あれにはかなり…いや、ちょっとだけ驚いた。それがあまりに突然だったからというか、俺自身、そのうちそうなり兼ねない『予感』はしていたから、『とてつもなく』ではなかっただけなのだが…。 高校に入学してまもなく訪れた誕生日。 もともと近所だったこともあって小さい頃から顔見知りで、さらに中学時代にたまたま部活で一緒だったもんで、何かととても親切にしてくれてたある先輩が、同じ高校に受かった俺を祝ってくれたのがきっかけだった。またのごとく俺は先輩との関わりを持つようになり、ついにその日を迎えてしまった。 「祐司、誕生日おめでとう」 手渡された小さな箱…そっと開けた瞬間、俺は目の前が真っ暗になった。 銀の指輪…。なんで俺が、こんなものを先輩からプレゼントされる立場になってしまったんだ!?…ショックというか、もう肯定も否定もどうでも良かった。言葉を無くしたまま受け取って、とりあえず嬉しそうに微笑んで見せる。その時の自分の顔を鏡で見たら、きっとその微笑みはさぞひきつった『苦笑』に見えたことだろう。 そういえばいつだったか、俺がしていた指輪を取り上げて、先輩は自分の指にはめたことがあった。 「あっ、俺とサイズ同じじゃん。丁度いいや、もらっちゃおう♪」 「ダメですよ!それ、結構高かったんですから!」 「もらったものじゃないんだろ?だったら、別にいいじゃん」 「ダメです!」 俺は先輩から強引に奪い返した。その指輪はとりわけ高価なものでも意味のあるものでもなく、たまたま友人と遊びに行った時に路上のアクセサリー売りから買ったものだった。デザインがちょっと変わってて、もの珍しいことから結構気に入っていた。 思えば先輩はあの時、俺の指輪のサイズをなんだかんだとチェックしていたのだ。 先輩からのプレゼント、しかもよりによって『誕生日』…銀の指輪が俺を威圧する。 あぁ、俺はこの人のものなんだ…。 それは『諦め』なのか、それとも俺自身の『本心』なのか、いまだ心の整理は付かない。 断ることもせず、かといって腑に落ちないもやもやとした気持ちのまま、その日先輩に送られた指輪は今、俺の右手に光っている。左でなかったのは…その、もやもやとした感情の現れであったに過ぎない。 先輩が望むように『会話』し、望むように『身を委ねる』…。 先輩のことは別に昔から嫌いじゃなかった。誰にでも親切で優しくて礼儀正しいし、頭はめちゃくちゃいいし、中学時代でも生徒会長だった上に、バスケ部のキャプテンだった。俺は先輩を信頼してたし、尊敬してたし、ずっと憧れてた。先輩みたいにオールマイティとまでいかなくとも、バスケぐらいはいつか先輩のようになりたくて必死に努力した。いつしかそんな俺は先輩に気に入られ、次期キャプテンの座を約束されるまでに親密な仲になった。だが彼は中学卒業間際のある日、俺に想像もつかなかったことをした…。 突然の呼び出し、そして「告白」…。軽くジョークを言えるような人ではないのを分かっていただけに、たちの悪い『冗談』であることを信じたかった。 ショックだった。気に入られているということが意味したのは、こんなことだったのか…俺は愕然とした。 体力的に劣っていたわけではないから、逃げることもできたのに、俺は拒めなかった。…いや、拒むことを望まなかった。 「…祐司は俺のものだから。卒業しても俺はお前のことを見てるし、お前は必ず俺のもとへ来る。待ってるから、ずっと…」 先輩はそう言って俺の前から姿を消した。 …そして季節は流れ、先輩は再び俺の前に現れた…と言うよりも、俺が先輩の元へ行ってしまったと言うべきなのだろう。
高校生活は、それまでの日常とは一見違うように見えたが、僕にとってはあまり変わり映えのないものだった。放課後までは『新しい生活』だったが、終礼の鐘が鳴った瞬間に、かつてのものと同じに戻ってしまう。 一応それなりの進学校なので強制で入らなければならない部活じゃないから、拒否してしまうこともできたのに、僕は先輩がいるからという単純な理由で入部してしまった。 「大塚は篠田先輩と同じ中学だったんだろ?あの人、やっぱり中学の時もスゴ腕だったんか?」 「うん。今もキャプテンしてるみたいだけど、中学の時もそうだったよ」 「あの人、生徒会長もしてて忙しいのに、インターハイ終わるまでは部活も引退しないって言ってるんだってな。スポーツ推薦で大学行きたいわけじゃないなら、そこまで部活やってなくてもいいのにな」 「好きでやってんだから、先生も止めないんだろ?成績に影響なきゃぁ、誰も止めないよ」 「まぁ、そりゃぁそうだ」 部室で同級生と着替えていると、2年の先輩が部室に入ってきた。 「おい、今日は篠田さん生徒会の会議だから、部活は来ないって。メニュー表をマネージャーが持ってるらしいから、今日はそれをこなしておけってさ」 「へーい」 「それと、ただでさえ1年は筋トレとか基礎メニューが多いんだぞ。いつまでもダベってないで、早く体育館へ行けよ!」 「へーい」 ピシャリと荒々しく戸を閉められ、先輩の足音が遠ざかっていくのを確認し、同級生の水野が口を開く。 「…野口先輩、口煩いんだもんなぁ」 「あの人、篠田さん至上主義でしょ?近付きたいんだよ、キャプテンに」 「でもさ、実力的には篠田さんには程遠いよ。悪いけど今の先輩達全員、篠田さんの足引っ張ってるの誰が見たって分かるよ。…1年の時に既にそこそこ実力がなきゃぁ、3年になっても芽は出ないね、多分」 「…高山くんは、○▲中学でしょ?あそこの中学のバスケ部の人って、どちらかというと頭脳派で戦術的じゃん。筋トレやってりゃぁいいって考えてる先輩達の教え方と、根本的に違うんだよ」 「そんなもん、基礎があって当然のことだろう?お前もこの先3年、筋トレだけで上手くなれると思うか?」 「そりゃぁそうだけどさ…」 内心では俺も高山くんと同意見だったが、俺はそれを強く言えなかった。彼は高校に入ってもバスケがやりたくて入部した人間だ。俺のように、『先輩が来い』と言ったから…ただそれだけで何となく入部届けを出したりしたわけじゃない。 つまらない単純な内容の練習メニューをこなし、終わって後片づけをしていると、2年の先輩が僕らに話しかけてきた。 「おい、お前ら誰でもいいから、帰る前に『練習終わりました』って篠田先輩に報告してから帰れよ」 「へーい。お疲れさまですぅー」 モップを抱えながら残った1年生同志で、体育館の隅に固まるように集まる。 「誰が行く?」 「俺、パス。なんか威圧感あるんだもん、篠田先輩。別に怖い訳じゃあないけど、なんか神々しいような近寄り難いものがあって…」 「ジャンケンにしよっか?公平に決めようぜ」 「…いいよ、俺が行くよ」 俺は嫌がるみんなに割って口を開いた。どのみちこの中の誰かが行っても、どうせ俺は別件とかなんとか言いがかりを付けて、後で先輩に呼び出されるに違いないんだ。 「あっそ。じゃぁ大塚で決まり。さっさと掃除終わらせて、どっか寄ろうぜ。腹ペコペコだよ」 足取り重くロッカーで制服に着替えてると、みんな急いで着替えてさっさと帰ろうとしている。1人、2人といなくなるロッカールームで俺は溜息をついた。 「先輩とじゃぁ、どこも寄る気しないよ…」 同級生の言葉じゃないけど、確かに先輩にはなんか神々しいような近寄り難いものがあって、悪ふざけしたり冗談を言ってみたり、ゲーセンとかで遊ぶ気にはとてもなれない。腹が減っているからといってファーストフードの店に寄ろうものなら、向かいの席に先輩がいるってだけで、緊張して喉が通らなくなってしまう。なんだか初めてのデートに緊張する感覚にも似てるような、妙に落ち着かない気分になるんだ。 渋々生徒会室に向かうと、まだ明かりがついている。 軽くノックして戸を開けると、先輩だけが残って会議資料を整理していた。 「やぁ、祐司」 「あの、今日の練習終わりました」 「みんなは?」 「もう帰っちゃいました。俺が最後でしたから」 「ふうん。…まぁ、中に入って来いよ。こっちも見ての通り、誰もいないし」 「はぁ…」 机には飲みかけの缶ジュースが置いてある。そういえばさっきまでずっと走りっぱなしだったから、喉がカラカラだ。 「何?…あぁ、これ俺の飲みかけだけど、飲んでいいよ。喉乾いてるんだろ?」 まるで僕の心を読んだかのように、先輩が口を開く。 「あっ、いえ、いいです。購買で買ってくりゃぁいいだけだし」 「俺、もうちょっとでこれ終わるから。それ飲んでそこで一息ついてろよ」 「え?…でも…」 真剣な顔つきで書類を眺める篠田先輩に、『なんだか忙しそうで邪魔になるからもう帰ります』とは言いづらかった。声をかけることで気を散らさせそうで、俺は仕方なく音を立てないように椅子に座った。 「祐司、お前スプレーみたいのつけたりしないの?」 「え?…汗臭いっすか、俺?」 「いや、逆。匂わないから。練習終わると、あそこのロッカールームはスプレーの匂いで充満してるだろ?」 「…まぁ、確かに凄いっすけどね。俺、匂強いのダメなんで…。その分、頻繁に着替えはしますけど。練習中もTシャツ変えること多いし」 目の前に置かれた缶ジュース…あぁ、やっぱり何か飲みたい。 「あのぅ…」 「ん?」 「…ちょっとだけこれ貰っていいですか?」 「いいよ。別に全部飲んでもいいって。…飲み残しで悪いな。ホントにもう終わるから、それ飲んじゃってよ」 「はい…」 かなり残ってるじゃないか。この量からいくと、先輩は殆ど口にしてない。全部いいとは言われたものの、これじゃぁまるで最初から奢ってもらったみたいじゃないか…俺は気が引けて半分で止めた。 「…あの、どうして先輩だけが残ったんですか?」 「ん…、一人で終わる内容だったから。何人も残ったって、逆に効率が悪いことだってあるだろ?」 ふいに先輩の手が伸びる。手にした缶を無意識に軽く振って中身がまだ残ってるのを確認し、俺が飲んだジュースを口にする…ちょこっと、いや、結構飲んでる。 「…これ、結構美味いな。みんなが『今度の購買部のとこの自販の新製品はイイ』とか言ってただけはあるな」 「あっ、あのやっぱり俺買ってきます。同じのでいいですよね?」 「え?いいよ、最後飲んじゃって。俺はもう充分」 「でも…」 「………」 また沈黙。先輩は再び黙々と作業を続けている。 暫くして先輩は書類をファイルにしまいながら、呟くように言った。 「…やっぱり物足りない」 「だから俺が…」 「ジュースのこと?ジュースはいいんだって。あれはそもそも祐司にあげるつもりだったんだから」 『え?』 「物足りないってのはね、間接じゃ満足できないってことだよ」 『何?”カンセツ”!?』 先輩はファイルを後ろの机に重ねる。何のことを言ってるのか理解に苦しむ俺を尻目に、先輩は俺に微笑む。 「祐司と間接キスしたって満足出来ない、ってことだよ。目の前にお前がいるんだ、そんなもんじゃ一瞬で霞んでなくなっちまう」 身を乗り出して、食い入るように俺を見つめる。 「…キスしたい」 「なっ…なんで!?」 「お前が『祐司』だから。お前が他の誰かだったら、そんなこと言わないよ」 「どうして!?ちょ、ちょっと待ってください!!」 「…嫌か?俺が嫌いか?」 「せ、先輩のことは嫌いじゃないけど…。でも『好き』とか『嫌い』とか、そんなんじゃなくて、……!!」 先輩の腕が俺の双肩を掴んでいた。冗談にしてはきつすぎる。 「じゃぁお前、誰か女とキスしたことあるのかよ?正直に言え」 「…な…、無いかも…」 「心配するな、誰も見ちゃいないよ。1回だけ試してみないか?キスだって学ばなきゃ上手くならないぜ?」 「で、でもね先輩、何も今じゃなくたって…!!」 「俺は今しかその気がない。後にも先にも何もない。今回だけだ」 「……」 俺は渋々頷いてしまった。今から思えばここが運命の分かれ道だったのかもしれない。 「…大丈夫、俺、無茶しないから」 無茶も何も、初めから言ってることが全て滅茶苦茶じゃないか!! そんなことを思ってる間にも、あっさり俺はファーストキスを先輩に奪われてしまった。しかも、いきなり濃厚なディープキスはないだろう!?否応無しに絡めてきて、俺はショックで気が動転してしまった。 頭の中がボーッとして、さっきまでの威勢はどこへやら、俺は脱力してへたりこんでしまった。 「……祐司?」 先輩は俺の背中をつついている。その感覚すら鈍る程に、俺はもう何がなんだか分からなくなっていて……。 「…………」 先輩は俺の耳元で何か言っていたが、さっぱり分からなかった。気がつくとまた先輩の顔が目の前にあって、それから………。 それから後のことは、それまでの先輩と俺の関係が、その『結果』に結びつく為のプロセスだったことを悟らされた。 その日は学校じゃ何だから…とか言って早々に帰ることになったが、家に着いたのは9時で、それでもこの日は本当に早い方だった。日に日に先輩は校内の見回りの目をかわすように早々に教室や、ロッカールームや生徒会室の電気を消してしまうようになり、もっと遅くなることが多くて…。 先輩はいつもウソをついた。『ちょっとだけ』なんかじゃない。どんどんエスカレートする一方だった。 ウソなのに、『嫌』と言えない。今じゃ俺の身体はきっとあの人の匂いがするんだろうなぁという位に、何もかもどこもかしこも先輩の前にさらけ出されて、先輩はおそらく俺の次に『俺』を知っている人になったに違いなかった。 親切で、バスケが上手くて、尊敬できる先輩なのに…俺はとりわけ有望だから気に入られているんじゃなくて、その『対称』が故に可愛がられてるんだと、なんだか同級生に対して負い目のようなものを感じるようになっていった。
「今日、高山のファウルで転倒した時、横っ腹の方打っただろ、見せてみろ」 「平気ですよ、ちょっと痣になってるだけだろうから」 「いいから見せろ」 ロッカールームで制服に着替えようとしていた俺に絡みついてくる。わざわざ脱がさなくても痣の具合なんか見れるのに、すぐにこれだ。 「…痛むか?」 真新しい痣。紅く鬱血し、2〜3日もすれば青くなってくるに違いない。 その痣を先輩は軽く舐めた。 「触られりゃぁ、痛いですよ」 「じゃぁ、これならどう?」 徐に先輩は俺を掴んだ。その手の中で弄ぶように俺の反応を伺っている。 「………」 「これなら痛くないだろ?ほら…」 痣に強く触れてくる。触れられた痛みに混りながら、先輩が付けた火が俺を呑み込んでいく。 「こんなの痛くなんかない、少しも。…そうだろ、祐司?」 「………」 「こうすればすぐ痛みなんか忘れるさ、な?」 忘れる程にまで俺を支配してしまうのは、篠田先輩、あなただろう!?抵抗ということすら忘れさせてしまう程に、決まって先輩は俺の弱点をついてくるじゃないか! 「お前は素直だから、ちゃんと言えるよな?」 「………」 「言ってごらん、…ん?」 「…嫌だ、こんなの…」 「…じゃぁやってみるんだな、自分から。わかってるだろ、どうすりゃぁいいのか。お前が望むようにしてみろ」 躊躇もせずに導き招いてる自分が、あの運命の日からまだ1ヶ月も経ってないなんて…。俺はこの先、ホントにどうなってしまうのだろう…。 |
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