デュロウの領地とミレトスの領地の境界線に位置するサウスフィガロは、両者に対して中立の立場をとってはいたが、事実上の最前線の街だった。郊外いたる所に両軍の基地があり、互いを警戒し続けていた。 この街にその秘術で移動した来たカイは、まず情報収集の為に人々が集まる市場に足を運んだ。そこには、食べ物、衣服、嗜好品や骨董品を売る店が、敷物を隔てて所狭しと並んでいる。 「そこの兄ちゃん、寄っていかない?」 「ほらほら、今朝取れたての果物だよ!」 「見てごらんよ、この布を!手触りが良くて、独特な光沢がある。こんな上質の布は、今じゃレプレオンですら、なかなかお目にかかれない代物だ!」 前線でありながら、人々は生気溢れ、市場は活気に満ちている。幾度となく戦火にさらされらながも、決して落胆することなく営み続けるその活力に、カイはミレトスとしての使命感を受けずにはいられなかった。 彼は一件の店に足を運んだ。 「この金で買える服が欲しいのだが…」 カイは懐からあるだけの金を出して、店主に見せた。まだ若い店主はその金を手早く数えると、納得したように頷いて、店の奥の衣装箱から服を出して彼に見せた。 「ここいらじゃあ、これでも高級品なんだぜ?…あんたがそのマントの下に着ているものに比べちゃぁ、ボロ切れにしか見えないだろうけど?」 その店主はカイのマントを指さして、少々嫌味っぽく棘のある言い方をした。 カイからしてみれば単なる武道着なのだが、片田舎の、まして物資の不足が深刻な前線地域の人々からして見れば、それは一張羅以上に高級な素材でできた服なのだ。 「…いや、これで充分だ。…これに着替える所はあるか?」 「あぁ、奥に。なんだったら、今着ている服を売る気はないかい?…いい話を教えてやるぜ?」 「内容によるな」 「あんたが知りたがってること…って、言ったら?」 (まさか、敵…?) カイは警戒心を露にして男を睨んだ。警戒と言うより、威嚇の方が強かったかもしれない。 「いっ…、いやだなぁ、お兄さん!例えだよ、”たとえ”。もう、見かけによらず短気なんだからぁ!いやんなっちゃうよなぁ…」 男は彼が凄味を利かせて睨んだので、尻込みした。その間…瞬時に男の風体を値踏みする。 鍛え上げられた身体は、商人というよりは戦士に近い。それに、色素の薄い銀髪と赤茶の瞳とは…。 (イヤでも人目を引くな…) 周りの他の商人達と比べると、ただの一商人にしては随分感じが違う。カイの能力者としての本能が、この男への猜疑心を掻き立てていたのだった。 案内されて奥の荷物の隅で着替え、店先に戻ると、店主は満顔に笑みを湛えながらまた近寄ってきた。 「いやぁ、よくお似合いで!それなら大丈夫ですよぉ。全然、旦那だとカノジョすら気付かない!いやぁ、もう完璧だなぁ!」 煽て言葉を並べて愛想良く振る舞うこの男を、カイは無関心という顔で相手にせず、黙ったまま店を出ようとした。すると男は、立ち去ろうとするカイに、突然小声で耳打ちした。 「…結界を張って行くのは、逆効果だ。かえって、向こうさんに自分の居場所を教えるようなもんだぜ…」 (……!) その言葉にカイは引っかかるものがあった。男の真意を確かめようと慌てて振り返ったが、既に男は別の客に呼び止められていた。 「おーい、カルス!こないだ頼んだ薬はどうしたんだよ!」 「いやぁ、御免、御免。俺っちも忙しくってねぇ。明日、必ず仕入れに行くよぉ!」 カルスと呼ばれたその男は、すぐ客と別の店に入ってしまい、カイは機を逸してしまった。仕方なしに歩き出す。敵の領地を目前にして、意識過剰なのだと己にいいきかせていたたものの、街を出てデュロウの領地に近づくと、カイはその異常なまでの結界の圧力を感じて、カルスの言葉を思い出し、その訳を知った。 (なる程、こうゆうことか。あのカルスという男、なかなか洞察力があるな。やはりあの手の商人は、人を見る目が出来ているようだ。唯一俺の正体がバレなかったのは、助かったな…) 目に見えない威圧感が、カイの身体を包み込む。警戒心が意識とは裏腹に、無意識のうちに五感を研ぎ澄ませ、能力を発揮させてしまう。カイは深呼吸すると、過剰に神経を張り詰めないように気を配りながら前進する。 (あとは敵に会わなければ問題は無いんだが…) 木々が生い茂る中、彼は部落を探した。デュロウの領地内であっても、『サイユ』ではない、一般の民衆も大勢いる。ひとまずその人々を捜して、内部の情報を聞き出すつもりでいた。 どのくらい歩き続けたのだろう、人々の声が聞こえてきたので身を潜め様子を伺いながら進むと、どうやら部落にたどり着いたようだった。女達の話声が聞こえる。 「ねぇ、聞いた?この前アウストラスに遠征に来たサイユの中に、いい男がいたんですって!」 「本当?だってサイユって、山男みたいなむさ苦しい連中ばっかりだって聞いたわよ、あたし。それに、荒くれ者ばっかで、ガラの悪い連中だって…」 「違うのよ、それが。支配者のデュロウって、すっごい美女なんだって。だからね、いい男を自分の側近に固めてるらしいのよ。それで、その士官がいい男って訳よ!」 「なるほどぉ。で、どんな男だったの?」 「それがねぇ…」 女達は夢見るような顔で世間話に花を咲かせ、木陰に潜むカイの存在など気付く様子もない。 「柔らかそうな漆黒の髪にね、綺麗な宝石のような瞳をしてたんですって!それも、紫色!」 「紫?それ、本当?そんな人がいるの?」 「そうなのよぉ!それでもって、背が高くてねぇ…。容姿端麗、どこかの国の王子様って感じなんですって!一目お目にかかりたいわ!」 紫の瞳と聞き、カイは顔をしかめた。紫の瞳はティルス一族特有のものであり、彼以外に考えられない。ましてや敵の士官の中にいようとは。 カイはそれが真実かどうかを確かめずにはいられなく、堪らず彼女達の所へ出ていった。 「今の話をもう少し詳しく話してくれないかな」 突然声をかけられ、彼女達は驚いて身を寄せ合い、おそるおそる声のする方を見た。 「その男は確かに紫だったのか?」 目の前に突如表れたカイの姿を、彼女達はまじまじと見つめる。衣服はそこらの村人と大差ないが、端正な顔立ちと均整のとれた骨格、その身長、その声は、年頃である彼女達を一瞬にして魅了してしまった。 溜息に似た、感嘆の声があがる。頬を染める者、恥ずかしさに人影に隠れてしまう者、魅入ったまま呆然としている者と様々だ。 カイのその質問に彼女達は答えてよいものなのか、怯えながらその中の一人が他の者につつかれて小声で答えようとした時、突如、女達の背後から別の者が現れた。 「…紫だ。紺碧じゃないのは間違いない」 すらりとした細身の長身で、癖のある金の髪を無造作に後ろで束ね、着慣らした騎士風の装いは、落ちぶれたというよりも、むしろ風格を感じさせるものがある。女達は身を引いて、その者に道をあけた。 「わたしは今までいろんな所を見てきたが、そんな瞳を持つ者を二人と見たことがない。あれはティルス一族の証だ。それ以外の何者でもなかろう?」 微笑を浮かべたその面から発した言葉は、男のものであるか女のものであるか、判別がつきにくい。カイはその彼…または彼女が、ティルス一族の名を平気で口にした真相が解らなかった。 敵の罠かもしれない…表情にこそ出さなかったが、意味深なその言葉に不審を抱かないわけはなく、カイは相手の出方を待った。そんな彼の心情が手に取るようにわかるのか、それをからかい半分に楽しんでいる節が伺える。その澄んだ青灰の瞳が、何もかも見通してしまうようで、場の悪さを感じずにはいられない。 「あんたこそどうゆうつもりか知らないが、デュロウの領地内ではティルスの名は禁戒だ。命が惜しかったら、余計なことに首を突っ込まない方が身の為だよ。今まであんたみたいに、ティルスのことを探る輩が何人もここを通ったけど、皆デュロウに捕まってそれっきりさ。それにここら辺は辺境でも、デュロウの手が充分届く所何だからね」 「忠告どうもありがとう」 カイはひとことだけ言うと、足早にその場を立ち去った。その後ろ姿を見送る視線は、敵意や殺意をこめた感じではなかった。だが、鋭く身体を貫くようなそれは、ひどく彼を逆撫でするものだった。とりあえずこの部落での情報収集は切り上げ、別の場所をあたることにした。 ティルス一族は禁戒である…。 あの者が言ったことが本当であるなら、それはラフィン本人がこの地でなんらかの動きを見せているということだ。しかし、『士官』ということが気になる。おまけに、ティルス一族のことを探る者は次々と消息を絶ったという。 ただ一つの頼りは、アウストラスに遠征に来たというサイユの一行が、その後どこに向かったのか、ラフィンが何故敵の士官になっているのか…全てはラフィンにかかっている。リメルはなんらかの形で、その真相に迫ったのかもしれない。そして、無事を信じているジェイには残酷なことだが、それ故にリメルは敵の手におちた可能性が高い。ほんの僅かな手掛かりだけでもいい。リメルがここ訪れ、何を見て何を知ったのかを知りたいと彼は思った。 気を取り直して再び歩き出したが、日が暮れ始めて、視界が悪く、これ以上先に進むのは困難になってきたので、カイはやむなくその地で休むことにした。むやみに宿を取って、敵に正体を知られるわけにはいかないので、適当な場所を探す。 しかし敵陣の中で緊張しているせいか、なかなか寝付くことが出来ない。目を閉じたまま暗闇の静寂な中で一人、微かにざわつく木々の葉の音を聞きながら、意識が薄れるのを待つ。 ようやく眠りに落ちかけたその時、それまで辺りに人の気配などしなかったのに、突如何者かが自分に近づいてくるのを感じて、カイは飛び起きた。 瞬時にその場を離れて、近くの茂みに身を隠す。暗闇の中では、聴覚と勘が頼りだ。むやみに能力を使えない状況なだけに、絶対に後手に回るわけにはいかない。様子を伺いながら常に先手を打たなければ、この場を乗り切ることは不可能だ。 少し先で、松明の炎の明かりが見えた。 「そこにいるのは分かっている。あんたに話があってここに来た。無論、あんたとここで戦う気はない…その理由は言う必要は無かろう?このわたしとて、相手の能力くらいは見切ることは出来る。わたしはそこまで間抜けじゃないさ」 その声は、昼間に部落で出会った金髪の人物であった。 カイは暫く、茂みの中で考えていた。どうやらサイユではないらしいが、自分が特別な人間であることを見抜いているこの者に、はたして接近して良いものか。もし、自分がカルミアスの人間だとばれた時、この者は自分をサイユに売るかもしれない…距離を置いて警戒したまま、彼はその場に止まった。 反応のないカイに、仕方ないという感じに舌打ちし、話し続ける。 「…ならば、そこで聞いて欲しい。私の話を信じるか否かは、あんた次第だ。あんたが捜しているその男…ラフィンは、確かにこの領地内にいる。あのデュロウの側近の一人であるバーシアス侯直属の、尖鋭部隊を仕切っていて、奴らの中でもちょっとした有名人さ。なんでも士官に出世したのは、表の功績の裏にある様々なことが元だったと、サイユ達の間では噂してたよ。奴はそれまで『愛人』だった無能な上司を始末して、バーシアス侯に色仕掛けした、ってね。事実かなりの美形だし、彼の武器は能力だけじゃないわけよ…私も彼の姿をたまたま見かけて、その噂がまんざらでもないと納得した。…ただ、その時の彼がサイユらしくない振る舞いをしていたのが印象に残ってて、なんか気掛かりだった。あのサウスフィガロに現れた時、彼は自分の部下を全く側に置いていなかった。大抵、一人くらいは側につけておくのが当たり前なのに、どうしてなのかは知らないが、サイユの中じゃ、『変わり者』で目立ってるよ」 「…何故、俺にそんなことを話す?」 「何故って?…さぁ、どうしてかな。私はよくこの辺りを行き来しているしねぇ。だからといって、サイユじゃないけど。まぁ、人を見る目はあるからねぇ、なんとなくあんたを見てそう思ったのさ」 「…その鞘にある剣は…ただの剣じゃないな」 「やっぱり分かるかい?」 声色が微妙に変わった。ハスキーでよく通る声…。 「意志のない筈の剣が、お前の思考の波長と同じものを発している。その『クリスタル・ソード』を持てる者は、ごく限られた人間のみだ。…貴様、何者だ?」 「何者って、見ての通りのただの女だけど?…まぁ、最近は雇われ用心棒をやったり、傭兵やら懸賞金で生計立ててるけどね。ここまであんたを追ってきたのも、実は次の職探しってわけ。ねぇ、この私を雇う気はないか?剣の腕はこの『クリスタル』が保証する」 「何故、この俺に執着する?」 「そりゃぁ、カンってやつだよ。それに、この剣の価値の分かる者に出会うのは、久しぶりだからな」 どうやらこの者は敵ではないようだ。だが能力保持者の中でも、限られた者しか持つことが出来ないという宝剣『クリスタル・ソード』を持っている人間だったとは…カイは茂みから姿を見せた。 「生憎、今は用心棒を雇うまでもないんでね。だけど、もし…もしも別の機会で雇いたいと言ったら、引き受けて貰えるだろうか?」 「いいよ。そのかわり通常の報酬より割り増しで、前金は半分以上になるけど?それでも構わないと言うなら、いつでもいい」 「構わない。その時は是非頼むよ」 「私の名はジル。その道じゃ、ちょっと名の知れた女さ。私の居所は街のその道の奴に聞けば、直ぐに分かる筈。暫くはこのジェノヴァにいるけど、その後の行き先は決めてないから」 「わかった。俺は用事を済ませたら、フランドルにいる。神殿の神官に『ネレイドのカイに会いたい』と言えば、通してくれるだろう」 「ネレイド…ねぇ。ネレイド出身には見えないけど、まぁ、この際どうでもいいか。とにかく、以後お見知りおきを。それでカイ、もう一ついい情報を無償で提供してあげるよ。デュロウの側近の一人、イーリス公の宴が明日ある。場所はこのジェノヴァの最北端にある館だ。なんでも、バーシアス侯が招待されているようだから、もしかしたらラフィンも一緒に来るんじゃないか?」 「本当か!?」 「但し、それだけの能力者が集まるってことを絶対に忘れるなよ。忍び込むのは容易じゃない」 「あぁ、充分承知さ。恩にきる、ジル!」 「どういたしまして」 ジルは持っていた松明の火を、カイに分けて差し出した。 「暗いうちに移動した方がいい。夜が明ける頃には、イーリス公の館付近に着く筈だ。サイユが大勢集まる前に向こうに行った方が、まだ安全だろう」 「そうだな、その通りだ」 カイは松明を受け取ると、北に向かって歩き出した。 一路、敵の館へ…。ラフィンを見つけられるかもしれないという期待を胸に、夜道を進むカイであった。
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