トップ > 紘の場合 > 第2章:黒い車
 忘れもしない、中学2年の夏休みだった。晃に出合う前…それまでの僕を『変えて』 しまった人がいた。
 自営業である両親の元へ、夏休みのアルバイトで一人の大学生がやってきた。
 今時、肉体労働をしたがる大学生なんて、珍しいなぁ…などと僕は思っていたが、親の会社の従業員の紹介なのか何なのかよくわからないが、まぁ、そんな感じで働くことになったらしい。彼は建築学やら空間デザインとかなんとか、そんな様なのを学校で勉強しているらしくて、この就職難のご時世、少しでも実務経験を積みたくて…などと周囲に自己紹介していた。
 まだ夏もこれから本番という時期だというのに、かなり日に焼けた、ちょっと見スポーツマン・タイプの背の高い人だった。
 その日部活はちょうど休みで、尚かつ友人と遊ぶ約束もしてなかった僕は朝からゲームで遊んでいた。喉が乾いたので台所に行き、冷蔵庫を開けたがジュースは切れていた。
 「ちぇっ。下に何かあるだろ…」
 僕は仕方なく一階に下りていった。家は3階建てなので、後で部屋に戻るのが少々おっくうなのだが、かといって外に買いに行く気はないし…で、渋々だった。
 「広田さん、麦茶冷えてるわ。事務所の冷蔵庫に入ってるから、お飲みなさいな」
 「あっ、どうもすみません…」
 丁度昼飯時で、広田さん…アルバイトの人が事務所に戻ってきていた。彼はひょっこり現れた僕に驚く様子もなく、にっこり笑って言った。
 「よう!」
 「……」
 「なぁに、紘。黙ってないで、ちゃんと挨拶なさい」
 母がじろりと睨む。僕はぺこりと頭を下げた。事務所は自分の家とはいえど居心地が悪いので、早々に引き上げようと冷蔵庫に手を伸ばした。
 「あぁ、悪いね…」
 彼はてっきり、僕が麦茶の缶を取ってくれるものだと思っていたらしかったが、僕は手にするなり足早に出ていったので、ぽかんと口を開けて後ろ姿を見ていた。
 「こらっ、紘!!…すみませんねぇ、広田さん。無愛想な子でしょ、ごめんなさいね」
 「いいんですよ、べつにそんなこと」
 「まったく、部活がないと朝からゴロゴロで、困っちゃうのよ」
 「部活?なんかやってるんですか?」
 「えぇ。バスケットなんですけど、もともと身体が丈夫じゃなし、とうてい試合なんか出られそうもないらしいんですけどね」
 「…へぇ、バスケですかぁ。僕も高校ン時、バスケやってたんですよ。なんか、話が合いそうなだぁ」
 ほっといてくれ、って感じだった。別に選手で試合に出たいが為に部活に入ったわけではないのだから。だか人の気持ちもお構いなしに、広田さんはそれを話題にして、なにかと僕に話しかけてくるようになった。
 バイト先の、小さいけれども一応『社長』の息子であるわけだから、最初は社交辞令程度で返事もしたが、あけっぴろげというか、がさつというか…段々僕にはうっとおしくて、早く夏休みが終わるか、辞めてほしいとまで思うようになっていた。


 「なぁ紘くん、暇なんだろ?車でどっか連れてってやろうか?」
 週末でバイトは休みの日だったのに、広田さんはいつもの出勤時間に現れた。
 「…いいよ、別に。ゲームしてるから」
 「そんな不健康な。外へ出ろ、外へ」
 「暑いからやだ」
 「車だから、暑くない!そら、支度しなよ」
 僕は嫌だと言っているのに、強引に押し切られて、外に止めてあった黒い軽自動車に乗せられてしまった。
 「あら、出かけるの?」
 「ええ、紘くんとドライブ行って来ます」
 「いってらっしゃい。宜しくね、広田さん」
 母は僕が嫌がっているのを全く解ってないらしい。そうこうしているうちに、車は走り出していた。
 「さぁて、どこに行こうかな。海岸沿いは渋滞していそうだしなぁ」
 「なんで僕なんか…。彼女でも誘えばいいじゃん」
 「彼女は少し前に別れちゃったから、いません」
  彼はおどけたように舌を出す。
 「別れたの?なんで?」
 「いろいろあるのさ。紘くん位の年の子には、ちょーっと難しい事情がね」
 その言葉に、僕はカチンときた。
 (なんだよ、人をガキ扱いしやがって!!)
 「どうせこの車だって、女コマす為の車なんだろ!?適当なとこで路駐して、暗いから見えやしないよ、とかなんとか言いくるめてさ。あーやだやだ、その助手席に座ってるなんて」
 一瞬、広田さんは固まっていた。赤信号で車を止めると、僕に振り向く。
 「女知らないガキが、解ってるような口きくなよ。無様だぜ」
 怒り爆発寸前。どうせガキだよ、悪かったな!!
 僕は不機嫌そうに顔をしかめ、外に視線を向けた。
 「…急に静かになったな。まぁ、いいや。何かとお年頃はフクザツだろうから」
 ラジオからは渋滞情報が流れている。段々と車の流れが悪くなり、ついにはのろのろ運転になってきた。照り返す日差しに、時折広田さんは右腕を窓から引っ込める。僕はその仕草を横目で見ていた。
 「喉、乾かねぇか?そこらの店入るか?それとも、そこらでなんか買ってくるか?」
 「店はいいよ。男二人で、空しいじゃん」
 「別に、気にするようなことか?」
 「気になるよ、充分」
 「…まぁ、いっか。じゃぁ金出すから、紘くん適当に俺のも買ってきてよ」
 道路沿いのコンビニに車を止め、僕は一人で店に入った。自分の分はさっさと決めたものの、広田さんの分がなかなか決まらない。なんでこんなことで、悩まなきゃならないんだ? …と、かごを持ったまま店内をうろうろしていた。
 夏休みということもあって、友達同志で店に来ている人、カップルで来ている人…店内は賑やかだった。僕はなんだか自分が空しくなって、手前のコーラをかごに突っ込むと、足早にレジに並んだ。
 「何買ってきたの?あぁ、コーラ?いいよ、それで」
 広田さんは袋から取り出すと、直ぐに開けて飲みだした。僕自身も多少喉が乾いていたが、ずっと日に当たりながら運転していた広田さんは、ずっと飲みたがっていたらしかった。
 ふいに目がいく。腕も顔つきも、僕なんかよりずっと大人で…男らしく見えた。あと数年年をとったところで、おそらく僕はあんな感じにはなれやしないのだろう。親譲りの色白な肌も、色素の薄い髪の色も、天地がひっくり返ったって変わりはしない。声変わりだって、来るのか来ないのか殆どなさそうだし…。
 「なんだよ、人の顔ジロジロ見て。なんかおかしいか?」
 「え?…別に」
 「さてと…そこら適当に走るかなぁ。行きたいとこ、ないか?」
 「ないよ。だって、知らないもん」
 僕は気怠そうに外を眺めた。
 無言の時間と車の揺れ、緩やかな風……僕は段々眠くなっていた。ほんの少し、それ程長い時間ではなかったが、僕はついついうたた寝をしてしまった。ふと気が付くと、車は止まっていた。
 「ここ…どこ?」
 「さぁて、どこだろなぁ。なんか気持ち良さそうに寝入ってるから、適当な路地に入っちゃった。そんなに遠くない筈だよ、あれからほんの20分くらいだから」
 車の時計を見ると、コンビニで買い物をした時間からそんなに経っていなかった。
 僕は辺りを見回す。遠巻きに車が走り抜ける音がするものの、さっきの渋滞よりは車の流れがスムーズなのか、時折静かになる。
 辺りは木々が一杯で、ちょっとした木陰の下に車は止まっていた。それ程広くない道幅は、そこで引き返すには少々狭い。
 「ターンできる?」
 「うーん…走り抜けちゃった方が楽かもな。多分、この先は幹線道路に繋がってると思う。もう行ってもいいか?」
 「うん。目が覚めたから行って」
 広田さんはエンジンをかけ直した。
 だが行けども行けども、その道は益々家もまばらな山道の方に向かってしまい、僕等は完全に迷子になってしまった。
 「あっちゃぁ〜。こりゃぁ、戻るしかないかも」
 緑は鬱蒼と生い茂り、道は次第に悪くなる。広田さんは強引に草むらへ車を乗り上げ、方向転換する。
 「なっさけねぇな。いい年して迷子になるなよな」
 僕は棘のある言い方をする。彼はばつが悪そうに苦笑した。
 「わりぃ、わりぃ。たまにはそんなことだってあるんだよ」
 「危ねぇなぁ。俺が女だったら、犯っちゃう気でわざと間違えたりするんじゃない?…残念でした、俺、男だもんねぇ」
 ふと広田さんがブレーキを踏む。僕は広田さんを怒らせたと思った。
 「な、なんだよ?」
 妙に真剣なその横顔…。彼はギアを戻して、エンジンを切ってしまった。
 「…それはあながち、『嘘』とは言えないかもしれない」
 カチン、とシートベルトの外す音がする。
 突然、広田さんが僕に覆い被さってきた。シートベルトをしたままの僕は身動きができず…シートを後ろに倒され、身体を強く押さえつけられた。
 「なンだよ!!!」
 じたばたしようにも、狭い車内ではどうにもならない。強引にキスされ、舌を絡められながら、広田さんの手が僕のジーンズの中へするりと入り込んだ。そのまさぐる手に抵抗しようにも、まだそんな『刺激』にすら慣れていない僕は、その未だ味わったことのない衝撃に抵抗する力を失ってしまい、広田さんの思うままになっていた。


 とても長い時間が過ぎたような気がする。
 わけがわからないことに対する恐怖のような、それでいてそれを拒否できない自分がいて…。
 解放されてから、しばらく僕はぼーっと外を眺めていた。頭は真っ白で、ただ外の方に顔が向いていただけだった。我に返る頃には辺りは日が暮れ始め、薄暗くなりかけていた。隣で広田さんは何本か煙草の火をつけなおしていたが、その間僕らにはなにも会話はなかった。
 「…服、もう着ろよ」
 突然彼はエンジンをかけ、車を出す。もとの道を黙ったまま走り出す。
 林道を走っている間、僕は狭い車内でだらだらと服を直した。
 「ねぇ」
 僕は抑揚のない声で話しかけた。しかし彼から返事はない。
 「…怒ってないよ、俺」
 幹線道路に入ると夕方の帰省の渋滞に巻き込まれて立ち往生になり、広田さんは間がもたないのか、煙草をしきりにいじり出す。
 「広田さんさ、…ホントに俺としたかったの?したかったから、俺を誘ったの?」
 「……」
 「”好き”じゃなくても、したくなればできるの?」
 「…だったら、自分で確かめればいいじゃないか。自分で答えを出せばいい」
 「……」
 僕には分からなかった。自分の答えが見つからなくて、見つけたくて…僕はその日以降、広田さんとの『関係』をそのまま続けていた。部活のある日は仕事帰りに『迎えに行く』と言っては車の中で、親が出かけていない日は僕の部屋でもしてたし、日の暮れた海でどこかのいちゃつくカップルの近くに陣取ってしてたこともあった。次第に身体も慣れてしまっていたのか、彼の要求…というか欲求を満たし続けるだけの行為ばかりになっていて、彼は彼なりに僕を気遣っていてくれていたのだろうけども、次第に僕は最初から広田さんへの感情も愛情もないことに気がついた。


 「もう、広田さんとはしない」
 「…え?」
 「…好きになれなかった。慣れていけば…なんどもこうしていれば、気持ちも”変わる”かもと思ったけど、結局何も変わらなかった」
 夏休みが終わる頃、僕はこの関係を終わらせるべく話を切りだした。彼は僕を責めたり、説得しようともしなかった。
 暫くして、彼は就職活動を理由にバイトを辞めた。
 そして僕は、あの黒い車に再び乗ることはなくなった。

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--SWEET GAME 2001-2007--
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