな?…もういい加減限界でしょ。厚塗りできない絵の具を無理に重ねれば、いつかひび割れたりして、はく離しやすくなるんだよ」 「…何が言いたい?」 「良い機会だから、これを機にもうやめちゃえば?…アホらしいと思わない?」 授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。 「…あーあ、鳴っちゃった。…どうするの?『篠田 克博』人生初の『サボり』、キメ込む?…俺はこのままお前のサボりにつきあっても全然構わないんだけど?」 木原が俺に微笑む。 「…好きにすればいい」 「あっそ」 彼は大きく伸びのポーズをして、そのままその場にゴロンと大の字に寝ころんだ。
「克博、ほんの少し前、部活の後輩という方から電話あったのよ。…ええっと、確か沢井さんっていう方」 帰宅するなり、母が俺を呼び止めた。 「沢井?…わかった、ありがとう」 部屋に戻り、沢井の携帯に電話をする…今日はあのまま、木原と授業をサボってしまったこともあり、なにかと周囲がうるさくなるのは目に見えていたので、そのまま携帯の電源を切っていたのだ。 「あ、もしもし…?沢井?…」 『先輩、ちょっと説明してください!…大塚、辞めたってホントですか!?』 「え?…あぁ、まぁな…」 『ええーっ!?やっぱ、マジだったんすか!?…冗談だと思ってたんスよ。あの大塚が辞めるわけないって、俺、ずっと信じてて…』 「本人から聞いたんじゃなかったのか?」 『今日、帰りに高山から聞いたんです。それで先輩のとこに確かめようと思って…』 俺だって、未だ信じられないんだよ…沢井にそう言ってやりたかった。 『一体なんでだろう?…大塚、なんて理由言ってました?』 「具体的には何も…。あいつが届けを出して『辞めたい』とはっきり意思表示してきたからには、それ以上俺には追求できなかった」 丁度試験休みで部活がないからまだいい。試験が終わって部活が再開された時、俺はみんなに何と説明すればいいのだろう…。 『理由もなく辞めたいなんて、変ですよ!…なんで先輩、あいつを引き留めなかったんですか!?』 「それができればとうにやってる!それとも、お前だったらあいつを引き留められたとでも言うのか!?」 思わず、また声を荒げてしまった…沢井に当たっても仕方ないことなのに…。 『す、すいません…、言い過ぎました…』 「…ご免。…俺こそ怒鳴ったりして、ホント済まない…」 電話を切り、その携帯を机の上にほおり投げ、ベッドに倒れ込む…激しい自己嫌悪に吐き気すらする。 『もうそんなのやめちゃえば?…楽になると思うよ』 木原の言葉が頭に過ぎる。 俺はそんなつもりはなかった。…あいつに認めて欲しくて頑張っていたのは確かだけど、『演じている』つもりなんかなかった。それに木原やみんなが思っていた程、俺は実際『優等生』でもなかった…。 …あいつに触れたくて、あいつを抱きたくて…みんなが知らないだけで、あいつ…祐司は知っている。それも今まで、俺は彼が自分と同じ気持ちでいたと思ってたからで…俺に身体を許したのは、俺のことを好きだったからじゃないという、彼のあの言葉に今は打ちのめされて、悲しいやら悔しいやら、もうただただ大声でわめき散らしたい気分だった。 『お前は確かに、”良い子ちゃん”だよ』 …そんなの俺が知ったことじゃない!勝手にみんなが、俺が祐司に対して『思ってた』様に、『思ってた』だけじゃないか…!!
「木原、話がある。ちょっと顔貸してくれ」 「あん?…俺?」 帰り間際に突然訪ねてきた俺に驚いたのか、彼はしきりに瞬きして俺を見る。 「なーんだよ、今度はどうゆう風の吹き回し?…昨日は昨日で、やけっぱちになったかと思えば…」 俺は生徒会室の鍵を開けた。ここなら、他の奴に盗み聞きされることもない。 誰もいない放課後の生徒会室で、俺は一呼吸して木原に言った。 「はっきり言う。俺はお前が思ってるような人間じゃない。…事実俺は、お前が想像もしてないようなことを…人目に隠れて、今まで俺はやってたんだ」 木原は訝しげな表情のまま、黙って俺を見つめている。 「…後輩を何度かここに連れ込んでは…抱いてた。ここなら誰にも見られないし、誰もここで俺が『そんなこと』をしているなんて信じないだろうし…『優等生』が聞いて呆れるだろ?その相手に、こないだ俺は『捨てられた』ってわけ。しかもその相手だってタダ者じゃない、知れたらとんだスキャンダルさ…でもそれは、『俺自身の立場を守る為』の配慮じゃなかった…俺のことなんかどうせ誰も信じないから…むしろ、相手に噂が立たないように気を配ってたんだ」 「…だから?」 木原は俺の告白に驚きもせず平然としている。 「相手は『大塚 祐司』だろ?…そんなん、俺はとっくに気付いていたさ。…お前の態度をずっと見てれば、大塚に対する入れ込み様が『ただならない』んで察しはしてたよ。…ホントお前って『バカ正直』なんだなぁ…呆れちゃうよ。わざわざ言わなくても良いことを俺に話す為に、ここに呼んだの?」 俺はてっきり彼が動揺すると思っていたのに、予想外の反応に逆に戸惑ってしまった。 「しかも、ふられちゃった訳でしょ?…この後に及んで、何も自分を自らそこまで惨めな思いにさせなくたっていいのに」 ふいに木原の手が、俺の肩に触れる。 「…俺の裏をかくつもりだったの?…ならもっと、俺が『考えつかないこと』をしでかさなきゃぁならない位、察しがつくでしょうが。…ホント、これだからまいっちゃうよなぁ。疎いというか、知らなさ過ぎるというか…」 「……!!」 突然のことで俺は立ちすくんだ。…唇に伝わる、暖かく柔らかい感触…。無防備な俺の閉ざされた口を割るように、その舌が絡みついてくる。 「…ん…っ…」 執拗に絡められたせいか…俺は祐司とのキスに酔う自分の感覚に似たそれに、反射的に答えるようにやり返す。 だが彼は急に俺から唇を放した。 「…ストーップ。今日はここまでだよ。…生憎俺は、大塚にふられたお前を今ここで『慰められる』ようなガラじゃないんだ。『お節介焼き』は本日はここで退散するよ」 「…木原!?」 「そのバカ正直、ホントなんとかしないと危ないぞ。…相手が俺だったから良いものの、時と相手によっちゃぁ、いくらお前でも『誤解です』の言い訳じゃぁ済まされないぜ?」 そう言い放つと、彼は振り返らずに生徒会室を出ていった。 |
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