ジェノヴァ地方最北端に位置するイーリス公の館は、前線であるサウスフィガロに最も近い砦であった。デュロウの側近者はそれぞれ、『天・地・風・火・水』に該当する個々の能力と、象徴する館を持っており、その一人であるイーリス公は『水』のエレメントに当てはまる存在だった。 サイユはもともと、ミレトス衆を始めとするディオスと同一の存在である。各エレメントの最高位がミレトス衆にあたるわけで、錬金術などから人工的に生成したクリスタルを所持したディオス…もといサイユは、ミレトス衆がエトルリア攻防戦で居なくなったことを機に、『自分こそがこの時世の最高の術者』と豪語するものが増えた。 人工的なクリスタルは、それなりに精製すれば術の能力を強化させることが可能だった。ミレトス衆のクリスタルが別格扱いなのは、クレアムス界の維持能力を保持していることと、クリスタルを介したエレメント術の『奥義』を発動させられるか否かに過ぎない。 ただ、人工的に精製できるクリスタルにはエレメントに制限があり、それは『クレアムス界の者が継承できるミレトス衆の主要エレメントの種類』に限られた。エレメント自体の種類は他にも存在しているのだが、特殊なエレメントに置いては技術的に精製が不可能だった為だ。 サイユの上位階級の中には、かつてディオスとしても上位階級にいた者も少なくなかった。王都陥落の直後、抵抗勢力に対しては容赦しないと近隣諸国の武力制圧に乗り出したデュロウの軍に、無条件降伏し寝返ることで生き延びる道を選んだ領主は、その能力とかつての功績に合わせた階級をそのまま与えられた。より時世のミレトス衆に近い血筋の者は、タウラスの蜂起にエトルリアへの忠誠を再び誓い、抵抗を続ける道を選んだ。いずれにも属さない中立国家は、物資や資源提供を条件に中立の維持か、寝返ったディオス同様に国家を守る為サイユの傘下に加わった。 広い敷地内に大きな噴水が点在し、水のせせらぎが聞こえる。イーリス自体はデュロウの部下の一人に過ぎないのだが、その館はレプレオンのクレアムス城を遙かに凌ぐ、広さと華やかさを持っていた。庭の造りにしても建築様式にしても、豪華絢爛の贅沢の限りを尽くしている。 クレアムスの様々な都市を侵略し、略奪したことによって出来たその証が、目の前にある…カイは言い表し様のない憤りを感じて唇を噛んだ。 戦火の絶えないこの状勢で、敵の領地だけがエトルリア攻防戦以前と変わらない状態にある…現在のレプレオンはかつての要塞に形だけの次代ミレトス王を迎え入れる為のにわか居城を一角に建てたようなもので、その物資の大半はフランドルの援助によるものである。そのフランドルとて、多額の資金や物資援助をエトルリア軍再建の為に捻出できる程潤っていたわけではない。旧エトルリアに属していた諸国が内密に援助を申し出たり、中立国家が自分の領土を戦火に巻き込まなせないことを条件に、供給を申し出た例もあった。いずれの場合でも、エトルリア側が他の領地へ強制や略奪を強いたことなどはない。 エトルリア攻防戦を経験していない自分ですら、敵陣の状態を見て腹立たしく思うのだから、あの戦いを生き残ったタウラスのような人間が敵のこの姿を見たならば、憤慨どころでは済まないに違いない。 まだ昼間ということもあり、敷地内に人影は殆どない。館そのものがデュロウの結界内にあるだけあって、特に周囲の警備の者も無く、庭は静かだった。 カイは館の中の様子を気にしながら、ゆっくりと庭の方へ近付いて行った。館の裏側に回り、開いていた窓から中に入り込む。 ふと、ジェイがエドガー離宮によく忍び込んでいるという話を思い出した。 (ジェイの場合は無人だと分かっているから、まだいい。やっていることは同じようでも、俺の方がかなり分が悪い…) 武装もままならない状態で、たった一人敵陣の中へ忍び込むというのは、本来自殺行為だ。この館に集まる敵が戦の準備に集っているわけではなく宴目的とはいえど、ここの主であるイーリス公は地位の高さからして、かなり腕の立つ部下を数多く揃えているに違いない。成り行きでジェイに『自分が行く』と言ってしまった自分に、冷静に考えれば別の手段もあった筈だと今更窘めても、ここまで来た以上、無事に戻ることよりもなんらかの『収穫』なくして帰るわけにはいかないという意地に近いものが自分を突き動かしていた。 日が暮れてサイユ達が館に集まってくる前に、内部のことを把握しておかなければならない。万一見つかった時の脱出経路の確保も重要だ。大広間の場所、廊下、外に出る為の最短の経路と時間を考えながら、奥へ進んでゆく。 いつ戦闘になるかわからない…万が一発見されて不審者と判断された時点で、彼は自分の『正体』を敵に知られる前に、敵の口を封じなければならない。生まれてからの人生の殆どをカルミアス界で過ごしてきた為にこのクレアムス界では自分の存在を知る者は極端に少なく、エトルリア軍にいるミレトス衆はもはやタウラスのみと敵に思われていただけに、次代の継承者である自分の存在は、敵にとって今の地位を脅かす最大の危険因子、最優先に抹殺するべき対象なのだ。そもそもサイユはクレアムス界におけるディオスの人間であって、単にデュロウ側が区別したがってそのように呼んでいるだけで、術や能力に特別な違いはない。逆にカルミアス界の人間である自分の方が、彼等とは違った異質な存在なのだろう。 薄暗い廊下を足早に駆け抜け、上の階に上がり、武器の倉庫らしき部屋を見つけると、カイはそこに身を隠して日が暮れるのを待った。 |