未来のために
2011/11/05
先日、多くの友人達と共に稲刈りをいたしました。機械を使っての稲刈りだと、機械で刈れるところは人が稲を刈ることはないでしょうね。。機械が無くても、人が力を合わせることで、お米だって人力で育てることは出来るし、一緒に一つのことをするっていいですね。まだ、出会って1年も経ってないのに、もう、ずっと前からの友人のようになっている。昔ながらの家づくりではなかなか共同作業というのは少ないけれど、機械を使わない手植え手刈りのお米作りでは、すべてのところでみんなと一緒に出来るというのがいいですね。今回も新しい人との出会いがあり、人の御縁がまた何よりの収穫ですね。僕達のお米作りでは、機械も、お金も使いません。
なんでこんなことをしていると思いますか?

機械の無い、お金の無い人でも、親が農家でなくても自給用であれば誰でもがお米作りができるんだよと、いうことを知ってもらいたくて。昔ながらの家づくりでも同じなんです。今の時代に100年、200年使っていける地球に優しい家づくりが出来るんだよということを知ってもらいたくて。そう、家づくりもお米作りもそこは同じなんです。お米作りも自然に寄り添って、人が助け合って喜びも分かち合ってというお米作りなら、100年、200年後も続けていけることでしょう。(未来の人たちに豊かな自然を残していくことにも繋がっていくことでしょう。)

今のこの世は貧富の格差がかなりありますが、自然はどんな人でも、平等に扱ってくれます。今の社会は生きていくのにお金が多少は必要ですが、僕達のお米作りでは苗も買ってませんし、農薬も除草剤も化学肥料も有機肥料と言われる肥料も入れてません。そのかわり水は山からくる山水です。機械を使わずとも自然と共にあれば、自分達が生きていくための食べ物は、自然を生かしてあげれば、自然が与えてくれるんですね。自然はなんとありがたいことか。無償ですべて与えてくれているんです。

今、話題になっているTPP。
みなさんはTPPが私達のくらしにどのような影響があるかを認識していますか?政府は中国の富裕層向けに将来100万トンの米を輸出するという構想を進めているようです。そして、私達の主食であるお米の生産は1割に減少するというのが農林水産庁の試算だそうです。

1割ですよ!!1割!!
9割は無くなるといっているんですよ。これがどういうことかわかりますよね?

しかも、その1割という量は100万トン弱になるそうです。ということは、私達の主食はすべて外国に依存するといっているのです。なぜ、そんなことになるのか?
一人一人の生き方の問題に、意識の問題に繋がってきているのです。まず、お金というものさしであらゆるものを見ているというのが一番大きいのではと思います。男性の意識の中にお金を稼いで家族を養っていくという強い強い思い込みを持っていませんか?それは、子供の時から親にいい会社に就職してとか、つぶれないであろう公務員になってとか。女性から男性にというのは、結婚するんだったら、これぐらいの稼ぎがないと無理とか。そのような内容のことをメディアを通して長い年月思い込まされてきたという現実があると思います。

男性の役割・女性の役割ってなんだと思いますか?

根本的に男性はこの世界を積極的に良くしていくエネルギー体だと僕は思っているんです。
女性はやはり母性をもってすべてを育んでいくエネルギー体だと思うんです。
ひとりひとりの役割は様々ではあると思いますが、男性には男性の役割、女性には女性の役割があって、それぞれがよりよい社会になっていくように力を合わせていくのが今、求められる時になっているのかなと。

話を元に戻して、TPPに参加すれば、これからの時代お金を稼ごうとしても、一部の人を除いて多くの人がお金を稼げない時代がくることでしょう。お金が稼げない状況になっても、政府は借金があるというのを口実に、これからもどんどん増税してくるでしょう。多くの人と同じように働かずしてお金を手にしている一部の人のために、その他の人々は奴隷のようになっていくでしょう。自動的に。そして、多くの庶民は必然的に食にかけれるお金も減少していくこととなりますが、米農家の100万トンの生産者は、国の方針に沿って少し国の補助を得ながら大規模農業に移行していった農家ということになるのでしょうか。その農家の方も大規模農業に移行していくにしたがって大型機械の購入・維持、大規模になればなるほど、大きい倉庫も必要となってくるでしょう。大規模農業には化学肥料、除草剤、農薬などがセットでもれなくついてくるとおもわれますので、そのようなさまざまな必要経費がいるために、品質はかなり低下しているにもかかわらず、低コストのお米にはならないでしょう。なので中国の富裕層向けなんですかね。今、農を支えてくれている多くの人はかなり高齢化しています。僕が工房を借りている集落の総代さんも、現実として猪、鹿、猿の被害もあり、TPPが無くてもたんぼを続けていけるのももって3年。5年後にはかなりの人がやめているという認識をもたれています。
それに加えてTPPです。TPPの影響が及んでくれば、加速度的に今の農は崩壊していくことになるでしょう。

みなさんは何のためにお金を稼ぐのでしょうか?安心して生きていくため、家族と共に豊かに過ごすひと時のために、命をつないでいくためにお金を稼いでいるんですよね。現実にはお金を稼いでも、この日本でお金では安心は買えなくなろうとしています。(現実に今もお金だけでは安心は買えないのですけどね。)
この世に起こる事すべてに意味があると僕は思っています。じゃあ、こんなひどい状況になぜ、なっているのか?そこを、一人一人がきちんと見つめるために、そこに学ばないといけないことがあるから、このような事象が起こってきているのだと思います。今の農のありようもおかしいところがあるから、無くなっていくというところも多分にあるとは思います。そう、自然界(至善界はよりよくなる世界。)の中には自然淘汰というのがありますよね。それが今起こっているのです。この世がよりよくなるために今の社会のおかしいところは淘汰されていきます。今の農業もその一つだとは思います。TPPがなくても、いずれ今の農業は自然に淘汰される運命ではあると思いますが、それがTPPによって一段と加速されるのだと認識しています。(TPP参加による一例で農を取り上げただけで、他の分野もかなり影響が出てきますので今のままでは庶民はどんどん生きづらくなるのは確実です。)

そんな時自然とともに、手を取り合って生きていく仲間がいるっていいなあと思いませんか?お金で繋がる関係ではなく、循環していく豊かな未来にするために自分達が動いて実践している友。農にしても住いにしても身につけた知恵は、お金を稼ぐ手段だけではなく、自分達が自立して生きていくための術。みんなが豊かに生きていくための術。出来れば、そんな仲間達と近くに集って暮らすことができれば、より様々なことが実現してくるでしょうね。そんな場も少しづつ実現に向けて歩んでいます。

家づくり塾「化学物質って、過敏症って、なんだろう?」お話し会
2011/11/01
家づくり塾「化学物質って、過敏症って、なんだろう?」お話し会

先日、「化学物質って、過敏症って、なんだろう?」のお話し会をしました。あいにくのお天気でしたが、思っていたより多くの方々に参加していただき、一人でも多くの方に、化学物質は本当に危険なんだという事実を知っていただけたのではと思います。

公園の一角の東屋でのお話会。始まる前に二人の二十歳くらいの若い女性がその東屋で雨宿りをしていたんです。彼女達は自分達が発している化学物質にはぜんぜん意識をしていないと思いますが、化学物質過敏症になっていない僕でも息を止めたくなるくらいきつい臭い(おそらく化粧品の香料?)を発しています。これが現実ですから過敏症の方々は街中では、安心して呼吸もできないのが現実だと思います。

化学物質過敏症の日野みなさん、このお話会をすることで、何日か寝込むことも覚悟の上で、一般の方々に化学物質過敏症のことを知ってもらって、自分と同じようにならないように日々の暮らしを今一度見直してほしいと訴えられておりました。自分も今の多くの方々と同じ暮らしをしていた普通の人なのです。特別な人だけが発症するのではないんですよと。(少し具体的な内容はAASTUDIO日記にて)

普通の病気と言われるさまざまな病気は一人一人の日々の選択の積み重ねでの発症が多いと思いますが、
化学物質過敏症に関しては、化学物質に無頓着に暮らしていれば暮らしているほど、発症の可能性が高くなる。そして、空気、水、食べ物、衣服、住まいなど、安全と思っているものが危険なわけですから・・・。
今大問題の放射性物質。放射性物質を放出し続けている東京電力。放射能に関しては政府、東京電力が加害者、その他多くの国民は被害者という構図だとおもいますが、こと化学物質に関しては今の社会を生きるほとんどの人が被害者になる可能性もありますが、加害者でもあるという現実があります。
また、原子力発電は非常に問題の多い核廃棄物が出てきます。あとの処理を未来世代へ残しています。原料であるウランの採掘も現場で働く労働者を被爆させながら採掘をしています。原子力発電所の建築物も普通の建築物より寿命は短く、日本では40年程で使えなくなると・・・。そうすると、いずれその建築物を解体する時が訪れるのですが、高濃度に汚染された所は誰も触ることさえできなくて、これも未来世代へ残していくことになるのでしょう。自分達の楽で便利な暮らしを支えるために、ウランを採掘してくれている労働者、日本に生まれてくるであろう未来の人々の犠牲の上に今の私達の暮らしがあるのです。化学物質化敏症の構図も全く同じ。今の時代の大量生産・大量消費は化学物質があって初めて成立しています。また、大量生産は物・人・命の使い捨て社会なのです。自分は利益を享受し、厳しい見方かもしれませんが、まわりにそれが原因で苦しんでいる人がいても、自分に原因があるとは認識されていないのが今の時代。

今の時代の現実として、
車に乗らない人、使わない人がどれだけ居るでしょうか?
農業をされている方で、化学物質を全く使わない農家がどれだけいるでしょうか?
多くの人が住居に住んでいると思いますが、化学物質を使っていない住まいがどれだけあるでしょうか?
今を生きる人の着ている衣料品で化学物質に汚染されていない衣料品がどれだけあるでしょうか?
多くの人が病気になればお医者さんに掛かると思いますが、化学物質でない薬を薦めるお医者さんがどれだけいるでしょうか?
日々の暮らしで、洗濯、食器洗い、お風呂などで、洗剤、石鹸を使わない人がどれだけ居るでしょうか?

僕も多少なりとも化学物質に体が反応します。僕の実家の仕事が店舗改装の仕事をしており、その仕事場の2階で生活をしていましたので、今思えば、その時の合板、接着剤、塗料などに含まれる揮発性の化学物質の被爆がごく日常的にあったのだと思います。社会に出てからは設計の仕事に携わっていた事もあって、シックハウス症候群、化学物質化敏症については15年くらい前に本からの知識としてはもっていたんです。でもその時はまだ身に沁みてないんですね。食事にしても、暮らしにしても、ぜんぜん意識せずに暮らしていましたからね。バブル景気が崩壊した後とはいえ、今と比べると仕事量はまだまだ多かった時代。社会人若葉マークのその頃は20代。仕事を覚えることに精一杯な時代です。

その結果が今の現状なのです。本当にこのままでいいのでしょうか?化学物質にしても、電気にしても、あれば便利だけど、命に危険を冒してまで必要でしょうか?なにごとも同じだと思いますが、国や行政や大企業を変えることではなくて、自分が変わることなんだと思うんです。一人一人の暮らし方、お金の使い方、自分の携わっている仕事で、どんなことをしているかは、自分自身が一番良く理解していると思います。どこで、どう働いてどんな暮らしをするかを一つ一つ決めているのは、紛れも無く国や行政や大企業ではなく自分なのです。だから、自分の生き方が社会をつくっているということ。
様々なところで問題だらけなのは、自分自身が問題になるような生き方をしているということだと・・・。

僕達、健常者といわれる人たちの暮らしが生き方が変わらないと、過敏症の方々が安心して生きていく場がないのが現実なのです。明日のわが身なんですよ。明日のわが身ということは、今、過敏症で苦しんでおられるあなたは、明日のわたしの姿なんです。あなたの苦しみは私の苦しみなんです。
放射能も同じですが、多くの人が毎日化学物質の被爆を続けている現実がありますからね。明日、1ヶ月後発症する可能性だってあるのです。経験してみないと分からないと多くの人は言われるかもしれませんが、それでは手遅れなんです。
もし、あなたが化学物質過敏症を発症したとします。
化学物質化敏症と診断できるお医者さんは日本には数えるくらいしかおりません。そりゃそうでしょう薬・麻酔・点滴・消毒さまざまな化学物質で自分の仕事が成り立っているんです。
それが問題ありって認識して化学物質を使わないと決断したお医者さんがいたとしましょう。でも、おそらくそのお医者さんの収入は今の制度では激減するでしょうし、もしいたとしても、これだけありとあらゆるところに蔓延してしまっている化学物質のどの化学物質に反応しているかなんて、過敏症を発症した本人じゃないと分からないと思うんです。(本人ですら特定はかなり難しいのが現実)原因が分からないままの医療行為なんてありえないと思うんですね僕は。
まして重度になってくると、木材などの自然素材にも反応し始めます。そんな病気をお医者さんがどうやって治療できますか?元の原因が多くの人の暮らしや仕事に原因があるんです。問題が起こったとき、根本の原因を直さない限り、直しようがないではありませんか?

一人一人の暮らしの中で改善できるところは本当にたくさんあります。僕たちの携わる家づくりにおいても、改善できるところは山のようにあります。農のところでも、改善できるところは山のようにあります。
3年後、5年後、10年後に発症しますというのではないのです。

みんなが安心して息が出来る、安心して食べ物が食べれる、安心して生きれる。川の生き物達、海の生き物達、生きとし生けるものすべてが安心して豊かに生きれる地球にしていきたい。これって別に特別なことではないですよね。安心して生きれる地球に戻していきたい。そのためには、今を生きる人の生き方に未来が掛かっているんです。小さな川の生き物、土の中の生き物、目に見えない微生物といわれる生き物たち、未来に生まれてくるであろう命にも、今を生きる私達の暮らしが生き方が今を変え、未来をつくっていくんです。希望ある未来はお金を得ることでも、お金を貯めることでもありません。

すべての命を活かすこと。これって本当は最低限のマナーのような気がするのですが・・・。

自然界は解っている。。
2011/07/02
久しぶりのひとりごと。

今年で2度目のお米作り。
そう、まだ、たった2回目なのに・・・。
昨年の夏から秋にかけては、私達の借りている田んぼの上にたくさんの赤とんぼが舞い、今年の田植え後の雨の田んぼにはたくさんのツバメが舞っています。近所のほぼすべての田んぼや畑でこのような光景を見ることはできません。

これは、何を意味するのでしょう?

かれらの共通点、空中で虫を捕まえて生きているということ。そう、私達の身近な多くの田んぼや畑には小さな命すらも生きることが許されない環境になっているということ。中国の農産物は農薬がかかっていて安心できないって思われているのでしょうが、とんぼやツバメが捕まえる虫すら生存できない大地って、とんでもないってかんじしませんか?今の私達はそんなとんでもない大地で育てられた食べ物をいただいているんですよ。

自分で食べるものは自分で育みましょう!!
ついでに、多くの命が生きれる畑や田んぼを増やしましょう!!

今、地球上に生きる命がどんどん減っていっています。私達の暮らす身の回りの田んぼや畑、それから、川や海から命の気配がどんどん消えていっています。みなさんはお気づきでしょうか?
おわかりかと思いますが、地球の多くの命が生きれないということは、私達人という種も生きれないということです。今の社会が続けば子供達に未来はないということです。共に生きている命と一蓮托生なのです。今を生きる人の一人一人の行いの結果なのです。

私達の肉体にも同じことが言えます。地球とそこに生きる無数の命、肉体(自分)とそこに生きる無数の菌達。これは、まったく同じ関係性で出来上がっていて、地球を汚染すると、自分も汚染されていきます。それが、病気とか体の不具合とかいろいろと現れてきます。

良いも悪いも自分のしたことは自分に返ってくるってありますよね。まさにそれなんです。私はそんな体に良くないものを使ってないと思われるかもしれません。こんにちの日本の農の現場、食の現場で体が喜ぶもの、体の中の生き物達が喜ぶものがどれだけあるでしょうか?

アメリカがベトナム戦争で大量散布した枯葉剤。
ベトちゃんドクちゃんのことはご存知の方も多いはず。今日本の農の現場で使用される除草剤。濃度は違うものの中身は「枯葉剤」と同様の成分を有するものなのだそうです。大量に生産する農の現場、草の生えている田んぼ、草の生えている畑を見たことがありますか?自給用以外ではあまりないことと思います。大量生産をしている田んぼ・畑になぜ草が生えてないのか?よーく考えてみて下さい。そして、有機栽培なら安心という認識もあると思います。その有機栽培と言われている有機肥料の原料をしっかり見てください。
大量に大地に投入される今の日本の有機肥料はどんな肥料ですか?自然に放牧された牛の糞を、豚の糞を、放し飼いにされた鳥の糞を拾って肥料にしているのでしょうかね?

そして、すべての命を育むお水。その中に消毒という名目のもとに大量投入されている塩素。水道水の中に入れられる塩素。プールに入れられる塩素。温泉に入れられる塩素。浄化槽の放流する手前で入れられる塩素。下水処理施設で使われる塩素。食品売り場の鮮魚コーナーで使われる塩素。肉の加工場で使われる塩素。原子力発電所で使われる塩素。
すべての命を育む水の中に混ぜ込まれまれています。
自然界に返すときに塩素を除去していますか?
そんなことはあり得ないですよね。
この塩素という物質。塩素は強い毒性を持つ為、人類初の本格的な化学兵器として第一次世界大戦で使われたそうです。この毒がありとあらゆるところでばら撒かれる。
毒なら製造することも考えられないのに・・・。
濃度は違うものの同じ塩素!!
放射能といい化学物質といい、まさに日本は人間モルモット??
国(行政)や大企業が私達の命を守ってくれる??今の現実を見てください。現実がすべてです。
病院にしても同じです。ある重度な化学物質過敏症の方が言っていました。今の私達にとって何が一番危険かというと、『事故でも起こして麻酔をうたれることです。麻酔なんかされると私は死んでしまうでしょう。』と。実際の彼らの体に現れる症状を見たり、聞いたりしていると大袈裟でも何でもなく、それが現実のこととしてあるんだなと認識させられます。今の医療の現場も自然な薬を使っているのではなく、ほぼすべて、人工的に作り出された化け学物質なのです。

あと、体内濃縮というのがあります。
必要なものは吸収し、必要の無くなったものは排出されるというすばらしい能力が、私達の身体には備えられています。しかし、未知の物質が体に入ってきたときには、どうも体の中の生き物達もどう扱っていいものか困ってしまうのでしょうね。それじゃあ、わからないからおいて置きましょうという判断をするんでしょうね。その結果、排出されにくいものは、必然的に濃縮されていくことになりますよね。これだけ、自然界に毒がばら撒かれ続けると、正直、絶望的になってきます。

でも、神様はなんとにくいことをしてくれるんでしょうね。そんな排出されにくい物質を排出してくれるものもちゃんと用意してくれているんですね。それが何かを知っていますか?そう私達の主食であるお米なんです。でも白米ではだめなんです。玄米なんです。
その玄米をしっかり咀嚼していただいてみてください。後、今を生きる私達が先人達が築いてきた食の知恵を、自然と共に生きる暮らしを自分達の手に取り戻した時、未来が開かれるのかもしれません。


原子力発電(放射能)や化学物質がある今の暮らし、
便利の上に胡坐を掻いてきた今の私達。
私たち自身がそんな表裏のある便利さから自立するまで、地球に共に生きる小さな命を育めるような意識になるように、みんなで『すべてはひとつ』の意識を学ぶために、今の時があるのかもしれません。私達に残された時間はあまりありません。

ささやかな日々の営みの中で、小さな虫と、小さな菌とともに・・・。

新たな一歩。。
2011/01/12
きびしい畳表の現状。。何が、厳しいかって?
まだ、まともに織れる場所も定まってない現実の中ですが、現在、織機を置かしていただいている元タオル工場に買い手がついたのです。持ち主さんにとっては、10年以上待ってのご縁。無事に買い手がついてくれてよかったです。僕たちにとっても新たなステップへの縁。今まで無償にてお貸しいただきありがとうございました。また、新たなご縁がつながってゆくことでしょう。

それに加えて昨年暮れに備後の一番若手のい草農家さんが急逝されました。一番の若手といっても、御年67歳。。経験も実績もあり、備後表における第一人者。畳表といえば今の産地は国内では熊本県が大産地ですが、畳表の中で良い畳表はといえば、まず名前が上がるのが備後表なのです。い草栽培面積は1%でも品質は日本一の備後表といわれております。その備後表を支える一番若手の生産者さんだったんです。67歳で一番の若手という現実を知れば、い草栽培の未来が、備後畳の未来がどうなのかは誰にでも推測できると思います。残っている備後のい草農家さんは70歳台が中心、80歳近い方も居られるとのこと。そして、どの方も当然のように若者は後を引き継いでおりません。そう、ここもまったなしの崖っぷちに追い込まれているのが現実です。熊本県にもい草を栽培されている方は、まだまだいるんじゃないの?と、思われる方もいることでしょう。そう、まだ熊本県にはがんばって畳表を生産されている方はおられます。が・・・、
どうも、い草の品種が違うんです。そう、備後のい草は『せとなみ』という品種が主流で、そのい草で丁寧に織られるからこそ、耐久性があり、無垢の木が年月と共にだんだん風合いを増してくるのと同じく、丁寧に扱えば50年100年という年月と共に、だんだんと艶のある飴色に、黄金色に変わっていくそうです。

僕がこれから携わろうとしている畳表、いくら残したいと思っても、い草生産者の若手が70歳から上なんて現状では、この先が思いやられます。
そんなこともあり、真剣に考え始めています。そう、い草栽培。何年かかるかはわかりませんが、小さい面積からでもまずは始めないと、と思い始めています。田んぼも土地も倉庫も機械も道具も何にもない。あるのは鍬と鎌と自分の身一つ。どこまでできるかは全くわかりませんし、出来ないかもしれませんが、出来る範囲で動いていきたいと思います。一つ気にかかるのがお水。昨年、念願のお米作りを経験させていただいたのですが、お水に関しては厳しいものがあります。どのように決められているのかはわかりませんが、田んぼの横の水路に水が流されるのも、一般的な機械を使った慣行農法のお米作りにあわせて、私たちの知らないところで、決まった日から水が流され始め、決まった日に水が止められる現在の水のありようを経験した今となっては、晩秋から初冬にかけて行われるい草の田植えは、お米栽培とは正反対。果たして、一年を通してきれいなお水が使える田んぼを、借りることができるのでしょうか?まずは、小さな田んぼから考えています。

もし、私たちの望みを未来に繋いでくださる方がいらっしゃいましたら、微力な私たちではありますが、活動の場をどなたかご縁を繋いでいただけたらありがたいです。

い草栽培を自分がまず始めないとと思っている理由が2.3あります。それは、今のい草栽培は大量生産、大量消費型の栽培なのです。お米栽培で生計を立てようと思えば機械をそろえ、その機械を収める倉庫を構えるだけで、最低1000万円はかかるそうです。それプラス、維持費ということになってきます。今のい草栽培も似たような構図です。今は、畳表も中国から入ってきていますから、それだけ投資しても返済していけるだけの仕事量はまったく無いのが現実です。そんない草栽培の現状があるから、私たちみたいに土地もお金も無い若い人が、そんな一次産業になかなか入れない現実があります。でも、自分の身一つでなんとかやっていける道が見出せたら、若い世代も入ってこれるのです。

そして、やっぱりなんといっても安心して長く使える本物の畳を取り戻すこと。農の世界と同じく、い草栽培において現在は大量生産ですから、当然機械化されています。それが大地に対して環境に対して、どういうことを意味するのかといえば、大地の中の生態系が壊されていくのです。そして、大地にまかれたありとあらゆるケミカルは、すべての命の源、お水に溶け込み、地球の水を海を汚染していくことにつながっているのが現実です。そして、命の営みの無い死んだ大地に繋がるのが今の大規模農法のあり方のような気がします。多くのい草栽培では除草剤に始まり、化学肥料、有機肥料、農薬も使います。そんな私たち人間が人工的に生み出したケミカル(化学物質全般)の、大地への投入をしたくないのです。

すべての命が生かされ初めて私たちも生かされる、これが宇宙のしくみ。

シンプルでしょ。そんなしくみに寄り添ったい草栽培をしたいのです。みんな畳の上では横にゴロッと転がりたいでしょ。稲藁にしても、本当に安心できる稲藁に戻していきたいのです。

新年、明けましておめでとうございます。
2011/01/05
ひとり言の方もしばらくご無沙汰しておりますが、また、少しづつ書いていきますのでよろしくお願いいたします。

昨年は自然農での念願のお米づくりも無事収穫までこぎつけ、本当に安心できる稲藁で畳床まで作りたかったのですが、私たちの自給用のお米ではあまりにも量が少なく、昨年収穫分での畳床はまたの機会になりそうです。まだまだあきらめたわけではありませんけどね。また自然農のお米の藁を少し分けてもいいよ、という方もいらっしゃればご連絡くださいね。わかってはいたけど畳ってやはりかなりの藁が必要なんですね。

そして、畳表の方の状況は昨年の始めから、畳表の織機の製作をこれから愛媛の家づくりをリードしていくであろう、若き大工(小林建工の若き3人衆)さんたちにお願いいたしております。木の加工のところはほぼ9割以上は終了しているのですが、野鍛冶さんがいなくて製作中の織機はストップしている状況です。ある鍛冶屋さんにお願いしていたのですが、どうも目やお体の調子が今ひとつ。(近くに野鍛冶さん居られませんか?)そして、織機の小手という特殊なパーツがあるのですが、その小手を加工するのにも、もうだいぶ前から畳表の機(はた)大工さんは途絶えてしまってますので、その機大工さんが使っていたであろう道具も無いんです。今ある鋸では加工が出来ないんです。畳表織機の小手の加工用の鋸をつくるために鋸を作れる鍛冶屋さんを探さないといけません。そんななか、奇跡的に旧菊間町に鋸鍛冶職人さんがいらっしゃいました。その方は瓦の加工のときに欠かせない特殊なへらも作られております。今では、『このへらをつくっているのも自分ひとりになってしまった。』と仰られていました。この職人さんも御年80歳。跡継ぎさんはいらっしゃいません。僕とそんなご縁の鋸鍛冶職人さん。そして、年末に本格的な薪小屋を作ってくれた同世代の大工さんがなんと、鋸を目立てに出しているというではありませんか。そう、同じ職人さんだったんです。

ほとんどの大工さん、木を扱うかなり(100%ではないですが)の職人さんが鋸を製作しなくなっています。そう、替え刃式の使い捨ての鋸がかなり出回っています。なので、その鋸の刃を目立てる職人さんもいなくなっています。そんな昔ながらの職人さんがいてくれて初めて畳表も繋いでいけるということなんですね。
そんな職人さんが生きていけるか、僕が畳表を繋いでいけるかということも、僕自身は残していきたいという思いはありますが、鋸職人さん一人でも、僕一人でも、とてもじゃないけれど繋げません。

その時便利で安ければ使い捨てでいいという心なのか?それとも、多少不便だけれども、その時は高いかもしれないけれども、ごみを生み出さないように、手をいれ、修繕しながら、長く循環する方を選択する心なのか?今の状況になったのも一人一人の心の選択の結果なのです。

そして、今織機を置かしていただいている元タオル工場も買い手がついたみたいなので、新たな場に移らなければいけません。また、畳表が織れる工房を探しております。使ってもいいよという方がいらっしゃいましたら、お声をかけていただければ幸いです。

また、今年は家づくりの方も現場が動き出す予定でありますので、家づくり塾などの動きも出てくると思います。昨年はあっという間の一年でしたが静かな年。
今年は今から分かるほど動きのある年になりそうです。

家づくり一つ、お米を育てること、野菜を育てること、畳表をつくっていくこと、すべてが多くの人たちの、多くの生き物たちの支えあってこそ、また目に見えない御蔭様に支えられ、今の私たちは生かされております。自分自身は微力な私たちですが、一歩一歩歩んでいければと思います。本年もよろしくお願いいたします。

月とすっぽん part2
2010/10/15
収穫の秋がやってきましたね。
我が家の食糧事情も少しトンネルの先の光が見えてきました。今まで野菜の端境期でまわりの人達にお裾分けを頂いたりして、我が家の畑にお野菜がなくても、なんとかかんとか豊かな食生活を送らせて頂いております。今年の今治の夏は雨がほとんど降らず、夏野菜がほぼ8割方が実を付けることなく今を迎えております。お盆が過ぎてからの端境期でお野菜を2回程買いに行きましたかね。

昨日、我が家の里芋を初収穫してまいりました。一株で20個近くも子供をつけていました。子沢山な里芋さん。身体を温めてくれる里芋さん。これから寒くなる冬を乗り越えるのに神様が与えてくれた自然からの贈り物。松山の借家住まいの時は、食卓に上る食材がすべて、自分で収穫してきたり、お裾分けを頂いたりしたお野菜で彩られた時、豊かさを、ありがたさを感じ、喜びがこみ上げてきたものです。それと比べれば、今治に引っ越してきて、畑や田んぼを借りて農的暮らしを始めた今では、周りのサポートもあっての事ですが、それがほぼ毎日お野菜を買わなくても食卓が、豊かに彩られるのです。しかも、その素材のほとんどが自然農のお野菜で。私たちが買っている食材は、米、小麦、豆腐、麺類、味噌を除く調味料、それと、珈琲豆。これって今の時代なかなか難しいと思われるでしょうが、“案ずるより産むが易です”そして、お米はもうすぐ収穫です。小麦の種蒔きももうすぐです。何事も、一歩一歩です。歩めば自ずと結果は付いてくるようです。一つ一つ取り戻そうとしているんですね。喜びを。生きることを。大地と共に生きるという、生かされている喜びを。お金では決して買えないですよね。この豊かさや喜びは。。お金をそこそこ自由に使える豊かさと、この自然と共にある豊かさとは、

ここも、まさに“月とすっぽん”ですね。

今の住まいも畑も田んぼも全部借り物。畑や田んぼは無償で借りています。ぜひ、みなさんも農的暮らし始めてみませんか?鋸鎌、鍬、種、大地、自分で出来ますよ。

大地を生かし、真に循環する農でね。

(注)福岡さんの自然農。川口さんの自然農。私たちも方向性は自然農ですが、農に使える時間も限られています。なので、細かいところは自己流でしております。これだけは守りたいと思ってしていることは、小さな命が生きれる大地に。。ですかね。

月とすっぽん
2010/10/14
おそらく、ここ20年くらいだと思うんですが、和風はちょっと(なんか違う)・・・。って、感じている人が増えてきたのではないでしょうか?私たちも勤めている頃は、あれは、大工さんが建てる建て方で、もし、自分が将来家を建てることがあったとしても、住みたいなあという感覚は持てなかったのが正直なところです。そんな私たちでも旅をした時に宿泊するところはホテルではなく旅館なんです。そう、根本的に椅子にベットよりかは、床座で、畳にお布団の方が落ち着くタイプの人間なのです。

ここ6,7年、私たちの感覚の中で昔ながらの家づくりに移行していってからは、大工さんや工務店さんの建てる和風の家は、なぜ感覚的に違うんだろう、というのを、はっきりと認識もしてきたし、実感のところも、私たちが欲しかったのはこっちこっち。っていう風に感じるようにもなってきたんです。最近はもう、はっきりと確信になっていますけどね。和風の家はやっぱり和風の家だなあって。和風の家と和の家は全く違う。

まさに、“月とすっぽん”。

大工さんや工務店さんに聞いてみて下さい。和風の家と和の家の違いを。どんな答えが返ってくるのでしょうか。何を言っているのか、言っている意味が分からず、ぽかんと口を開けるかもしれません。私たちも勤めている頃なら全く答えれないと思います。○○風って表現を使えば解るかな。そう、なんとか風ですよ。似せて造ってますよ。『和風の家』をわかりやすくいえば『偽物の和の家』ですよって最初っから言っているんです。僕的には、感覚がそこに反応していたんだなってストンと腑に落ちたのを記憶しています。今の時代、この家は和の家やなあ〜って感じる家は本当に少なくなっていると思います。ほのぼのした雰囲気、なごやかな雰囲気。凛とした空気。これって醸し出すものでしょ。つくろうと思ってつくれるものではないでしょ。その場の醸し出す雰囲気はね。和の家はつくるのではなく、感じるのだと。

建て主さん・職人さん・私たちの心がどれだけ一体になって家づくりにかかわれたか。
大いなる大自然の恵みをどれだけ生かすことができたか。
実際に自然の素材に気を籠める職人さんの心、お金を頂いたからする仕事ではなくて、どれだけ感謝の気持ちや喜びをともなった仕事が出来たかによって和を感じるようです。

和を感じる住まいは、出来上がって暮らす建て主さんにとって一番恩恵が大きいでしょうね。だって、そこでこれから何十年と暮らして行くわけですから。和を感じる住まいということは、調和しているわけですから・・・。

調和しているとはどういうことなのでしょうか?
そこをよ〜くみつめてみて下さい。

今の多くの家づくりがどんな家なのか?
すべて心の現れなのです。建て主さんの心であったり、職人さんの心であったり、ハウスメーカーさん、工務店さんの心の現れなのです。今の住まいは社会は美しいでしょうか?大和の国の私たちのもっていた美意識の世界は、美しい心の世界はどこへいってしまったのでしょうか?もう、本当に美しい心を無くしてしまったのでしょうか?

和の心なくして和の住まいは出来ません。何度もいいますが、まずは、心が最初です。気が元です。日々の仕事、暮らしの積み重ねがあってこそ、心は磨かれます。建て主さんにしても、職人さんにしても日々精進してないとそこにはたどり着けないのだと・・・。

和は形式ではないのです。
和は調和の心の現れなのです。。

芽生え。。
2010/10/12
建築業界の人達、設計業界の人達、職人さんをはじめ家づくりを取り巻く人達の意識は、今までの時代の価値観の延長で物事を考えている人がまだまだ多いのではと感じています。

今の不景気な時代の中、台所事情が苦しいのでしょう。食品業界もそうだと思いますが、中身は変わってないのに、じわじわ値上がりしているのです。中身が減って値段が変わらないとか、よくありますよね今は。税金も年金もこれから上がる方向ですよね。これが現実です。でも、給料はじわじわ下がっているのが現実ではありませんか?そんな現実の延長で、これから税金などもそう、暮らしの経費が一方的にどんどん増えていく現実の中、明るい未来が、希望溢れる未来が描けるでしょうか?みなさん今の社会を子供達に孫達に胸を張ってバトンを渡せますか?

家づくりに携わる人、職人さん側の方も自分達の生き方の見極めが必要な人が多いように感じます。自分がお金的に苦しいから相手にそれを少しづつ解りづらいようにして上乗せする。みんながそれをしているから、今を生きるみんなが少しづつ苦しくなってきているでしょ。。今の時代普通の人がお金を得るのは、本当に大変な時代になってきつつあります。当然、意味もなく高い金額をみんなが提示しはじめると、生きていくのがだんだんだんだん苦しくなりますよね。そうなると、どうなるでしょうね。自分で出来ることは自分でします、という人も増えるでしょうね。でも、長く安心して住まえる職人さんの家は金銭的に難しいと思うんじゃないかな。そう思われると当然、家づくりに携わる職人さんも仕事が少なくなって生きれなくなるでしょうね。半農半職人さんは別でしょうが・・・。それは、自分達がじわじわ値上げしていった結果でもあるのです。今の時代の多くの会社が、自分の首を自分で絞めているような気がしているのですが、自然淘汰で生きれなくなるというより自業自得の世界ですよね。

この世の法則を思い出して下さい。自分がしたことが自分に返ってくるのですから、相手を苦しめれば、自分が苦しむのです。相手を喜ばすと、自分が喜ぶのです。簡単でしょ。自分が喜ぶことを相手にすればいいわけですから。

そして、この世で生きていくのにお金がいるのは、人間だけですからね。他の生き物達はお金なんか一つも必要ありません。いつの時代も自然は大切なことを人に教えてくれています。本当は、人もお金なんて無くても生きれるのです。家族の間でお金は必要ですか?親が子供にお金を払わないと食事を与えませんか?違うでしょう。無償で与えているでしょう。それと同じ事を地球さんやお月さんや太陽さんが、何千年、何万年と無償で育み続けてくれたからこそ、今の私たちがいるのです。そんなずっとずっと育み続けてくれた地球さんに今私たちはどんなとこをしているのでしょう。もう、残された時間はあまりないようです。家づくりの現場においても、職人さん本来の仕事(長い年月に渡って持続可能な仕事)を続けているところは、どこも経済的にも時間的にも厳しいなと感じます。それは、今を生きる人達が持続可能な仕事を選択していないという結果の現れなのです。自然を見て下さい。アスファルトやコンクリートで固められ大地が呼吸出来なくなっているし、大地や山に自然に還らない物を大量に埋めているでしょう。あらゆる水には化学物質(命にとっては毒)が大量に混ぜられ自然に流されているでしょう。大気中も同じですよね。
すべて私たち自身が命の長たる人間がしたことです。一人一人が一日も早く自分達のしていることに気付き、一人一人の暮らしを仕事を見つめないといけない。私たち人の意識が良くなると、一人一人が真剣に心に描いたことが実現するのです。そして、この星に住むすべての命がみんなが家族なんだよねって。そして、この星の家長は私たち人類なのです。なので、長が変わればすべてが変わるのです。会社も同じでしょ。社長の意識が低ければ、その会社は長く続きますか?社長の意識が良くなれば良くなるほど、会社も良くなるでしょ。私たちは犬や猫ではないのです。人間として生かされているのですから。霊の長の類といわれる人類が私たちなのです。私たち一人一人がこの星の多くの命を預かる長なのです。そして、一人一人がこの地球の未来を預かる長なのです。今の時代を生きる私たちは地球の未来を託されているのです。何をしにこの地球に生を受けたのですか?この世に生まれる時に一人一人が背負ってきた役割があるんです。本当の自分の為すべき事を内なる心に問い掛けてみて下さい。

今というこの時は、今までの時代の価値観はもう通じない時代に移行しつつあります。今までは、周りを生かさなくてもやってこれた時代でした。その時代は終わりつつあります。一つの時代が終われば新しい世が生まれてきます。その兆しは至る所で芽生えはじめています。大きな大きな時代の変革期の今、古い価値観が壊れて初めて新しい価値観が表に出てきます。江戸時代が終わったから崩壊したから明治時代が始まったのです。でも、意識の中では心の中ではすでに、先行していたはずなのです。今のこの瞬間もまさしくそうなのです。現実はそんなに変わってないよといわれる方もいらっしゃるでしょう。それは、そうでしょう。その大きな変化は、目に見えない世界でまず起こっていますからね。そう、一人一人の心の中で意識革命が起こっているわけですからね。気が付いたら、浦島太郎さんになってましたでは、笑えないですからね。

自給率上昇!!
2010/10/05
今治へきてからもうすぐ2年、自給率も一歩一歩確実に上がってきております。またこれから、お米の収穫も間近なのでさらに自給率が上がりそうです。私たちは野菜を育てている?(実際は野菜自身が育ってくれている)のですが、まだまだ農的暮らし2年目のひよっこなのです。。なので畑と野菜の相性、土の特性、地力のことなど、一年一年勉強です。お野菜達にとって今年の夏の今治の天候はかなり過酷でした。そんな厳しい状況の中でもお野菜達は精一杯生きてくれています。本当にありがたい。そして、お野菜のお裾分けをしてくれる友人や職人さんもいるおかげで、おそらく、この一年間でお野菜を買ったのは(端境期)5.6回くらい?な感じです。まだ農的暮らし2年目ですよ、2年目。(びっくりですよ。)
また、我が家の食事は基本的に玄米菜食になっているし、来客も結構いるので、かなり野菜の消費量は多いはずなんだけど・・・。なんとかやっています。そして、私たちの野菜作りやお米づくりの基本は自然農。
それプラス出来るだけお金を使わない。なので、山へ行って枯葉や腐葉土を分けてもらって補いをしてあげています。(ここにも自然の恵みが。)そして、種は多少買いますが、可能な範囲で自家採種をしていきます。自家採種がそこそこ出来てくれば、お米やお野菜を育てるのに、お金はそんなには必要ないんですね。(車の燃料代、草刈り機の燃料代は多少かかっていますけどね。)お金がそんなに無くっても自給用くらいなら出来るんだよってこと。

自然がすべて与えてくれているんです。私たちは生かされているんですね。今生きていくのに多くの人が苦しんでいるような気がします。要因の一つはお金に囚われる心のような気がします。お金が無いと生きていけないと思い込んでいるからこそ、今の不景気な時代の中この先仕事が続いていくのか?という不安が多くの人の心を蝕んでいる原因の一つになっている?ような・・・。(まあ、自分の人生はすべて自分で選択していますので、苦しみも自分で選択しているということ。ある意味何が起ころうが自己責任なのですこの世はね。)

大地も天もいつもいつもたくさんたくさん与えてくれているんです。自分が全てを生かして働けば働くほど溢れるほどの恵みを与えてくれているんです。これは宇宙の法則なんです。すべてを生かすこと。大地に生きる小さな命が生きれる畑に、お野菜達が生き生きと生きれる畑に、
命溢れれば溢れるほどこちらも見ていて嬉しくなります。
ここにも喜びの循環が始まるんです。人と野菜達と、そこに住まう小さな数え切れない命との間で、喜びの循環が生まれるんです。そこに住まう小動物や小さな虫たちは生きれる場を与えられて喜びます。また野菜達も人や小動物や小さな虫たち、多くの命の営みと共に共生しあう関係にあるからこそ、何千年、何万年と共に生き続けているように感じます。そして植物達は多くの命を支えることを喜びに生きていると感じるんです。

今の農の現実を見て下さい。草が生えるといって除草剤を使い、虫がつくからといって農薬(殺虫剤)を使い、野菜がよく育つといって化学肥料や有機肥料を入れる。以前に雑草と呼ばれている草達のことを書いたと思うんですが、
雑草達は大地を良くしようとして、人が荒らしていった大地を修復しに生まれてきているように感じるのです。お野菜達も基本的には同じ想いを持っている存在のような気がしています。なので、大地を浄化する、大地を豊かにするという思いをもって生きている存在に対して、除草剤をまき、農薬をまき、大地にとって不自然な化学肥料や有機肥料をなんとか大地から除こうと、精一杯吸収して、次に生まれてくる植物達のために少しでも大地を浄化しようとしているのに・・・、人はどんなことをしているでしょうか。

本来私たち人類は霊長類といわれる存在です。この世では霊の長たる存在なのです。今の社会を見て下さい。どうですか?長と呼ばれる役割の人達が、その下で生きる存在達の事を少しでも良くしようと考えない社会。そんな今の社会に輝ける未来の展望は開けますか?私たちも同じ事をしているのですよ。私たち人間の営みの元で共に地球で生きている多くの命たちにね。そんな小さな命たちの声は人の意識には全く届いていないんです。今の政治を見て行政を見て、本当に大切な声は届いてないのと同じように。ここも構図は全く同じなのです。家の長たる存在が家族の事に全く心を配らない家族はどんなになりますか?ちょっと想像すればよくわかるでしょ。この地球という星をある意味まかされたのが私たち霊長類といわれる人類なのです。長たる者は共に生きる存在達のことにまず心を配ることをしないと、その集団はよくなりませんよね。

それを実現させてくれるのが、一人一人で変えていけるのが日々の暮らしであり、自給的暮らしなのですね。

大地と共に・・・自然と共に・・・喜びと共に・・・。


どんなところでも・・・。
2010/10/02
私たちの生きる今という時代の文明はどこに歩もうとしているのでしょうか?
織機を仮置きさせていただいているところがすごく象徴的に感じるんです。私たちの暮らす今治の地はタオル産業が栄えたところであります。今現在はタオルの生産も海外(主に中国)に拠点をつくり、今治に残っているタオル業者さんも価格競争の大きな波に翻弄されつつも、なんとか今を生きているのが現実のようです。
なぜ、こんな事を書いているのかというと、畳表の織機を仮置きさせていただいている場所が、実は元タオルの染色工場なのです。ここの社長さん、2代目社長さんで、親から工場を引き継いだのですが、タオルの染料に使われる化学染料の処理や環境に与える影響に気づきはじめ、家族もいる中、自分の生き方そのものを見つめ、そういう仕事をするのが本望ではなくなり、若くして会社をたたまれた人の工場であります。なので、その名残(現代文明の行く末?)が至る所に残っております。現代の文明の工場でありますから、当然簡単に自然に還る素材ではつくられておりません。今だに残骸として多くの自然に還らぬもの達がゴミとして集められています。今は友人でもある元社長さん、このゴミを片づけたいのですが、片づけれないのです。

それは、なぜでしょうか?

そう、このゴミを片づけたとしたら、その行く先はどこでしょう?もう、お解りですね。そう、産業廃棄物として合法的に山に埋められるのです。お金を払って自然を大地を汚染してもいいから、見えないように埋めてしまえば、後のことは知りませんと、問題が起こった時も、みんなでしたことでしょと。そう、これが現実なのです。汚いものには蓋をしよう。そして、見ないことにしよう。原発の核廃棄物の処理のところと意識が全く同じでしょう。

そう、一度ぐちゃぐちゃに埋め立てられると、そう簡単には自然に還らない化学物質の多くが、水の中にとけ込んで自然の中へ返されていきます。そして、すべての命の元『お水』が汚染されるとどうでしょう。命の仕組みは内から組み立てられています。私たちの身体も外からの汚染に対しては、一人一人のセンサー、フィルターがかなりのところまで教えてくれます。しかし、命の水に溶け込んだ化学物質は、いろいろな命の内に入り込み、いずれは、『食べる』という行為を通して、やがて人々の内に巡ってきます。

なので、手が着けられないのです。そして、そんな場所と縁があった織機の置き場。自然に還らない物で作られた物、心を籠めてつくられてないものの行く末は、やはり最後、役割を終えた後に、どうしようもなくうち捨てられるというのが現実のようです。そういった化学物質や様々な複合素材の廃棄物をまた、山へ埋めてしまうのも心を傷めてしまうという、これからどう処理をしていいものか途方にくれそうです。

この現実は今を生きる一人でも多くの人に見つめて頂きたい現実ですね。今の時代の暮らしの現実を家並みをしっかり見て下さい。見える物は大地に還っていくもので作られていますか?この現代が生み出した大量のもの達が役目を終えた時、この日本はどうなるのでしょうか?

現実に本当にこれから、未来へ次の世代へこの豊かな地球を残したいのか。それとも、自分にはたいしたことは出来ないからといって何もしないのか。この自然に返されるゴミは全ての人の営みから出されるものなのです。私たちも家づくりを生業としていますから、ものを生み出す者の責任は大きいと感じるところです。そういう私たちも今を生きている以上、自然に還りにくいものを使うことはあります。一人一人の暮らしの中の小さな選択の積み重ねが未来をつくっていくのです。今の日本では政治や行政が豊かな未来は決して決してつくらない。豊かな未来を心の底からつくりたいのなら、今この瞬間から一人一人が心豊かに生きることを実践しなくては・・・。日々の暮らしは心豊かに暮らせていないのに、ある日突然心豊かな未来が出現しましたなんてありますか?

すべてが生かされ合う循環を、大地を地球を汚すことのない循環を・・・。
私たちの食を支えてくれる農のところでも、未来へ豊かな地球を残したいのなら、大地の生き物が育まれるように自然の中に化学物質を入れない農に、移行していかないと、いずれ道は閉ざされるでしょう。

一人でも多くの人と共に命溢れる地球に移行していけたらいいなと感じます。職人さんの世界も農の世界も同じですが、かなり高齢化しています。そして、いずれ時は巡ります。今を支えてくれている多くの先輩達、親達もいずれいなくなるのです。それが、この世の掟です。エネルギー溢れる若い世代が地に足をつけて、豊かな未来を見据えて
しっかりしないといけないのです。自分の足で立たないといけないのです。自分の足で立たないと一歩も自分の思いのままに歩めないでしょう?

自分の未来を見据えることが出来なければ、今どう生きればいいかが解らないのです。解らないままに生きると時代に流されて生きるようになるんです。受け身な生き方だと、生きていくんだというエネルギーが自分の内から湧いてきますか?

自分の未来を見据えることが出来れば、今どう生きればいいかが解ります。解ると一歩一歩歩めるのです。自分の描く未来のためには周りから見て、どんなに大変と思われるようなことでも歩めるではないですか?家族の支えがあれば、より力強いエネルギ−になりますよね。

未来に繋いでいきたい畳表を織れる場として、現代文明の行く末みたいな場を、縁あって与えられた事に何か意味(メッセージ)があるのでしょうね。

みなさんはどんな未来をつくりたいですか?

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