クレアムス城から郊外へ、延々と続く道を二頭の馬が駆け抜けて行く。やがて森の中に入り、その森の開けた所に、エドガー離宮はひっそりと建っていた。 エトルリア攻防戦以来誰も住んでいないが、付近に住む者達の善意で、庭はきちんと手入れが行き届いており、空き家という雰囲気は殆ど感じさせない。かつて格式あるティルス一族が住んでいたという割には質素な館で、敷地もそれほど広くはなかった。 二人は馬から降りて手綱を手頃な木に繋いだ。 「おいおい、本当にいいのか?」 「平気、平気。正門の方は鍵が掛かっているけど、裏口は鍵が掛かってないんだ。裏から入ろう」 ジェイは子供のように無邪気にはしゃぎ、先へとカイを急かした。そんな彼にやれやれと思いながらも、その後について行く。 先の攻防戦の戦火から何の被害もなく無傷で残っているエドガー離宮は、カイの脳裏に忘れていた懐かしい記憶を鮮やかに蘇らせた。セピア色に蘇る、過去……それは今自分の瞳に映る風景となんら変わりなく時間を瞬時に重ねてゆき、カイは目を細めた。 次世代クレアムス王となる使命を生まれながらに背負うシャルルは当時、まだ乳離れして間もない幼子で、彼より年上なラフィンは『側近』というよりは兄弟という感じで、彼の側に四六時中いて面倒を見ていた。彼等は血こそ繋がっていなかったが、本当の兄弟のようにお互いの存在を受け入れ、信頼という強い絆で結ばれていた。当時の自分が何よりも欲していたものを持つこの二人に、カイは幼心に羨望を抱いていた。今思えば、彼等の関係は『君主』の宿命である故の当然のことなのだが、しきたりや風習の異なるカルミアスに育った自分には、彼等が『特別』に見えたのだ。 …俺は、いつも一人だった……。 (一人…?) 自分の記憶にある限りの、いろいろな出来事や知っている人物を思い起こしてみる。彼等のような存在ではなかったが、当時の自分が気がつかなかっただけで、自分を見守ってくれてた人はいたのかもしれない。 「カイ?」 立ち止まったまま、長い間忘れかけてた記憶を辿って物思いにふける彼に、ジェイは振り返り呼びかけた。 『カイ…』 名を呼ぶその声に、思わず、はっ、とする。 ……幻? 目の前にいるジェイの姿が、それまで忘れていたあのリメルと重なっていた。エドガー離宮が過去の記憶を次々と思い出させているせいか、カイは一瞬目を見張った。 「どうしたの?」 「…いや、姉君のリメルのことを思い出して…。タウラス公も言っていたが、リメルの行方は俺の情報でも掴めてないんだ。一年前に会った時が…あの日が最期だったなんて、俺は思いたくないんだが…」 「姉さんは……きっと生きてる。僕は信じてるよ」 「……」 かみ締めるように話すジェイのその目は、僅かな可能性に望みを託した思いが溢れていた。 (…面影がそっくりだな、リメルと…。やはり姉弟だからか…) 丁度ジェイの年が、旅立った時のリメルの年と同じせいもあったのだろう、同一人物かと思う程、二人の印象が混同しやすい。 「…俺もそう思ってるよ」 「僕は……、今は父さんに止められているけど、継承儀式が済んだら姉さんを探しに行くつもりだ。その為には一刻も早く、もっと能力をつけなきゃならない。僕がここに忍び込むようになったのは、その為なんだ。先代のディアナ妃は、ミレトス衆きっての術者だった。本当は直伝で教わりたかったけど、今は聖地グレノアと共に、時空の狭間にいる。せめて残された文献からでも、学べたらと思ったんだ」 「ディアナ妃といえば、あのラフィンは息子だけあって、相当の術者に違いない……まぁ、生きていればの話だが。あの大戦の混乱で、シャルルとラフィンは行方がわからなくなった。遺体が見つからなかったから、生きている可能性はまだ充分ある。しかしその場合は、敵に拉致されたということが考えられる。捕まって殺されたか、捕虜のままか……いずれにしても、真相は敵の方を探るしか知ることはできない」 「姉さんはそれを調べる為に、向こうに行ったんだろ?…僕はその時、父さんとサウスフィガロに行っていたから、後から聞いたんだけど…。父さんは反対してたのに、姉さんはきかなかったそうだね」 「俺も強く止めたんだよ。でもリメルの意志は堅かった。やっぱり『血』だな、あれは…。タウラス公がああいう人だしな…」 ジェイは俯いて苦笑した。 父であるタウラスが、今のエトルリア軍にとってどんな存在か…フランドル領主でありながら、先代の唯一の生き残りとしてエトルリア再建の為に尽くす姿は、他の者から見れば尊敬と厚い人望を持つ優秀な指揮官ではあったが、同時に息子である自分から見て『父親らしくない父親』だった。 姉が生まれた時も自分が生まれた時も、父は母の側にはいなかった。当時の混乱した状勢を考えれば、ブレイザー帝亡き後、父がエトルリア軍をまとめ上げるしかなかったわけで、一領土内の出来事に構っていられなかったのはよく分かる。 レプレオンに駐在したまま不在が多い父のことを、母はよく『仕方ない』と言った。 父が不在のフランドルが安全というわけでは決してない。むしろ、レプレオンより敵の領土に近いフランドルの方が、地理的に敵の侵攻を受けやすい。それでも父はレプレオンを優先にした。 武術の稽古も学問を学ぶ時も、多忙を極めていた父から直に教わることは皆無に等しかった。母は自分では教えられないことは、できる限り手を尽くして優秀な教師を自分達の教育係に付けた。そんな生活が数年続き、もともと病弱だった母は、父の不在を補う為の慣れない政治と外交に身体を壊し、やがて他界した。その母の最期ですら、父は立ち会わなかった。 恨んでいるわけではない。母は父が背負ったものがどれほどのものなのかを分かっていたからこそ、無理を通し続けた。姉に対しても自分に対しても、父の後を引き継ぐに相応しい人間になるようにと、常日頃から言っていた母…ただ、姉のリメルまでもが自分の元から居なくなってしまったことが、今のジェイをやり場のない想いにさせているのは確かだった。 しばしの沈黙……それぞれの思いが交差する中、ジェイは何か決心したようにカイの瞳を見据えた。 「カイ、僕は行くよ、やっぱり待てないよ……儀式が済むまでなんて、とても待てない。ただでさえ一年も経っているんだ、やっぱり姉さんの身に何か起こったに違いない。…姉さんだって、ミレトスの血を引いている人間なんだよ、よほどのことが無い限り…」 ジェイは最悪の事態を否定しようとする自分と、そう考えられずにいられない自分に葛藤し、苛立ちに拳を壁に叩き付けた。 「くそう…!こんな所でじっとしてても、始まらない!直ぐに城に戻って支度をしなきゃ!」 「ジェイ!?」 「カイ、父さんには上手く話しといてくれ。僕が言えば、止められるのが関の山だからね」 「ジェイ、待つんだ!」 カイの声は耳に入らず、既にその手は馬の手綱に掛かろうとしている。カイは行かせまいと後を追い、彼の肩を掴み、馬から引き離そうとした。ふいに肩を引かれバランスを崩したジェイは、そのまま反動で勢いよくカイを巻き添えにして後ろに倒れた。同時に驚いた馬は嘶き、集まっていた鳥達が一斉に飛び立った。一瞬の出来事に状況がわからず、ただ呆然としたままカイを下敷きにして動かない彼に、カイはひとこと言い捨てた。 「…早くどけ!」 しかしその声は届いていない。ジェイは放心状態で焦点が合わないのか、眼前に広がる空に鳥達が群れをなして飛んでゆくのを、ただ漠然と眺めている。 「どけと言ってるんだ!」 カイは自分の上に乗ったままで、なかなか動かないジェイに苛立ち、力で押し退けた。足腰を打った痛みで、彼はようやく正気に戻ったようだった。 「…まったく。言い出したら聞かないところは、リメルと同じだな。お前の気持ちは分かるが、あのデュロウの結界内に潜入するには、リメル以上の…つまり、術を使いこなせる人間でないと無理だ。それはお前自身が、一番良く分かっている筈だぞ!」 「だったら……だったら、どうしろというんだ?このまま姉さんを見殺しにするのか?」 ゆっくりと起き上がったジェイは、苛立ちを隠し切れずに、憤りをカイにぶつけて攻め寄る。その目は追いつめられたような、切実さを顕にしていた。それを見たカイは、何かに突き動かされるのを感じた。 「だったら、この俺が行こう。…リメルがこうなったのは、彼女を止められなかった俺にも非があるからな。それなら聞き分けてくれるか?」 「カイ…」 「お前は一人で城に帰って、タウラス公に『俺はカルミアスに急用で戻った』と伝えるんだ。分かったな?」 「だけど、カイは…!」 「いいから言う通りにしろ!……大丈夫、無茶はしないさ」 そう言うと、カイは何やら術を唱え始めた。 「カイ、ちょっと待って…!」 ジェイの足元から閃光が輪になって走り、光の輪が結界を張るように彼の全身を包むと、一瞬のうちにジェイは姿を消してしまった。 (悪く思わないでくれ、ジェイ…) レプレオンに無理矢理戻されたジェイの、憤慨顔が目に浮かぶ。彼の姿がこの場から無くなったのを見届けると、カイ自身もまた、エドガー離宮を後にした。 |