「どうした祐司、ボーっとして」 「えっ!?…あ、いや、なんでもないっす!」 期末試験前で部活が休みになったにも関わらず、俺は篠田先輩と一緒に下校している…五時間目が始まる前に先輩からメールが入ったせいだ。 「部活がないと調子狂うし、試験勉強もやらなきゃなんないのは分かるけど、まだ日があるんだから程々にした方がいいぞ」 「…先輩は良いですよ、もともと頭良いし」 「何言ってんだよ、俺だって殆ど最後にゃ一夜漬けになるんだぜ?」 「一夜漬けの効果の度合いが違う、ってことですよ。俺なんか一夜漬けしようにも、全然頭に入らないまま試験になっちゃうもん」 「大丈夫だって、祐司なら…」 いつもより早い時間の下校に、俺はまた先輩に誘われると思っていたのだが、駅に着くと先輩は『じゃぁな』と言ってあっさり帰っていった。試験前だし、先輩もそれなりに俺を気遣ってくれているのかな…そう思いながら独りで家路につく。 『考えてみてよ、祐司クン』 上代君が言った言葉を思い出して、俺は先輩の前でありながら迂闊にも物思いに耽ってしまった。篠田先輩のことは『嫌いじゃない』…そう『思っている』。日頃人目を盗んではしょっちゅう俺に『お前が好きだ』と言う先輩が、心底イヤだという訳じゃない。 『お前が好きだから…ひとつになりたい。お前と繋がっていたい、感じていたい…』 俺の身体のあちこちに唇を寄せて、触れて、先輩は何度も呟く…。 …でも…。 でも、わかんないよ! 俺には先輩の存在が遠すぎて、高すぎて、どんなに言葉で態度で示されても、俺と先輩の間にはものすごい隔たりというか、そう簡単に縮められない距離があって…俺には何もできない。何も与えられない。先輩と同じようにはできない。あんなになんでも俺にはできない。 家の近所の公園まで来た時、俺は路肩に停めてある一台のバイクに気が付いた。 「…上代…君?」 「…やぁ」 制服姿のままで、ぽつりと彼はそこにいた。 「気分転換にちょっと寄り道してみた。…ここはガッコから近いし、おまけにこの辺は静かでいいよなぁ」 「…上代君の家の方って、もっと遠いよね?」 「ああ。電車だったら乗り換えがあるから1時間半は裕にかかるよ。…尤も俺はいつも駅までバイクだから、直線コースで40分そこいらで通ってるけどな」 「…あ、あのさ、上代君…」 俺は休み時間の彼を思い出していた。 「上代君は…その、…永田君と…つきあって、…いるんだよ…ね?」 彼が変な顔をする。 「つきあってないよ?」 「え?…だって…、」 だって屋上で永田君と、当てつけみたいにあんなに濃厚なキスを交わしてたじゃないか。 「『キスしてたから、つき合ってる』?…キスなんかつき合ってなくたってできるんだぜ?…お前だって、あいつと『つき合ってる』のかよ?」 「そ、それは…」 「俺はお前と、『つき合いたい』んだよ。…わかるか?」 上代君の瞳は真剣そのものだった。あの篠田先輩と同じで、冗談やその場の雰囲気で言ってるような感じではない。ゆっくりと、俺が確実に聞き取れる早さと声色で彼はそう言った。 …上代君は恐くないのだろうか?俺が拒否の返事をするかもしれないのに、彼は俺の目の前でとても冷静でいて、顔色ひとつ変えずにいる。 「…俺は…、わかんないよ…」 どう答えたらいいのか分からない…先輩のことといい、今の俺の頭の中は混乱するばかりで…上代君の顔をまともに見れない。今ここで返事を言ってくれと言わんばかりのこの状況に、俺は耐えられなくて俯いた。 突然メットが俺の手元に飛んでくる…殆ど反射的に受け取り、俺はびっくりして顔を上げた。 「後ろ乗れよ。このバイク2ケツできるから全然問題ないって。その辺ちょっと走ってこようぜ」 上代君はフルフェイスのメットをかぶってバイクのエンジンをかける。俺は手招きする彼に促されるように、彼のバイクの後ろにまたがった。 「しっかり俺に掴まってないと、メットかぶっててもあぶねーから気をつけろよ」 言われるままに彼にしがみつく…走り出した後は何の会話もなく、俺は彼の背中に身を寄せたまま流れる風景を見ていた。彼はうちの近所を適当に走り、やがて再び公園まで戻ってきた。 「…ありがと」 俺がメットを返すと、彼はふっ、と微笑む。 「…お前さ、あれこれ考えすぎるんだよ。篠田というプレッシャーがどれほどなのかはお前にしか分かんないことだろうけどさ…だからこそ何も考えないこともたまには必要なんだぜ?…世話になった恩だとか、義理だとか、そんな理屈っぽいことなんか一切どうでもいい、って一度ぐらい思ったってバチは当たりはしないよ…お前には今、それが必要なんじゃないのかな。…合同授業の時のお前、なんだか別人みたいに生き生きしてた。日頃の細々とした煩わしいことも、篠田のことも何も考えてないから…あの瞬間だけが、お前が自分に戻れる瞬間なんだ、って見てて思ったよ」 「…上代君…」 「紘がお前を誉めてたよ。…まぁ俺にはバスケはよく分かんないから、どう誉めたらいいのか、ホント言い様がないんだけど…今のお前があの時ような『お前らしさ』を取り戻せるなら…俺に今それができるなら、そうしてやりたい…そう思ってる」 …なんでだろう、胸が、痛い…。 「…紘はさ、俺のことを本気で好いてくれてるみたいだけど、俺にとっちゃぁ、あいつとは『身体だけの関係』だけなんだよ。どんなに向こうが想ってくれても、俺にはただのクラスメイトの一人としか思えなくて…何度セックスしたって、何の特別な感情もあいつに対して沸かなくて…。けれどあいつはセックスが『愛情の現れ』だと思い込んでいる。残酷かもしれないけど、紘が自分でそれに気付くまで…理解するまでは仕方ないことなんだろう。俺が他の誰かのもとへ行ってしまって、二度と戻って来なくなって、俺を憎む位に深く傷付いて…。どんなに恨まれてもいい、あいつがそれでその幻想染みた『恋愛ごっこ』から我に返ってくれるのなら、俺は構わない…何よりも、俺は自分自身に正直でありたいから」 上代君は俺だったらとても他人に言えないことを、何ら関係のない『他人の俺』にストレートに話す。平然と口にしているその『行為』のことは、世間じゃ非道理でタブー視されることだというのに、恥も後ろめたさも感じている様子は全くなく、素直にありのままの自分の気持ちを言葉にした。でもそれは同時に、俺があの篠田先輩に対して『言えない本心』にも通じるところがあって…ずっと先輩に言いたくても言えなかったことを、まるで彼が代わりに全て吐き出してくれてるようで…彼の言葉の一語一句に胸が痛い。 「今俺がこんなこと言っても、お前のことだって…もしかしたら俺の『勘違い』で、一時の気の迷いだったと後で思うかも知れない。俺はあの時どうかしてたんだ、って後で後悔するかもしれない…でもさ、そんなことはその時にならなきゃ誰も分からないんだよ。…だから、先のことは今は考えない。今は俺自身が思ったままでいいと思ってる。…お前をあの篠田から、どんな卑劣な手を使ってでも、力ずくで奪いたい。俺が今ここでお前に話したこと、全部篠田に話しちゃっても俺は全然構わないぜ。…あいつが生徒会長だろうが、お前の先輩だろうが、そんなことは俺には関係ないからな」 なんで…、なんでそこまで言うんだ、そこまで言えるんだ? 「……!」 俺の頬にすうっと伝うもの…視界が歪んで、上代君がよく見えない…。 彼はそれに気付いて、再び俺にメットを渡す。 「…被れよ。走ってれば誰も気が付かない」 エンジン音と風の音に紛れて、俺は彼の背中で声にならない声をあげて泣いていた…。
「祐司、俺、夕べ何度も携帯鳴らしたのに…一体どうしたんだよ?」 誰もいない部室で篠田先輩に夕べのことを問いただされる…当然だな。 「心配で家にも電話かけたら、お姉さんが『まだ帰ってきてない』って言ってたし…何やってたんだ、試験前なのにそんなに夜遅くまで」 俺は先輩の顔を正視しようとせず…そう、見ても仕方ないから…目を逸らしたままぽつりと言った。 「他の奴と…寝てた」 「…え?」 「他の男と寝てたんだ、そいつの家で」 「……」 「別に無理矢理やられた訳じゃないよ、ちゃんと『合意の上』だよ…」 「…お前…、今自分が何言ってるのか、分かってるのか!?」 篠田先輩が俺の肩を強く掴んで揺さぶる…怒りに震えている声。 「…痛い…っ、放してください、先輩…!」 俺は抵抗してその手を振りほどく。肩から息をしている先輩の怒りは相当なものに違いなかった。 「…相手は…誰だ!?」 「同級生ですよ。バスケ部とは関係ありません…成り行きで家まで行って、成り行きでそうなったんです」 「成り行きだと!?…祐司、お前…っ!」 その言葉に逆上した篠田先輩は俺の腕を再び掴み、力任せにそのまま俺を壁に叩きつけて押さえ付けた。 「冗談じゃない!…俺がお前をどんなに想っていたか…。この数年間、ひたすらお前のことだけを…お前だけしか考えられなくて…!」 「…それは『先輩の気持ち』でしょ?…先輩は今まで、俺のことを本当に分かろうとしてくれたことが一度でもありました?…正直言うと俺、先輩と一緒にいるのは辛かったんです。先輩にしょっちゅう抱かれるのも、はっきり言っていい気分じゃなかった。セックスなんて別に感情が伴わなくたってできてしまう…身体が『したい』と思えば、それでできてしまうんだ。俺が今まで先輩とできたのは本能ゆえだったんだ、って改めて悟りました。…だって、夕べはそうじゃなかったから…俺、あいつに初めてあんな風に抱かれて、すごく嬉しかった…」 ガツン、という鈍い衝撃に視界が一瞬揺らいで…俺は篠田先輩に思い切り握り拳で殴られ、そのまま壁伝いに崩れるように座り込んだ。拳を握りしめたまま、そのまま先輩は勢いよくドアを閉めて部室を去っていく。 焼けるような痛みに口元を拭うと、殴られた衝撃で口の中を切ったらしく、手の甲には血がついていた。 …これでいいんだ、これで…。成る可くしてこうなったのだから。 「恨まれても構わない…そうだよね…」 俺はポケットから携帯を取り出し、登録していた篠田先輩の名前を消す。そして殴られた痛みが癒えぬままに血を拭いながらゆっくりと立ち上がり、先輩のロッカーの中に退部届を置いて帰った。
「ゴメン、上代君!」 学校近くの駅の駐輪場へ先にバイクを取りに行った彼を見付けて手を振る。 「今日、掃除当番ってことすっかり忘れてて…待たせちゃった?」 「……」 彼はむすっ、と口をへの字にしたままで俺を見つめている。 「…あ、やっぱ怒ってる?…そうゆうことは先にメールしろ、と?」 「いや、怒ってない」 「じゃぁなんで?」 「…その、『上代君』ってヤツ、いい加減止めてくんないかなぁ?…お前に言われると、どうも何かこう、むず痒い…」 「…あ、ゴメン…。…だってさ、下の名前で呼ぶのって…なんかむず痒くって…」 「俺は『君付け』がイヤなんだって。…別に呼び捨てだっていいだろ?」 「あ、そっか。…そうだよね、あははは…」 メットを受け取り、ひょいとバイクの後ろにまたがる。 「…なんかたった3日ぶりなのに久々に感じちゃうなぁ、このバイク」 「すぐにそんなことなくなるさ」 「うん…」 実のところ、彼はまだ完全に永田君と切れた訳じゃない…週に1〜2日は永田君が彼の家に居座ってしまうので、その合間にこうして俺達は一緒に過ごしている。永田君の性格を熟知し充分考慮した上での彼の判断で、彼は俺にあれこれ今までの経緯と事情を細々と説明し、俺の了承を得てのことだった。だから当然、永田君が家にくれば彼と『やっている』のも俺は全部聞いていた。 繁華街を走り抜け、俺達は海岸に辿り着く。 「…紘のヤツさ、こないだ前の男に会ってたみたいなんだ」 「え?」 「俺が最近妙によそよそしいからだろ?…あいつは見かけ以上、相当に子供で甘えん坊だからな…常に自分を構ってくれないと堪えられないんだろう、だからヨリ戻すことを考えてるのかもしれないな」 「…永田君はその、…君が初めて、って訳じゃなかったんだ…」 「違うよ。…確かあいつ、前の男に中学の時にレイプされた、って言ってたっけな…」 「うそっ」 「それでも、その後もその男と続いてた…あいつはさ、レイプですらその後に関係が続いてしまうと、その一件も愛情表現の一種だったと据え変えて解釈するんだよ。…まぁ、そんな始まり方でも丸く収まっちまう奇特な関係もある、っていう一例だな」 彼はホントは俺より1学年上で…だから当然なのかもしれないけど、こうして話しているとたった1歳違いなのに人生経験の差を見せつけられるというか…。今までバスケ三昧で何も知らないで生きてきた俺が単にバカ過ぎるだけなんだろうけど、彼は精神的にもずっと大人でいろいろ考えてて…。ホント他の人から見たら、俺がバカ過ぎるから口八丁手八丁に騙されているだけだと笑われるかもしれないんだけど…少なくとも今は、誰より彼を信じていられる。 「…このままだと夏休みになったら…紘はもう来なくなるだろうな。だからその頃には、祐司は大手を振って気兼ねなく俺の家に来れるようになるさ」 「…え?行っても平気なの?」 「いいよ、うちは当面誰もいないし。面倒だから何日分か着替えも一緒に持ってくるといい。俺がバイクで荷物運んでやるよ。…そしたらさ、時間も気にせず、誰にも邪魔されないだろ?…学校じゃぁ殆ど一緒にいられないし、ずっと紘のことで放課後もあまり一緒にいられなかったから…必ず埋め合わせするよ」 彼といろんな話をするのは好きだ。俺と同じ目線で、同じ高さで話をしてくれる彼は、一緒にいるととても穏やかな気分になる。 「俺、バスケのこともあの学校へ入ったことも、今までやってきたこと全部、もう少しで後悔するところだった…。何も後悔なんかすることないんだよね。だから今、君のとなりにこうしていられるんだからさ」 「…まぁでも正直言うと、俺はバスケ部まで辞めるとは思わなかったな」 「いいんだよ。バスケ好きとバスケ部へ入ることは必ずしも同じじゃないんだ。何より俺は、君があの時言ったように妙な義理や恩に自ら自分を縛ってたのが良くなかったわけで、今はなんかすごくスッキリして、自由になった感じがするんだ。君のおかげだよ」 「『水を得た魚』、だな」 「何それ?」 「…いや、何も。…俺もお前とこうして話ができるようになれて良かったと思ってる。そうじゃなかったら、あの頃のことをずっと引きずったまま、前へ進めなかったから…そろそろ行こうか、遅くなるし」 彼は耳元で俺達だけが知る秘密の言葉を囁いた…俺は黙ってただ頷いた。 |
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