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| 作曲家名鑑 |
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サティ [1866-1925] (フランス) |
近代フランスの革新的作曲家。印象主義音楽の発生の基礎となった非伝統的和声法、新古典派の先駆となる素材としての古典的楽句使用、ミニマルミュージックや環境音楽の先祖のような果てしない繰り返し、拍子記号・調性記号を放棄したり絵を用いた自由な記譜法、プリペアードピアノの発案、ドイツ的な動機展開の放棄など、同世代及び後年の作曲家に対する影響は非常に幅広い。ただし一般的には「3つのジムノペディ」等の比較的初期のPf小品ばかりが有名。(→Wikipedia) |
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サン=サーンス [1835-1921] (フランス) |
多方面で活躍した19世紀フランスを代表する作曲家。(→Wikipedia) |
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シェーンベルク [1874-1951] (ドイツ・オーストリア) |
12音技法の創始者として新ウィーン楽派を形成。一般人にとって無調の「現代音楽」のイメージを確立した作曲家であるとも言える。「浄夜」など室内楽を含めた小さい編成の作品に有名曲が多い。(→Wikipedia) |
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シェック [1886-1957] (スイス) |
プゾーニ、レーガーに学んだスイス人作曲家。遅れてきたロマン派。歌曲作品多数。(→Wikipedia) |
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ジェミニアーニ [1687-1762] (イタリア) |
イタリアに生まれ英国他で活躍した、ヘンデルと同世代の作曲家、ヴァイオリニスト。技巧をこらしたVn曲で有名。合奏曲としてはVaを加えて弦楽四重奏をソリスト群として置いたタイプの合奏協奏曲の創始者としても知られる。(→Wikipedia) |
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シッケレ [1935-] (米国) |
「P.D.Q.バッハ」ブランドの冗談音楽作家として知られるが、ジュリアードで教えていたこともあり、正統派の作曲者・編曲者としてもそれなりに有名。映画音楽なども書いている。(→Wikipedia) |
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シベリウス [1865-1957] (フィンランド) |
フィンランド国民音楽の巨人。長命だが、晩年はほとんど作品を発表しなかった。若い時代にヴァイオリニスト志望だったこともあり弦を扱った楽曲も多いが、なぜかいずれもあまり弾きやすくない。(→Wikipedia) |
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シマノフスキ [1882-1937] (ポーランド) |
ポーランド近代音楽の最初の偉人。後期ロマン派、印象派等の影響下から次第に民族音楽に向かった。(→Wikipedia) |
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シャミナーデ [1857-1944] (フランス) |
女流としては最も広く知られた作曲家の一人。ピアノ曲、歌曲等のいわゆるサロン音楽を中心に400を越す楽曲を書いた。フランス人だが、存命中は自作自演するピアニストとして英国、米国でも幅広い人気を博した。(→Wikipedia) |
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シューベルト [1797-1828] (ドイツ・オーストリア) |
ドイツロマン派の歌曲王。自らよく演奏した室内楽分野でも「鱒」「死と乙女」など多くの傑作を残す。(→Wikipedia) |
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シューマン(クララ) [1819-1896] (ドイツ・オーストリア) |
シューマンの妻にして、当時の欧州で広く名を知られていた大ピアニスト。作曲家としてもピアノを使った作品が多い。 夫の死後はブラームスとの交友でも有名。(→Wikipedia) |
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シューマン(ロベルト) [1810-1856] (ドイツ・オーストリア) |
初期のドイツロマン派を代表する作曲家。(→Wikipedia) |
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シュトラウス(ヨハン二世) [1825-1899] (ドイツ・オーストリア) |
「美しく青きドナウ」他、幾多の名曲で知られるワルツ王。(→Wikipedia) |
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シュトラウス(リヒャルト) [1864-1949] (ドイツ・オーストリア) |
ワーグナーの音響世界を引き継いだドイツロマン派の最後の大作曲家。「ツァラトストラはかく語りき」など、交響詩と歌劇に有名作多数。(→Wikipedia) |
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シュニトケ [1934-1998] (ロシア・ソ連) |
ソ連でショスタコーヴィチを継ぐ者として名を成した後、晩年の十数年間に突如として西側でもブレイクした作曲家。さまざまな既存の音楽素材・スタイルを臆面無く並べるその作風(「多様式」あるいは「複合主義」と称される)は、ある意味で非常に聴きやすく弾きやすい作品群として結実し、現代音楽の作曲家の中では例外的に高い演奏頻度を誇っている。(→Wikipedia) |
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シュポア [1784-1859] (ドイツ・オーストリア) |
ヴァイオリニストでドイツロマン派の作曲家。それなりに楽しめる室内楽を多数残す。(→Wikipedia) |
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シュミット(フランツ) [1874-1939] (ドイツ・オーストリア) |
スロヴァキアにてドイツ人の父とスロヴァキア人の母の間に生まれたが、音楽の才能を見込んだ両親がウィーンに引っ越し、以後オーストリアで指揮者、作曲家として活躍。特に、ナチ台頭後はオーストリアを代表する作曲家として死ぬまで遇された。作風は師であるブルックナーゆずりの後期ロマン派どっぷりのもの。(→Wikipedia) |
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シュミット(フローラン) [1870-1958] (フランス) |
パリ音楽院でマスネー、フォーレ他に学ぶ。 非常に長命だが、ロマン派・印象派の伝統的な枠内で個性を発揮した。(→Wikipedia) |
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シュルホフ [1894-1942] (チェコ・スロバキア) |
ナチのユダヤ人収容所で亡くなったチェコ人作曲家。作風も作品ジャンルも非常に多彩。(→Wikipedia) |
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ショーソン [1855-1899] (フランス) |
一連の歌曲とVn曲「詩曲」が有名なフランス近代の作曲家。(→Wikipedia) |
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ショスタコーヴィチ [1906-1975] (ロシア・ソ連) |
20世紀ソヴィエト連邦を代表する大作曲家。15曲ある弦楽四重奏曲は20世紀の古典として音楽史に刻まれている。(→Wikipedia) |
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ショパン [1810-1849] (ポーランド) |
ピアノ曲の帝王。英雄ポロネーズ、別れの曲、子犬のワルツ、幻想即興曲など、超のつく有名曲を数多く書いたというだけにとどまらず、後世の作曲家への影響という意味でもロマン派最大の人物の一人。(→Wikipedia) |
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ジョリヴェ [1905-1974] (フランス) |
20世紀フランスを代表する作曲家の一人。美術的センスにも優れ、原始的な力強さ、エキゾチシズムなどを特徴とする音楽を書いた。楽器編成面では、打楽器とフルートに対する好みが顕著で、両楽器の奏者にはよく名前を知られている存在。(→Wikipedia) |
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スヴェンセン [1840-1911] (ノルウェー) |
グリークとほぼ同時代のノルウェーの作曲家、指揮者。管弦楽作品が多い。(→Wikipedia) |
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スーク [1874-1935] (チェコ・スロバキア) |
ドヴォルザークの弟子で娘婿。師の死後チェコ楽壇で指導的な役割を果たす。 ヴァイオリニストとして有名なスークは孫。(→Wikipedia) |
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ズガンバーティ [1841-1914] (イタリア) |
リスト門下のイタリア人ピアニスト。ワーグナー、ベートーヴェン等のドイツ音楽に強く影響を受けた。(→Wikipedia) |
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スクリャービン [1872-1915] (ロシア・ソ連) |
ショパン影響下のピアノ作品からスタートし、次第に神秘主義を標榜したユニークな音列や和声により独自の方法で無調に近づいたロシアの作曲家。(→Wikipedia) |
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ストラヴィンスキー [1882-1971] (ロシア・ソ連) |
初期の「火の鳥」「ペトルーシカ」「春の祭典」の三大バレエで有名だが、 その後も作風を変えながら音楽界をリードした20世紀の巨匠。(→Wikipedia) |
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スメタナ [1824-1884] (チェコ・スロバキア) |
チェコ国民楽派の開祖。自身はヴィオラを弾いた。(→Wikipedia) |
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セロツキ [1922-1981] (ポーランド) |
第二次大戦後のポーランド楽壇をリードした作曲家の一人。作風はさまざまに変遷したが、おかげで気楽に聴ける音楽も残している。ポーランドを代表する現代音楽祭「ワルシャワの秋」の発起メンバーでもある。(→Wikipedia) |
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