 | No.3293 昨日と今日の私 投稿者:magarinin 投稿日:2009/11/22(Sun) 16:56:07 [返信]
元大阪府人権協会にいたTさんご夫妻が遊びに来られ、昨夜は遅くまでおしゃべりしました。 彼は今、障がい者の雇用促進のために支援学校(養護学校)の高等部の生徒を雇用する意思のある企業とマッチさせるという仕事をされています。 (府教委の外郭団体に所属されているようです) 作業所だよりの最新号(明日アップ予定)を見せたら、うなっておられました。
両方の家族でスーパーで買い物をし、食べたいものを放り込んで食べる鍋料理をつついたのですが、彼は「鯛アラを食べたい」というので鍋に入れるわけにもいかず、私がアラ炊きにしました。 えらい喜んで食べてくれましてねえ、作業所で鰤大根などを作るけど美味しいかどうか彼らの評価がもう一つわからないのです。 しかし、Tさんが太鼓判を押してくれたので、どうやら人並みの味になっているようだと自信がもてました。
一泊してもらって、作業所のジャムがほしいとおっしゃるから作業所に行き、居眠り君の畑に犬の餌を届けに行ったら農業際をやっているというので、そこを覗いて駅まで送ってお別れしました。
今日はこれから1992〜3年に教えたヤンチャ坊主だった人たちが「先生飲もうよ」と誘ってくれているので出かけてきます。 しかしねえ、17年も前のこと・・・忘れていることが多いから、卒業アルバムや当時発行していた学級新聞を引っ張り出して予習する必要がありました。 朝刊・昼刊・夕刊などと一日に3枚、4枚と発行した学級新聞が今になって役に立っています。
明日は若山神社の紅葉祭り・・・モンを連れて覗きに行きます。 三連休、結構忙しく過ごしております。 |
|  | No.3294 恩師が生存しているありがたさ 半解居士 - 2009/11/22(Sun) 22:08:09 
タイトルにも書きましたが、終生忘れられないのは、机を共にした同級生。
それ以上に青春時代の一時期を、情熱を持って見守ってくれ、導いてくれた恩師です。
ボクの場合、小学校(3・4・5・6年)から良い先生に恵まれましたが、3年次に担任になった先生は、交通事故で亡くなりました。4年の時から女の先生で、5・6年の時の担任の先生は、任地が福岡市と離れてしまい、同窓会の組織も無い小学校でしたので、今はもう音信不通になってしまいました。
中学校時代の先生は、それぞれ学年毎に担任が変わり、最終学年の3年の時の担任も、今はもうこの世に居ません。
そして肝心の高校時代の先生、1年の時の先生は余りなじみが薄かったと言うか、もうかなりの年配でしたので、ボク等の中では先生と言う意識が薄くて、今は同窓生が集まっても話題にも上らない?一寸寂しい先生ですよね。
2年次に持ち上がりになる予定でしたが、ある事情のために担任を離れ、他のクラスに行ってしまいました。代わりに来たのが、今まで定時制を教えていた先生で、比較的若い先生でした。この先生とは学級中で良い意味ウマが会い、卒業後も交流があって、同窓会にもよく会いに行きました。
惜しくも癌で亡くなりましたが・・・
そういうわけで、現在親しくしてくださる恩師も居ません。 同窓会が、毎年行われるような大きな組織なのですが、退職されてもゲストとして招待される先生もおいでで、そんな先生を見ておると、矢張り一抹の寂しさを感じますね。
ボクも編み物の先生みたいな事を経験しているので、教育者の何たるかを少しは知っているつもりですが、親しく声をかけてくれる教え子は、矢張り宝ですよね。 |
|  | No.3295 Re: 昨日と今日の私 magarinin - 2009/11/23(Mon) 16:04:33
昨夜は28歳になる3人の男達と飲みました。 彼らを受け持っているとき、「私は65歳までに死ぬかもしれんぞ」と言っていたことを彼らは覚えていました。 70才になったことを告げると、逆算して「なるほど、それぐらいになったはるわなあ」なんて・・・
私が彼らに取って「良い先生」だったか考えると、全ての子どもにそのように評価されているかどうか自信は全くありません。 でも、ドラマのあるクラスで、私自身が楽しかった。
昨夜会いたいと言いだした人は、当時すごい肥満で「このまま行けば長生きできないよ」などと保健の先生に言われていました。 で、5年生の2学期と3学期、和歌山県に近い貝塚の養護学校肥満児学級(全寮制)に転校して、厳しい管理の下に身をおきました。 食べるものを制限して夜までクラブ活動で身体を動かし、見事に肥満を克服して帰ってきました。 土日に帰宅するたびに日記帳が私に届き、それを学級新聞に掲載して彼を孤立させないように心がけました。 3月20日、細くなって帰ってきた彼をクラス全員が一斉にクラッカーを鳴らして歓迎と祝福の気持ちを表しました。 そんなドラマ性のあるクラスだったから、昨夜も話が弾みました。 気分よく飲んでいたら・・・家に着いたら足元がふらついておりました。
「良い先生」だったかどうかは子どもの心にあるのでしょうね。 |
|  | No.3297 矢張り慕われる先生は・・・ 半解居士 - 2009/11/23(Mon) 20:51:37 
magarininさん とても良い話を窺い、ボクの場合の先生達と比べる事は、一寸不謹慎かもしれませんけど、羨ましいなあと思いました。
小学校1年の時の担任は、現在でも健在ですが、年賀状のやり取りくらいで、久しく会いません。ですが近場(隣村位の距離)ですので、いつでも会えるという安心感もあるのですけどね・・・。
この先生はボクがまだ健聴者(普通の健常者)だった頃、黒板に書いた字等をを示す為に、近くの笹薮から1本折り取ってきて、先生に渡した事があります。先生はとても喜んで、ボクを皆の前に立たせて、褒めてくれたんですね。
若い美しい先生でしたので、皆に慕われ(言うならば、24の瞳のあの先生みたいな感じでした)4〜5人の子が自分も褒めてもらおうと、同じ様な事をしました。
当時は自然を学習すると言う概念は持たなかったと思うのですが、先生は悲しい顔をされ、後から笹竹を持って来た者達とボクを皆の前で立たせ、「笹を取って、こんな風にムチ(?)を作ってくれるのは,先生、嬉しいけど、皆が皆真似して取ってしまったらどうするの、学校の周りに生えているのには訳があります。
雨が降ったら、土が流れて崖が崩れてしまいます。 良い事をした人は偉いけど、なぜ後先の事を考えないのですか」と言うような事を懇々と諭してくれました。
病気が癒えて、田川市に転居し、学校も復学時に2学年を重複履修しましたが、3年次に担任になってくれた先生は男の先生で、耳の悪いボクでも分け隔て無く健聴者と一緒に扱ってくれました。その時にはもう当時珍しかったコンパクトな真空管式でしたが、補聴器も出回っていましたので、それをつけて学習していました。
その男先生が、クラスの皆に「半解は(当時はまだ本名でしたけど^m^)これが耳やから、悪戯したらダメだぞ」と言ってくれた事で、クラスの皆も当たり前に接してくれたのですね。
中学校ではクラスの中でも上位5位(学年50位以内)に入る成績でしたが、担任になってくださった先生は、どなたも思い出深い先生で、今でも会えば懐かしく話してくださいます。(亡くなった3年の時の先生は、心豊かなお母さん=お袋より少し年上だったのですけどね)
高校時代の先生は、又稿を改めて・・・^m^)/ |
|  | No.3298 Re: 昨日と今日の私 magarinin - 2009/11/23(Mon) 21:33:33
やはり良い先生かどうかは子どもが決めるということ。 親がいくら誉めたって、子どもの心に残る事ができるかどうかですね。 半解さんの1年生の出来事は低学年の子にありがちな面白い話ですよ。
なんと言っても、一日の3分の1近くを一緒に過ごす学校の仲間や先生というのは大きな存在ですよね。 私もなるだけ元気で長生きしなくてはと、半解さんの文章に刺激されました。 |
|  | No.3299 昨日はありがとうございました 阿吽 - 2009/11/24(Tue) 00:36:06
昨日は夜遅くまで付き合っていただき、ありがとうございました。
夜な夜なパンツを洗っていたことをやんちゃ坊主に暴露された者です ^ ^。
僕たち3人、それぞれ17年間でいろいろな経験をし、今では立派なおっさんになってしまいました。
一方、先生は相変わらずお元気で、闘牛という趣味まで開眼したことを知り、安心を通り越して「すごい!」と思わず唸ってしまいました。
小学校の先生というのは、中学・高校と違って丸一日一緒にいるわけですから、子供に与える影響力は大きいと思います。
そして当時、先生が全力で僕たち生徒にぶつかってきてくれたことに、本当に感謝しています。
こんな感謝の言葉も含めて、たくさん話したいことがあったのに、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
また当時お世話になった他の先生方もご健在ということを知り、定年退職される前に自分の子供を受け持ってもらいたいなぁなんて、ちょっとした夢もいただきました。
そして余韻に浸りながらHPを拝見すると、まるで当時の学級新聞そのまんまの雰囲気に懐かしさと嬉しさが・・・。
HPを通じて先生の元気な姿を確かめられるとは、良い時代になったものですね。 これからまたこのHPを通じて勉強させてもらいます。
ちなみに家に帰った後、姉に「今日先生と飲んできてん」と言うと、「やっぱり下駄はいてきたん??」と返されました。
20年の時を経ても色あせない先生の姿、素敵ですね。
それでは、「さよか」と書かれないことを祈りつつ、失礼させていただきます。
これからもお体に気をつけて、下駄ではなく帽子をトレードマークにバリバリご活躍ください! |
|  | No.3300 Re: 昨日と今日の私 magarinin - 2009/11/24(Tue) 07:43:33
阿吽さん、ようこそのお越し・・・ありがとうございました。 君たちに向けて発行していた学級新聞名をハンドルネームにしてしまう鮮やかなお手並み、感服してしましたよ。 名刺を渡すことを忘れるぐらい楽しいひと時でした。 そしてわざわざ「島本障害者」で検索して来てくださったのですね、感謝します。
そう、あの頃は全力投球でした。 その理由は簡単です。 私よりも後輩がどんどん出世していくのに、私はその道から外れてしまい、若い先生たちと教室に立つことへの緊張感でした。 後ろ指を刺されるようなみっともない教育実践はできないでしょう。 君たちに毎日日記を書かせて必ず赤ペンで私もコメントを書き、面白いのがあるとコピーして帰って翌朝の学級新聞に掲載し、話し合いをする・・・学級集団作り・仲間作りに集中していました。 で、面白くもなんともない日記には、大量の日記を読破しなければならないから「さよか」の一言ですませてしまったのでした。 君たちの間では「さよか日記」と呼ばれ、なんとか嘲笑の元である「さよか」を避けたいものと努力してくれました。 やはりその努力は実を結んでいるのじゃないですか? 阿吽さんのこの文章は、軽いタッチで楽しく読めますもの。
当時は通勤でも、どこに行くのも気候の良い間は下駄履きでした。 サザエサンを読み返せば分かりますが、昭和30年頃までは下駄が普通の履物だったし、私は下駄の爽快感が今でも好きです。 ただし、初めのうち作業所にも下駄履きで行ったのですが、床が滑り易くてね、危険だから今は靴を履いています。 卒業記念アルバムにも下駄履きで写っていますから、私も相当こだわっていたものですねえ。
はい、「帽子」じゃなく「禿隠し」かぶって元気にやっていきたいと思っています。 できるだけ長く元気でいて、君たちのこれからを見て確かめる幸せを味わいたいものです。 来年夏、新しい人生のスタートですね・・・私も楽しみです。 |
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