田原睦夫
企業の立てなおし請負人 西の雄
たはら・むつお
出身
- 1943(S18)年4月23日生
- 京都府 / 京都大学 法学部卒(1967)
- 弁護士 (大阪弁護士会) [得意分野:倒産・会社再生]
- 全国倒産処理弁護士ネットワーク理事長
略歴
- 1969(S44)【26歳】 司法修習修了(21期) / 弁護士登録
- そのころ提訴された、騒音公害「大阪国際空港訴訟」の弁護団に加入
- 1988(S63)【45歳】 近畿弁護士会連合会 理事
- 1988(S63)【45歳】 仕手集団とされた不動産業「コスモポリタン」破産管財人
- 1990(H2)【47歳】 法制審議会 民事訴訟法部会 幹事(-1996)
- 1992(H4)【49歳】 油圧シリンダー・産業用ロボットメーカー「太陽鉄工」更生管財人
- 1992(H4)【49歳】 イトマン事件 主任弁護人
- 1993(H5)【50歳】 近畿弁護士会連合会 理事
- 1995(H7)【52歳】 最高裁 民事規則制定諮問委員会 幹事・委員
- 1996(H8)【53歳】 法制審議会 倒産法部会 委員
- 1996(H8)【53歳】 旧住専の大口融資先として知られた「末野興産」破産管財人
- 1997(H9)【54歳】 京都大学大学院 法学研究科 講師・客員教授(-1999)
- 2001(H13)【58歳】 詐欺事件を起こした抵当証券会社「大和都市管財」整理管理人・管財人
- 2002(H14)【59歳】 大手ゴルフ場開発・運営会社「スポーツ振興」更生管財人
- 2002(H14)【59歳】 「ダイエー企業再建ファンド」アドバイザー(-2003)
- 2004(H16)【61歳】 旅客運送事業「京都交通」更生管財人
- 2006(H18)【63歳】 最高裁判所 判事 (第三小法廷)
過去のおもな業績・発言
- イトマン事件主任弁護人として、イトマン社の吸収合併が決まったことを受けて
- 「イトマンがなくなっても弁護方針が変わることもないし、公判に影響が及ぶこともないと思う。両社とも総合商社への脱皮を目指していたのだから事件がM&A(企業合併)のきっかけになったともいえるのでは」と話した。(読売新聞 1992/09/19朝)
- 約6000億円の負債を抱えていた末野興産の破産管財人に就任
- 家主が代わるテナントからは「これでしっかり管理してくれるようになる」と、心配より安どの声が出る皮肉な結末となった。 破産宣告後の会見で、管財人に選任された田原睦夫弁護士らは「テナントには保証金を返還するし、営繕も従来通りに行う」ことを強調。「安心して営業を続けてほしい」と話した。(読売新聞・大阪 1996/11/19朝)
- 2012年の完了をめどにしていた、工作機械メーカー「太陽鉄工」の経営再建が、11年の前倒しで早々に実現して
- 五十一の金融機関に対して、残っていた債務約百三十億円を、三月末に前倒しで一括返済したためで、田原管財人は「十一年分もの債務を一括で繰り上げ弁済したのは、バブル期を除き例がないのではないか」としている。返済の原資には、五つの工場を閉鎖、売却した資金と、主力行の大和銀行からの新規借入金約二十七億円などをあてた。(読売新聞・大阪 2001/04/04朝)
- 被害者1万7千人の巨額詐欺事件を起こした「大和都市管財」の会社整理作業が難航
- 「関係書類が段ボール箱六百三十個分と膨大で、全ぼうはまだ分からない。まず金の流れや隠し資産がないかを解明していきたい」(読売新聞・大阪 2001/05/03朝)
- 整理管理人団が保全した資産は、抵当証券の担保不動産を含め約七十七億円。顧客の債権額の7%に過ぎず、整理管理人の田原睦夫弁護士は「公認会計士らプロ集団が必死になっても全体像が見えない」と話す。(読売新聞・大阪 2001/12/19朝)
- 京都交通の更生管財人に就任
- 田原管財人は「地域公共交通機関として生活の足を確保するため、バス事業を円滑に継続しながら、事業再建を達成したい」とのコメントを出した。(読売新聞・大阪 2004/02/01朝)
- 京都交通の路線バス事業を、日本交通や京阪バスの各子会社に営業譲渡し、ほとんどすべての従業員を再雇用してもらうことを発表。 すでに観光バス事業からの撤退が決まっており、京都交通の実質的な事業が無くなることを受けて
- 田原弁護士は「新たな経営者を探したが、現れなかった。実績のあるバス会社に事業を行ってもらう方がいいと考え、営業譲渡した」と説明。(読売新聞・大阪 2005/04/26朝)
おもな持論
- 読売新聞「顔」欄 (2006/11/02朝)
- 「どの弁護士も手を出さない事件ばかり引き受けた」と苦笑する。
- 法理論を駆使するより「生の事実の手触り」を求めて、弁護士に。中でも、債権者と向き合う管財人の仕事の緊張感にひかれた。倒産企業の近くに部屋を借り、握り飯を手に深夜まで会議を続けて、昼は支店や工場を歩いた。
- 13年前に倒産し、再建を果たしたメーカーを最近訪ねると、作業員たちが懐かしそうに駆け寄ってきた。「彼らの生活を守れたと思うと、うれしかった」
最高裁判事になっての抱負
- 就任会見にて
- 「責任の重さを肌身で感じているが、37年間の弁護士生活で培った知識と経験を生かしていきたい」と抱負を語った。
- 死刑事件の審理については「法の名で人を裁く以上、被告の全人生を検証するという自覚が不可欠」と語った。(以上、毎日新聞)
- 「世の中の変化が激しく、立法ラッシュだ。(新たな法律を)どのような場合に適用すべきかについて、最高裁は最終判断を求められる。その重さを感じている」とやや緊張した表情で話した。(時事通信)
- インタビューにて
- 裁判官になれば、書類の山との格闘に追われる。人と会う時間が減るのはつらいが、昨年来、高利貸し付けを否定する判決で債務者救済に道を開き、行政を相手に争える機会を拡大した最高裁に、「変化を感じている」という。
- 誰もが立ち直りのチャンスをつかめる社会を、待ち望んできた。判例を通じて世の中を変えられる立場となることに、「職責は重い」と、口元を引き締める。(読売新聞「顔」欄 2006/11/02朝)
裁判員制度についての考え
プライベートの横顔
- 読売新聞「顔」欄 (2006/11/02朝)
時には世俗の喧騒(けんそう)を忘れようと、20年以上にわたって夏の北アルプスの険路に挑んでいる。「山小屋で自分の地位を語る人はいない。そこが魅力」。