帰宅して、いつものように母に手間を掛けさすまいと早々に洗濯物をスポーツバックから取り出す。そこで俺はそれが『いつもと違うこと』を思い出した。 「母さん、悪い。今日の洗濯物、早めに洗って乾かして欲しいんだ」 「え?」 「替えをうっかり持ってくのを忘れて、同級生に借りたんだよ」 「あらまぁ、珍しい。克博がうっかり忘れ物するなんて、やっぱり最近ちょっと根詰めすぎなんじゃない?少しは息抜きしたら?」 俺は苦笑する。本当は『うっかり忘れた』訳じゃなかったのだから。 「気を付けるよ。こんな失敗するなんて、最近ちょっと気が緩んでたんだな…そのうち重大なミスをしたら困るしね。もう3年になるんだし、引き締めなきゃ」 部屋に戻って、Tシャツを貸してくれた木原のことを思う…そういえばあいつとは1年の時にクラスが一緒だったけど、あんまり話をしたことはなかった。とりあえずクラスメイトだったから、少しはどんな奴かは知っていたつもりだったけど…こう考えてみると実際のところ、どっかの大学教授の息子だとか、上辺のことしか知らなかったんだ。学区外受験で入学したからか、彼のことを良く知る人がいないせいもあって、噂とかの情報も入ってくることも殆どなかった。まぁ、なんとなく変わってる奴だとは思うけど…それもそう『くくって』しまっていいのか、あやふやな感じだ。 …とりあえず、何はともあれ、明日お礼は言わなきゃならない。 部活の時のTシャツ事件の犯人探しは、俺の『もう、どうでもいいよ』の一言で終了した。俺がなんでもかんでも手を出して目立つ以上、やっかむ奴が最低一人二人いたって不自然じゃない。直接不満や文句を言わないその手段に一時は腹立たしく感じたこともあったが、冷静に考えれば自分が勝手にそういった『敵を作った』から起こったことなのだ。だから俺がその場を収めるしかなかった。…でも、もしそれがあの祐司に対してであったなら…俺はあの副キャプテンのように声を荒げ、部活そっちのけで意地で犯人を見付け出して、それこそ犯人をその場でボコボコにしちゃってたかもな…あの事件の被害者が祐司じゃなくて良かったと、ちょっとだけ思う。 そして俺が、この先どんなことがあってもあいつを守ってやるんだ…改めてそう誓う。そのためにもっと強くならなければならないんだ。
「木原、昨日はありがとう」 休み時間、教室移動の合間に木原のいるクラスへ行き、彼を呼び出す。 やたら小綺麗な袋を差し出すと、彼は怪訝そうな顔つきで中を覗き込んだ。 「…あ、Tシャツ?…なんだ、別に急がなくても良かったのに」 気を利かせたのか、母はアイロンまでかけておいたらしい。少し照れくさそうに木原は頭を掻いた。 「…うちの親みたい」 「え?」 「…あ、いやぁ…袋とか、アイロン掛けとか…。どうみてもこれ、お前が『そうやってくれ』って言った訳じゃないだろうなぁ、と」 「まぁ、そうだけど…」 なんか木原と話してると、何か俺が言わなくとも全て見通してるような気分になってくる。変な感じだ。 「あ、そうそう、俺も丁度お前に用があったんだ。はい、これ」 彼は上着の内ポケットから封筒を取り出す。 「うちの部の後輩から頼まれたんだ。読んでくれ、って」 「…手紙?」 「『なんで自分で渡さないんだ?』なんて怒らないで、ちゃんと読んでやってよ。その子だって、この俺に頼むってだけでそりゃもう、決死の思いだったみたいだからさ」 「……」 木原にそう言われ、俺は黙って受け取った。 人前で読むのは俺の立場からしてその子に迷惑がかかると思い、昼休みに誰もいない生徒会室でこっそり読んだ。 『あなたが好きです…』 …何度も何度も書き直しては、夜な夜な迷いながら綴った文面。俺自身が全く気が付かないところから、彼女は俺を見ていた。俺に気付かれないように、それでいて、片時も目を逸らさずに…でも俺は、彼女のことを何も知らない。 『もし今、篠田先輩に彼女がいないなら、好きな人がいないのなら、友達からでもいいですから、私とつき合ってもらえませんか?…』 返事を訊きたいだなんて、俺にどう答えて欲しいのだろう?何も知らないのに、同ように言葉を返せるわけがない。だいたい、俺自身が彼女を知らないのに、彼女がどうして俺を理解できたというのか。どうして『好き』と言えるのか…。 俺は数日そのことを考えた。考えに考えても、彼女が『どうして俺を好きになったのか』とかいう理由も、そこに至る経緯も、何がどうであれ、俺は彼女の気持ちに答えることはできない。 俺は今、『大塚 祐司』しか見えてない。祐司のことしか、考えてない…。 そうだ、いつもいつも、あいつのことばっかりなんだ。もうすぐあいつが入学してくることを、あいつと学校で会えることを、俺はずっとずっと待ち望んでた。今までの努力の数々全部が、全て彼の為だった。俺の気持ちはどんなに彼女が自分を想ってくれても揺ぐことはない。 俺は彼女を放課後、目立たぬように呼びだした。それが俺にできる、彼女への唯一の気遣いだった。俺の決断に彼女は言葉を無くしたまま、ただ泣いていた…。
「結局振っちゃったんだって?あの1年生の子」 どこから聞きつけたのか、部長会の後で部室に資料を置きに来た俺の背後のドアから、あの木原が顔を覗かせている。部室の周りに他に誰もいないことを確認し、俺は木原を中へ呼んでドアを閉めた。 「…その子から聞いたのか?」 「んー、まぁね…。俺に手紙を託した手前、彼女、きちんと報告したいから、ってさ。話す側から泣かれちゃって、こっちもちょっと困っちゃったんだけど…」 「…仕方ないよ、俺にはどうすることもできないし」 「まぁ、そうだろうね…。まさかお前に『好きな人』がいるなんて、俺も微塵にも思っちゃいなかったからさ。安請け合いするんじゃなかったって、ちょっと反省してるんだ」 「お前が気にすることはないさ。…まぁ、結果的に彼女には辛い想いさせちゃったけど…、勇気出して告ってくれた彼女にはちょっと感謝してる」 「なんで?『好き』って言われたから?」 「いや、俺も『片思い』だからさ…彼女みたいにちゃんと伝えなきゃ、って」 木原が目を丸くする。 「『片思い』!?お前がか!?この『篠田 克博』がか!?」 「なんだよ、俺が片思いしちゃぁ、悪いかよ」 俺はちょっとふてくされた。今まで人以上に完璧に根回ししてきたつもりの俺が、愚かにも基本を忘れていたというこの不甲斐なさ。一番肝心な決定打を、俺は忘れていたことに彼女に気付かされたのだ。確かに俺は中学の時、祐司に一度告白はしているが、実のところ俺は『返事』をきちんと聞いていない。つまりは、俺の想いは一方通行と同じだったのだ。祐司が同じ高校に進学してくれたということは、俺に対して拒絶はしていないということにはなるが、やはりきちんとした『言葉』と『態度』で示して欲しい。 …俺の気持ちと同じように俺のことが『好きだ』と、『言葉』で、その『態度』で確かめたい。 「俺もいつまでもこんな想いでいるのは終わりにする。けじめをつけたい」 俺はきっぱり木原に答えた。 木原は意外そうな顔をして暫く俺を見つめていたが、一息付くとぽつりと言った。 「…まぁ、お前がそう決めたのなら、な…」
「先輩ッ!篠田先輩!」 入学式の開式前、新入部員勧誘に体育館入口近くに出ていた俺を、聞き覚えのある声が呼んでいる。 「やっとみっけましたよ!…もう、人が多くてバスケ部探すの大変で…」 かつて中学時代の後輩だった沢井が手を振りながら駆け寄ってきた。 「久々だな沢井。お前も同じ高校だったのか」 その沢井の隣…俺は見覚えのある姿に目を奪われる。 …彼だ。 久々に見た彼は、ぐっと身長も伸びて…俺とそれ程差がない位だった。 「先輩、俺、ぜってーバスケ部入りますから!また宜しくお願いします」 沢井が俺の手を掴んで強引に握手する。 「あぁ、勿論歓迎するよ。…大塚も入ってくれるのか?」 俺はおそるおそる訊いた。 彼が答える間もなく、沢井が横から口を出す。 「そんなの当たり前っすよー、こいつ、ちゃんと先輩の後継いで、キャプテンやったんですから!県大会にも出場したんですよ、上位入賞までやってのけたんだから!」 沢井の説明に、彼は照れくさそうに俯いている。 俺はそんなお前を、ずっとずっと待ってたんだ…。 あいつはもうすぐ誕生日だから、入学祝いも兼ねて何かプレゼントしよう。俺の願いに答えてくれるお前だからこそ、その想いに答えてくれてた証として…。
「ふぅん、あれが噂の『大塚 祐司』?」 体育館でランニングを始める一年生の集団を眺める俺の背後から、またもやあの木原が声を掛けてきた。何故かわかならいが、奴は最近、恐ろしいまでのタイミングで俺に『お節介』を出す。 「ああ。…良く知ってるな、木原。他の部の人間が知ってるなんて、そんなに有名になってたか?」 「そりゃそうよ。この『篠田 克博』が一目置いてる一年坊主、って言ったら、噂にならない方がおかしいでしょ?」 「…そうかな?」 「確かに、いい素材だと思うよ。あの身体能力はうちの部でも即戦力になるから是非欲しいもんだね。まだ仮入部期間だろ?なーんで、他に入らずバスケに入ったやら。うちへ来ればいいのに」 「あいつは他には行かないよ」 「…あらまぁ、すっげぇ自信。そんなこと軽々言えちゃうのも、『篠田 克博』だからでしょうけど…。まぁ、挫折を知らないお前だから忠告しとくけど、自分自身はコントロールできても、他人はそうはいかないものさ。繋ぎ止めるものは想像以上に脆く弱いってこと、肝に銘じておいた方がいいぜ」 その言葉に俺はドキリとする。 …俺の想いは、祐司を繋ぎ止められない、っていうのか?祐司がこの俺から離れていくとでも言うのか? …いや、そんな筈はない。 こんなにあいつを想っているのに、あいつもこの俺を追ってバスケ部に入ってくれたのに、俺達の関係が終わるわけがない。これから何もかも始まるというのに! 大塚 祐司…あいつのことを考えるだけで、せつなくて、愛おしくて…あいつがコート内を走る姿、あいつが試合中に見せる表情、あいつの笑う顔、あいつの声、あいつの鼓動…何もかも俺だけのものにしたい。この俺以外に誰がその資格を得ていると言うんだ? …あいつに触れたい。あいつの全てを知りたい。他の誰も知らない、あいつの全て…俺だけに、きっと俺だけがそれを許される…。 月に2度行われる定例の生徒会会議の日、俺は誰もいなくなった生徒会室で書記が残した記録ノートを確認していると、無意識にその名前を走り書きした。 『大塚 祐司』…何度も指でその名を辿る。声に出さずに何度もその名を口にする。 突如、ドアを誰かがノックする。 「失礼します」 大塚 祐司…そう、今まで俺はずっと堪えていたんだ。会えない間もずっとずっと、お前のことを一途に想い続けて…どの位お前を想っていたのか、言葉じゃ伝えきれないであろう程に気持ちが高ぶっていた。そんな時にお前が現れたら、もう、自分を自制できそうにない。 「あの、今日の練習終わりました」 彼がドアの向こうから話しかける。…イヤだ、このまま帰すものか。 「ふうん。…まぁ、中に入って来いよ。こっちも見ての通り、誰もいないし」 そう、誰もいない…だから、…いいだろ? …この日、何の抵抗もなく拒絶の返事もない彼に、俺は『俺だけが知る』傷を付けた。 |
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